第35話 三つの世界
目の前に、三つの扉が並んでいた。
どれも同じ大きさ。
同じ形。
けれど、扉の向こうから感じる気配は、それぞれ違っていた。
一つ目の扉からは、強い魔力。
二つ目からは、穏やかな光。
三つ目からは――シエルの気配。
「……何だ、これ」
レオンが扉を見比べる。
ミレイユが杖を構えた。
「魔法で作られたものじゃない」
「じゃあ何なんだ?」
「分からない」
ミレイユが首を振る。
「私が知っている魔法の範囲を超えてる」
アベルも黙って扉を見ていた。
「選択しろ、ということか」
「ああ」
俺は頷いた。
空には、まだ黒い亀裂が残っている。
そこから聞こえてくる声は、さっきから変わらない。
『次の世界を選んでください』
「選ばなかったら?」
俺が空に向かって問いかける。
返事はない。
代わりに、三つの扉に文字が浮かんだ。
一つ目。
**『魔王のいない世界』**
二つ目。
**『勇者のいない世界』**
三つ目。
**『シエルのいない世界』**
「……ふざけてる」
シエルが呟いた。
俺も同じ気持ちだった。
どれを選んでも、何かを失う。
「俺は一つ目がいいと思う」
レオンが言った。
「魔王がいなければ、世界は滅びない」
「本当にそうかな?」
アベルが口を挟んだ。
「魔王がいない世界は、俺たちが何度も見てきた」
レオンが振り返る。
「何?」
「最初の世界だ」
アベルは一つ目の扉を見る。
「魔王はいなかった。それでも世界は終わった」
レオンが黙った。
俺も扉を見つめる。
確かにそうだ。
魔王は原因ではなかった。
世界の終焉そのものは、魔王が生まれるより前から存在していた。
「じゃあ、二つ目は?」
ミレイユが聞く。
アベルが答える。
「勇者のいない世界」
「それなら魔王を倒す人間もいない」
「その代わり、魔王が生まれたら止める者もいない」
ミレイユが眉を寄せた。
「……なるほど」
俺は三つ目の扉を見る。
**『シエルのいない世界』**
それだけは考えるまでもなかった。
「これは選ばない」
俺が言うと、シエルが俺を見る。
「どうして?」
「決まってるだろ」
俺は笑った。
「お前がいない世界なんて、世界を救う意味がない」
シエルが少し困ったように笑う。
「ヨハンらしいね」
「でも――」
シエルが三つ目の扉に近づいた。
「この扉、変」
「何が?」
「私がいない世界なのに、私の魔力がする」
俺たちは顔を見合わせた。
シエルが扉に手を触れる。
青白い光が広がった。
扉の表面に映像が浮かぶ。
そこには一人の少女がいた。
シエルだ。
けれど、俺たちの知っているシエルとは違う。
少女は一人で街を歩いている。
誰も彼女を知らない。
ヨハンもいない。
レオンもいない。
ミレイユもいない。
それでも少女は笑っていた。
「……あの子」
シエルが呟く。
「私なの?」
「違う」
アベルが即答した。
「お前の記憶から作られた可能性が高い」
「記憶……?」
「世界は、お前を完全には消せない」
アベルが続ける。
「だから別の形で残そうとしている」
俺は嫌な予感がした。
「それって……」
「世界がシエルを必要としているということだ」
空の亀裂が大きくなる。
地面が揺れた。
『選択してください』
声が再び響く。
その瞬間、三つの扉が光った。
そして、四つ目の扉が現れた。
「……四つ目?」
レオンが驚く。
そこには文字がない。
ただ、扉の中央に二本の剣が描かれている。
一本は白い剣。
もう一本は黒い剣。
俺はその扉を見た瞬間、右手に痛みを感じた。
「ヨハン?」
シエルが心配そうに近づく。
右手を見る。
消えたはずの紋章が再び浮かび上がっていた。
今度は違う。
紋章の中央に、文字がある。
**『選択者』**
「俺が選ぶのか……」
「そうみたいだな」
レオンが笑った。
「勇者じゃなくなった俺には、関係ないらしい」
「レオン」
「気にするな」
レオンは聖剣だった剣を肩に担いだ。
「俺はもう、自分で選ぶって決めたからな」
その言葉を聞いて、シエルが四つ目の扉を見る。
「ヨハン」
「どうした?」
「この扉の向こうに、何かいる」
「何か?」
「ううん」
シエルは首を振った。
「誰か」
俺も扉に近づく。
手を伸ばす。
触れた瞬間――。
声が聞こえた。
『ヨハン』
俺は息を止めた。
聞き覚えがある。
けれど、シエルではない。
レオンでもない。
ミレイユでもない。
「誰だ?」
『ずっと待っていた』
扉の向こうから、少年の声がする。
『お前が世界を選ぶ日を』
アベルが顔を強張らせた。
「……その声」
「知ってるのか?」
「ああ」
アベルが黒剣を構える。
「この声だけは、忘れたことがない」
扉がゆっくり開いた。
その向こうに、一人の少年が立っていた。
黒い髪。
白い服。
胸には、二本の剣が交差した紋章。
そして、その顔を見た瞬間。
俺は言葉を失った。
「……俺?」
少年は笑った。
「そうだ」
レオンが剣を抜く。
「ヨハンにそっくりだ」
少年は俺を見る。
「僕は、お前が世界を救えなかった世界のヨハン」
「……何?」
「そして」
少年はアベルを見る。
「アベル、お前が探していた人間でもある」
アベルの顔から血の気が引いた。
「……まさか」
少年が微笑む。
「久しぶり」
アベルの手から黒剣が落ちた。
「そんな……」
少年は静かに告げた。
「僕が、最初の世界を終わらせた」
空気が凍った。
「魔王でもない」
「勇者でもない」
「世界そのものでもない」
少年が俺を指差す。
「ヨハン、お前だ」
「……俺が?」
「正確には――」
少年の目が赤く染まった。
「お前の中にある、最後の記憶だ」
その瞬間、俺の右手の紋章が砕けた。
そして、世界中に鐘の音が響き渡った。
一度。
二度。
三度。
四度。
五度。
六度。
七度――。
八度目の鐘が鳴った瞬間。
空の亀裂から、巨大な黒い手が伸びてきた。
少年が笑う。
「さあ、ヨハン」
「最後の世界を選ぼう」
「今度は――」
黒い手が大地を掴む。
「誰を救うかじゃない」
少年の瞳が赤く輝いた。
「**誰を捨てるかを選ぶんだ**」




