第十話 魔物の大群
「魔物の大群だと? 詳しく話せ!」
宿の食堂に飛び込んできた衛兵に、レオンが詰め寄る。
「街の東門から半刻ほどの場所に、通常の何倍もの数の魔物が出現しています。冒険者ギルドが対応に当たっていますが、このままでは街まで到達するのも時間の問題かと……」
「勇者様がいらっしゃると聞いて、急いでお伝えに参りました。どうか、お力添えを」
衛兵の言葉に、レオンは即座に頷いた。
「わかった、すぐに向かう」
「レオン、ちょっと待って」
ヨハンが割って入る。
「通常の何倍もの数、って言ってたよな。原因はわかってるのか?」
「い、いえ……それが、原因不明でして。この時期にこれほどの魔物が一斉に現れることは、通常はありえないのですが」
その答えに、ヨハンの脳裏で警鐘が鳴った。
――前回の生の記憶には、こんな出来事はなかった。少なくとも、ミドルトンの街で魔物の大群が発生したという話は、聞いたことがない。
これもまた、この巻き戻った時間軸で新たに生まれた「異変」の一つなのだろうか。
「ヨハン、考え込んでる暇はなさそうだよ」
シエルが、緊張した面持ちで声をかけてきた。
「行くしかない。街の人たちが危ない」
「ああ、わかってる」
一行は急いで装備を整え、東門へと向かった。
門をくぐった先に広がっていたのは、想像を絶する光景だった。
地平線の彼方まで、黒い影が波のようにうねっている。グレイファングだけでなく、通常はもっと森の奥深くに生息するはずの中型・大型の魔物までもが、統率されたかのように一斉に押し寄せていた。
「これは……」
レオンの顔にも、初めて明確な緊張が浮かんだ。
「冒険者ギルドの応援部隊です! 勇者様、指示を!」
既に集結していた冒険者たちの一人が、レオンに駆け寄ってくる。
「街道を塞ぐように陣形を組んでくれ! 俺が先頭で突破口を作る!」
レオンの号令一下、冒険者たちが素早く隊列を組んでいく。
「ミレイユは後方で回復支援を! ヨハン、シエルは――」
「俺たちも戦う」
ヨハンが即座に答えた。
「無茶するなよ。お前、剣術は素人だろ」
「わかってる。でも、後方で見てるだけってわけにもいかない」
レオンは一瞬迷う様子を見せたが、やがて頷いた。
「わかった。だが、無理はするな。危なくなったらすぐに下がれ」
戦闘の火蓋が切られた。
レオンの聖剣が閃くたびに、魔物の群れが薙ぎ払われていく。まさに勇者と呼ぶにふさわしい、圧倒的な力だった。冒険者たちもそれに続き、次々と魔物を討ち取っていく。
だが、魔物の数は尽きることがなかった。
「きりがない……!」
冒険者の一人が悲鳴じみた声を上げる。
ヨハンも、自分にできる範囲で戦いに加わっていた。前世の記憶にある戦闘の知識を頼りに、魔物の隙を突き、仲間の援護に回る。剣の腕は素人でも、「次に何が起こるか」を予測する力だけは、他の誰にも真似できない武器だった。
「シエル、右!」
「わかった!」
ヨハンの声に反応し、シエルが咄嗟に杖を構える。彼女に扱える魔法は、本来なら簡単な生活魔法程度のはずだった。
だが。
「――っ!」
シエルの杖の先から放たれた光が、迫っていた魔物の群れを一瞬で吹き飛ばした。
その光景に、周囲の冒険者たちがどよめく。
「な、今のは……」
「シエル?」
ヨハンが振り返ると、シエルは自分の手を見つめ、呆然としていた。
「わ、わからない。気づいたら、勝手に……」
力が、また無意識に発現した。
ヨハンの胸に、焦りと安堵が同時に押し寄せる。この力のおかげで、多くの命が救われたのは事実だ。だが同時に、シエルの中の「何か」が、確実に育ち始めている証拠でもあった。
「大丈夫か、シエル」
「うん……多分」
その間にも、戦闘は続いていた。レオンの奮戦もあり、魔物の群れは徐々に数を減らしていく。
だが、ヨハンはふと、群れの奥――魔物たちの動きの中心にあるものに、違和感を覚えた。
まるで、何者かが魔物たちを操っているかのような、不自然な統率。
目を凝らすと、遠く離れた丘の上に、小さな人影が立っているのが見えた。
「レオン、あそこ!」
ヨハンが指差した方向を、レオンも見た。
「……あれは」
人影は、こちらの様子を確認するように少しの間立っていたが、やがて踵を返し、丘の向こうへと姿を消した。
「誰だ、今のは」
「わからない。だが、あの魔物の群れ、明らかに普通じゃなかった。もしかしたら、あの人物が関係してるのかもしれない」
ヨハンの脳裏に、嫌な予感が広がった。
前回の生になかった出来事が、次々と起きている。魔物の異常発生。それを操るかのような何者かの存在。
――もしかして、これも「対」の均衡が崩れ始めている影響なのだろうか。それとも、まったく別の何かが、この世界で動き出しているのだろうか。
やがて、魔物の群れは完全に殲滅された。街の人々からは歓声が上がり、冒険者たちも互いの健闘を称え合っている。
だが、ヨハンの表情は晴れなかった。
「シエル、さっきの力のことなんだけど」
「うん」
「無理に抑え込もうとしなくていい。ただ、何か感じることがあったら、すぐに教えてほしい」
「わかった」
二人のやり取りを、少し離れた場所からミレイユが見つめていた。彼女の表情には、複雑な感情が浮かんでいたが、それでも小さく頷いた。
「――お疲れ様、二人とも。今日は、本当に助けられたよ」
ミレイユの言葉に、ヨハンとシエルは顔を見合わせ、小さく笑った。
戦いは終わった。だが、丘の向こうに消えた人影の正体、そして異常発生した魔物の謎は、まだ何一つ解明されていなかった。
街に戻る一行の頭上を、夕暮れの空が茜色に染めていた。
(第十一話へ続く)




