第34話 選ぶ世界
白い光に包まれた。
身体が浮いている。
上も下も分からない。
ただ、シエルの手だけは握っていた。
「ヨハン」
「いるか?」
「うん。ここにいる」
その声を聞いて、少しだけ安心した。
やがて白い光が薄れていく。
足元に地面の感触が戻った。
俺は目を開けた。
「……ここは?」
見覚えのない場所だった。
空は青い。
大地には草が広がり、遠くには巨大な山が見える。
魔物の気配もない。
赤い空もない。
崩壊する城もない。
ミレイユが周囲を見回した。
「世界が……戻った?」
レオンが聖剣を確認する。
「魔力も安定している」
俺は右手を見る。
紋章は消えていた。
「本当に……終わったのか?」
シエルが空を見上げる。
「分からない」
その瞬間だった。
遠くから鐘の音が聞こえた。
一度。
二度。
三度。
俺たちは顔を見合わせた。
「この音……」
レオンが聖剣を握る。
「知っている」
俺も知っていた。
何度も聞いた。
世界が終わる前に鳴っていた鐘。
けれど、今回は違った。
鐘が鳴ったあとも、空は青いままだ。
「誰かいる」
ミレイユが指差した。
丘の向こうから、一人の少女が歩いてくる。
青い髪。
青い瞳。
シエルだった。
「……え?」
隣にいるシエルが息を呑む。
歩いてくる少女は、俺たちの前で立ち止まった。
「初めまして」
「シエル……?」
「私はシエル」
少女は笑った。
「あなたたちが知っているシエルとは、少し違うけど」
隣のシエルが一歩前へ出る。
「あなたは……誰?」
「あなた」
少女は答えた。
「あなたが捨ててきた記憶から生まれた、もう一人の私」
俺は言葉を失った。
第31話で現れた少女。
世界の終わりを記憶していた存在。
消えたと思っていた。
「どうして、ここにいる?」
「消える必要がなくなったから」
「どういう意味だ?」
少女は空を見上げる。
「世界の記憶を、ヨハンが受け取ったから」
俺の右手を見る。
「今までなら、世界が終わるたびに記憶は一つの器へ戻っていた」
「それがシエルだった」
「うん」
少女は頷いた。
「でも今は違う」
胸元に手を当てる。
「記憶は一人に集まらない。みんなが少しずつ持っている」
「だから、世界が壊れない?」
「そう」
俺は空を見上げた。
青い空。
雲。
太陽。
それだけなら、何も変わっていない。
けれど、この世界には魔王も勇者もいない。
それどころか――。
「レオン」
「何だ?」
「聖剣は?」
レオンが剣を見る。
白い光が消えていた。
「……ただの剣になってる」
俺は驚いた。
何度も世界を繰り返してきた聖剣。
勇者の魂を受け継いできた剣。
その力が、なくなっている。
「つまり……」
レオンが笑った。
「俺はもう勇者じゃないらしい」
「それでいいのか?」
「ああ」
レオンは肩をすくめた。
「勇者じゃなくても、生きていける」
ミレイユが笑う。
「レオンらしいね」
シエルも笑った。
その光景を見ていると、不思議な気持ちになった。
何度も失った日常。
何度も届かなかった未来。
それが今、目の前にある。
「ヨハン」
シエルが俺を見る。
「どうした?」
「これから、どうする?」
俺は少し考えた。
世界を救う。
魔王を倒す。
勇者を守る。
そんな目的を持って、ずっと走ってきた。
けれど、もう必要ない。
「まずは帰ろう」
「どこへ?」
「俺たちの家へ」
シエルが笑う。
「うん」
そのときだった。
地面が揺れた。
「……!」
全員が身構える。
丘の向こう。
大地に一本の黒い線が走った。
亀裂ではない。
何かが地面の下から押し上げている。
「これは……」
ミレイユが杖を構える。
黒い線が広がる。
地面が盛り上がった。
そして――。
一人の男が姿を現した。
「……まさか」
レオンが聖剣だった剣を構える。
俺も剣を抜く。
男はゆっくり立ち上がった。
灰色の髪。
黒い服。
見覚えのある顔。
「アベル……!」
死んだと思っていた。
世界の記憶に飲み込まれたはずだった。
それなのに、アベルは立っていた。
「ヨハン」
アベルは俺を見る。
その顔に、以前の狂気はなかった。
「お前の言葉を信じてみることにした」
「俺の言葉?」
「俺が探している人も、世界の記憶の中にいる」
アベルは自分の胸に手を当てた。
「確かに、ここにいた」
「じゃあ、その人は?」
アベルは目を伏せる。
「もう戻す必要はない」
「……え?」
「その人は、俺に会いたかったんじゃない」
アベルは空を見上げた。
「俺が前に進むことを望んでいた」
俺は何も言えなかった。
アベルは静かに笑う。
「だから、この世界を壊す理由もなくなった」
それなら。
全部終わったのか。
俺はそう思った。
その瞬間。
空に黒い亀裂が一本走った。
全員が空を見上げる。
「……そんな」
ミレイユが呟く。
亀裂から黒い光が漏れている。
アベルの顔から笑みが消えた。
「違う」
「何が?」
「これは俺が作ったものじゃない」
黒い光が空から降りてくる。
シエルが胸を押さえた。
「……聞こえる」
「何が聞こえる?」
「声がする」
シエルが震える。
そして、空を見上げた。
「『世界を選べ』って」
俺の右手が、再び光った。
消えたはずの紋章。
その中心に、新しい文字が浮かび上がる。
**『第一世界、終了』**
続いて、その下に一つの文字が現れた。
**『第二世界、選択可能』**
「……世界を選べ?」
俺が呟く。
空の亀裂が大きくなる。
その向こうには、無数の世界が見えた。
魔王が存在する世界。
魔王が存在しない世界。
レオンが勇者になった世界。
レオンが普通の少年として生きる世界。
そして――。
シエルが一人で立っている世界。
「ヨハン」
シエルが俺の手を握る。
「どの世界に行く?」
俺は答えられなかった。
これまでの俺は、世界に選ばれていた。
勇者も。
魔王も。
俺自身も。
けれど今度は違う。
**俺たちが、世界を選ぶ。**
俺はシエルの手を強く握った。
「……決めよう」
その瞬間。
空の向こうから、聞き覚えのある声が響いた。
『選択してください』
『次の世界を』
そして俺たちの前に、三つの扉が現れた。




