第33話 最後の記憶
黒い結晶に触れた瞬間、世界が消えた。
音もない。
光もない。
何もない暗闇の中に、俺だけが立っていた。
「……ここは?」
返事はなかった。
代わりに、目の前に一人の少女が現れた。
シエルだった。
今のシエルより少し幼い。
俺がまだ十五歳だった頃と同じくらいの姿だ。
「シエル……?」
少女は首を横に振った。
「私は、あなたが最後に会ったシエル」
「最後……?」
「世界が滅びる直前の私」
胸が締め付けられた。
前の世界。
魔王城。
レオンが聖剣を握っていた。
シエルは魔王になっていた。
俺は彼女を守ろうとしていた。
そこまでは、何度も見た。
けれど――今回は違った。
シエルが俺に黒い結晶を渡している。
「これを持っていて」
「何だよ、これ」
「私の記憶」
「記憶?」
「ううん」
シエルは悲しそうに笑った。
「私だけじゃない。みんなの記憶」
その後ろには、無数の人影が立っていた。
世界が滅びたときに残った人々。
彼らは誰も喋らない。
ただ、俺を見ている。
「魔王を倒したら、この人たちは解放されるのか?」
俺が聞くと、シエルは首を振った。
「違う」
「じゃあ、どうすれば?」
「誰かが、覚えていなきゃいけない」
「……誰が?」
シエルは俺の胸に手を当てた。
「ヨハン」
その瞬間、俺の右手の紋章が輝いた。
「あなたなら、世界が忘れても覚えていられる」
「俺が……?」
「だから、何度でも戻ってきて」
「そんなの、嫌だ」
俺はシエルの手を掴んだ。
「戻ってくるんじゃない。今度こそ一緒に生きる」
シエルの目から涙が落ちる。
「うん」
彼女は笑った。
「それを、ずっと待ってた」
視界が揺れた。
記憶が崩れていく。
最後にシエルが言った。
「ヨハン」
「何だ?」
「魔王を倒す必要はない」
「……」
「私を救って」
その声を最後に、暗闇が砕けた。
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「ヨハン!」
誰かに肩を揺さぶられた。
目を開ける。
ミレイユが俺を覗き込んでいた。
「大丈夫?」
「ああ……」
俺はゆっくり起き上がった。
手の中には黒い結晶がある。
「何があった?」
レオンが尋ねる。
「最後の記憶を見た」
俺は結晶を握った。
「全部分かった」
アベルが遠くからこちらを見ている。
その顔から笑みが消えていた。
「……何を見た?」
「お前が欲しがっているものもな」
アベルの目が細くなる。
「何だと?」
「お前が世界を繰り返している理由だ」
アベルが動きを止めた。
「お前は誰かを取り戻したい」
「……」
「そのために世界を何度もやり直している」
黒剣を握る手が震えた。
「黙れ」
「その人は、最初の世界で死んだ」
「黙れ!」
アベルが叫んだ。
黒い魔力が爆発する。
床が吹き飛んだ。
「俺は……もう一度会わなければならない!」
「だから世界を壊すのか!」
「世界など、どうでもいい!」
アベルが黒剣を振る。
レオンが前に出た。
聖剣と黒剣が激突する。
「なら、俺がお前を止める!」
「勇者風情が!」
「俺はもう、魔王を殺すだけの勇者じゃない!」
レオンの聖剣が輝いた。
黒剣が押し返される。
その隙に、俺はシエルを見る。
「シエル」
「うん」
「一緒に来てくれ」
シエルは迷わなかった。
「もちろん」
二人でアベルを見る。
その瞬間、シエルの身体から赤い光が溢れた。
「シエル!」
「大丈夫」
シエルは自分の胸に手を当てる。
「今なら分かる」
「何が?」
「私の中にいる人たちが、何を望んでいるのか」
無数の声が重なった。
『帰りたい』
『終わりたくない』
『忘れないで』
シエルが涙を流す。
「みんな、生きたかったんだ」
俺は黒い結晶を見る。
世界の記憶。
その中に、消えた人々の想いが残っている。
なら。
魔王を倒す必要なんてない。
世界の記憶そのものを、救えばいい。
「ヨハン!」
レオンが叫ぶ。
アベルがレオンを吹き飛ばした。
「レオン!」
レオンが壁に叩きつけられる。
聖剣が床を滑った。
アベルが剣を振り上げる。
「勇者は何度でも同じだ!」
「違う!」
レオンが立ち上がった。
血を流しながら、聖剣を拾う。
「今度は俺が選ぶ!」
聖剣が眩しいほどに輝いた。
アベルの黒剣に亀裂が入る。
「な……!」
レオンが踏み込む。
「魔王を殺さない!」
一撃。
黒剣が砕けた。
アベルが後ろへ吹き飛ぶ。
その瞬間。
城全体が崩れ始めた。
「まずい!」
ミレイユが叫ぶ。
「世界そのものが崩壊してる!」
床が割れる。
壁が消えていく。
空には巨大な亀裂が広がっていた。
最初の世界が終わろうとしている。
「ヨハン!」
シエルが俺の手を握る。
「どうする?」
俺は空を見上げた。
これまでの世界なら、ここで魔王が生まれる。
勇者が魔王を倒す。
そして世界が終わる。
なら、今回は違う。
「シエル」
「うん」
「お前の中にある世界の記憶を、俺に渡してくれ」
シエルが驚く。
「そんなことをしたら、私は……」
「大丈夫」
俺は笑った。
「今度は俺が覚えている」
右手の紋章が光る。
黒い結晶も呼応する。
シエルが俺の手を握り返した。
「……信じる」
二人の間に光が生まれた。
その光が、シエルの身体から溢れ出す。
無数の声が聞こえる。
『ありがとう』
『やっと終われる』
『忘れないで』
光が俺の中へ入ってくる。
同時に、空の亀裂が止まった。
アベルが呆然と見ている。
「そんな……」
「アベル」
俺は彼を見る。
「お前が探している人も、世界の記憶の中にいる」
アベルの目が揺れた。
「……本当に?」
「ああ」
「なら……」
アベルが一歩踏み出す。
その瞬間、黒い影が彼の背後から伸びた。
「アベル!」
黒い影が彼を飲み込む。
「ヨハン!」
アベルの叫び声が響いた。
「俺は……あの人に……もう一度……!」
黒い影とともに、アベルの姿が消える。
静寂が戻った。
けれど。
俺の右手の紋章が、まだ消えない。
むしろ、さらに強く輝いている。
そして空の向こうから――。
聞き覚えのある声が響いた。
『次の世界が始まります』
俺はシエルの手を握った。
「……また、やり直すのか?」
シエルは首を横に振った。
「違うよ」
彼女が空を見上げる。
「今度は――私たちが選ぶ世界」
白い光が、俺たちを包み込んだ。




