第十二話 沈黙の祭壇
馬車が止まったのは、荒野の中にぽつんと佇む、崩れかけた石造りの遺跡の前だった。
苔むした石柱が幾本も倒れ、その中央には、円形の広場のような空間が広がっている。広場の中心には、一段高くなった石の台座――おそらくそれが「祭壇」と呼ばれる場所なのだろう。
「思ったより、静かな場所だね」
シエルが辺りを見回しながら呟いた。
「『沈黙の祭壇』の名の通り、な」
ヨハンも周囲を警戒しながら答える。魔物の気配は感じられない。だが、それがかえって不気味だった。
「気をつけろ。何が起きてもおかしくない」
レオンの号令で、一行は慎重に遺跡の中へと足を踏み入れた。
ガイウスは、石柱に刻まれた古い文字を丹念に調べていた。
「これは……古代語ですね。読めないこともないですが」
「読めるのか?」
ヨハンが驚いて聞くと、ガイウスは苦笑した。
「神殿での研究の賜物、といったところです」
しばらく文字を追っていたガイウスの表情が、次第に険しくなっていく。
「――やはり」
「何がわかった?」
「ここは、古代文明の時代に『対の均衡を保つための儀式場』として使われていたようです。伝承にあった『対の器』――つまり魔王の器と、その対となる勇者の力を、意図的に安定させるための施設だったと」
「安定させる? 封じ込めるんじゃなくて?」
ヨハンの問いに、ガイウスは首を振った。
「先ほどの推測は、少し違っていたようです。ここは器を封じ込める場所ではなく、目覚めを『緩やかに』進めるための場所だったのでしょう。急激な覚醒は、器自身にも、世界にも負担が大きい。そのための、いわば緩衝装置です」
その言葉に、シエルがハッとした顔をした。
「じゃあ、もしこの祭壇が正常に機能してたら……私の目覚めも、もっと穏やかに進んでたかもしれないってことですか?」
「その可能性はあります」
ガイウスは、台座に刻まれた文字を指でなぞりながら続けた。
「しかし、見てください。ここの紋様――明らかに、人為的に傷つけられています。おそらく、何者かが意図的に、この祭壇の機能を破壊したのでしょう」
石の台座には、深い亀裂が幾筋も走っていた。自然の風化にしては、あまりに不自然な傷跡だった。
「破壊したのは、いつ頃だ?」
レオンが尋ねると、ガイウスはしばらく傷跡を観察してから答えた。
「傷口の風化具合から見て……そう古い話ではありません。おそらく、ここ半年から一年以内でしょう」
「半年から一年……」
ヨハンの頭の中で、何かが繋がりかけた。
自分がこの時間軸に戻ってきたのは、勇者選定の儀の日――つまり、今からわずか二週間ほど前のことだ。だが、この祭壇が破壊されたのは、それよりずっと前だという。
つまり、これはヨハンの介入とは無関係に、すでに動いていた何かだということになる。
「前回の生では、こんな話は聞いたことがなかった」
ヨハンは思わず呟いた。
「もしかして……前回の生でも、この祭壇はすでに破壊されていたのか?」
「そう考えるのが自然かもしれません」
ガイウスが静かに頷いた。
「つまり、あなたの巻き戻りとは無関係に、誰かが以前から、こうした『対の均衡』を崩すために動いていた可能性がある、ということです」
その場に、重い沈黙が落ちた。
「待って、それってつまり」
シエルが、震える声で口を開いた。
「私が、こんな風に力が暴発するみたいに目覚めてるのも、誰かがこの祭壇を壊したせい、ってこと?」
「断定はできませんが、無関係とは考えにくいでしょう」
ガイウスの答えに、ヨハンは拳を握りしめた。
誰かが、意図的に世界の均衡を崩そうとしている。そしてその誰かは、ヨハンが時を巻き戻るよりもずっと前から、この計画を進めていたことになる。
「一体、誰がこんなことを」
「わかりません。ですが――」
ガイウスが言葉を続けようとした、その時。
「――随分と、熱心に調べていますね」
突然響いた声に、一行は一斉に振り返った。
祭壇の陰から、一人の人物が姿を現した。
豪奢な神官服を纏った、壮年の男。その胸には、大司教の証である紋章が輝いていた。
「大司教アルデバラン様……!」
ガイウスが、驚愕の表情で呟いた。
「なぜ、こんな場所に――」
アルデバランは、口元に穏やかな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと一行に近づいてきた。
「勇者殿が遺跡調査に向かったと聞いてね。私自身、以前からこの祭壇には関心があったものだから、様子を見に来たのだよ」
その言葉とは裏腹に、アルデバランの視線は、レオンではなく――シエルに、まっすぐ向けられていた。
「――ふむ」
小さく呟いたその声には、何か確信めいた響きがあった。
「なるほど、なるほど。これは、実に興味深い」
ヨハンの背筋を、冷たいものが駆け抜けた。
(第十三話へ続く)




