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夢を持てなかった俺へ。  作者: すーぱーのばぁ


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3/3

普通でいいじゃん。

「美月、俺さ、会社、辞めようと思ってる」


味噌汁を口に運ぼうとしていた彼女、山下美月の手が止まった。


「……え?」


テーブルの上には、スーパーで買った出来合いの唐揚げ。

サラダ。

味噌汁。


平日の、いつもの夕飯だった。


テレビでは芸人が騒いでいる。


でも部屋の空気だけが急に静かになった。


「辞めるって……仕事?」


「うん」


「転職?」


「いや、まだ決めてない」


彼女が眉をひそめる。


「決めてないって何?」


「だから、一回辞めて考えたいっていうか……」


言いながら、自分でもふわっとしてると思った。


でも、もう戻れない気がしていた。


彼女は箸を置く。


「ちょっと待って」


その声は、思ったより冷静だった。


「急すぎない?」


「前から考えてた」


「聞いてないけど」


「……言ってなかったから」


「いや、それ一番ダメじゃない?」


正論だった。


何も言い返せない。


でも今ここで引いたら、一生このままな気がした。


「別にさ、仕事嫌なわけじゃないんだよ」


「じゃあ何?」


「このまま終わりたくないっていうか……」


美月は小さく息を吐く。


「それ、最近よく言うよね」


「だって本当にそう思うし」


「でも湊、普通にちゃんとしてるじゃん」


その言葉に、妙にイラついた。


“普通”。


たぶん彼女は励ましてる。


でも俺には、“諦めろ”って言われてるみたいだった。


「普通って何だよ」


「え?」


「仕事して、結婚して、子供できて、それで終わり?」


「……終わりって何?」


「いや、だから」


うまく言葉にならない。


自分でも何に焦ってるのか分からない。


ただ、このまま人生が固定されていく感じが怖かった。


彼女は少し強い口調で言った。


「みんなそうやって生きてるじゃん」


「でも俺は嫌なんだよ」


「何が?」


「だから……!」


言葉が詰まる。


沈黙。


美月は呆れたみたいに笑った。


「湊ってさ」


「……何」


「何者かになりたいってずっと言ってるけど、具体的に何したいの?」


胸の奥がざわつく。


「それを探したいんだって」


「もう三十だよ?」


その瞬間、頭が熱くなった。


「三十だから何だよ」


「いや、現実見ようよって話」


「現実見てるから苦しいんだろ」


気づけば声が大きくなっていた。


彼女も少し苛立った顔になる。


「じゃあ聞くけど、仕事辞めてどうするの?」


「色々やる」


「だから何を?」


「……YouTubeとか」


言った瞬間、自分でも薄っぺらいと思った。


彼女もそれを感じたんだろう。


「YouTube?」


少し笑いそうな顔。


それが無性に腹立たしかった。


「何だよその反応」


「いや、ごめん。でも湊、前もやってたじゃん」


「……」


「三ヶ月くらいで辞めてなかった?」


やめろ。


その言葉が頭に浮かぶ。


でも彼女は止まらない。


「カメラもそうだったし、小説もそうだったし」


「……」


「結局いつも、“向いてなかった”で終わるじゃん」


心臓を掴まれたみたいだった。


自分が一番分かってる。


分かってるから苦しいんだ。


「でも今度は時間あるし」


「時間の問題じゃないでしょ」


彼女のその一言で、空気が変わった。


図星だった。


時間がないから続かなかった。


ずっとそう思ってた。


でも違うって、自分でも薄々気づいていた。


俺はたぶん、『才能が無い自分』を見るのが怖くて逃げてただけだ。


彼女が静かに言う。


「湊って、“頑張って失敗する”前に辞めるよね」


その瞬間、何かが切れた。


「……じゃあ何?普通に働けって?」


「誰もそんな言い方してない」


「してるだろ」


「してないって!」


彼女も声を荒げる。


「私はただ、今の生活捨てるほどの理由があるのか聞いてるだけじゃん!」


部屋が静かになる。


テレビの音だけが遠かった。


美月は少し俯いて、小さく言った。


「……私、湊と普通に結婚するんだと思ってた」


その言葉が、一番刺さった。


普通。


その未来は、たぶん幸せなんだと思う。


でも。


その未来を想像するたびに、息が詰まる自分もいた。


俺は黙ったまま立ち上がる。


「どこ行くの」


「……ちょっとコンビニ」


財布だけ持って部屋を出た。


夜風が冷たい。


マンションの階段を降りながら、自分でも最低だと思った。


美月は何も間違ってない。


むしろ正しい。


正しすぎる。


だから苦しい。


コンビニに入る。


白い光。


雑誌コーナー。

酒売り場。

深夜テンションの大学生。


いつもの景色。


レジ横に、宝くじのポスターが貼ってあった。


一等五億円。


少し前までなら、鼻で笑っていたと思う。


「どうせ当たらねぇよ」って。


でも今は違う。


もし、あれが当たってなかったら。


俺はこんな風に、“人生を変えたい”なんて本気で考えることもなかったんだろうか。


結局俺は、金があるから夢を見てるだけなんじゃないか。


そんな考えが頭をよぎる。


缶コーヒーを買って外に出る。


深夜の空気は静かだった。


しばらくして帰宅すると、部屋の電気は消えていた。


寝室を覗く。


彼女はもう寝ていた。


さっきまで喧嘩していたのに、静かな寝息を立てている。


その姿を見ていると、自分だけが勝手に焦っている気がした。


リビングに戻る。


ソファに座る。


暗い部屋。


スマホを開く。


銀行アプリ。


表示された預金残高。


桁がおかしかった。


何回見ても現実感がない。


人生を変えられる金。


普通なら、最高に幸せな気分なはずなんだ。


なのに俺は。


その数字を見つめながら、静かに思っていた。


――これで変われなかったら、俺はもう本当に「普通」なんだろうな。

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