第3話・別れの言葉を言いに行く話
水気の混ざった土の匂い。
質の良いローブが水を弾く音が妙に耳につく。
僕は泥を踏みしめ、街の少し治安の良くない所に足を踏み入れた。
深くフードをかぶって、人目を避けるように足早に歩を進める。
心臓が、うるさいくらいに速く脈打っていた。
(こんな姿で、街を歩くなんて……誰かに会ったらどうしよう)
それに、僕が花に飲み込まれてから数日はたってる。仕事熱心なフレットは別の冒険に旅立ってるかもしれない。
それでも、会える可能性に賭けてここまで来た。
こんな貧乏街ではこのローブは高貴すぎて悪目立ちする。
なるべく人気のない道を選んで進んだ。
ようやく辿り着いた宿の前で、足が止まる。
「ここがフレットの住んでる宿……パーティリーダーなのに、僕と同じグレートの宿なんだ」
人の気配は感じる。留守ではなさそうだ。
思わずノックしてから、次の言葉を何も考えてないことに気づいて、胸がざわついた。
(なんて言ったらいいんだろう……?)
僕、もうこんな姿だし。
アシュだって、分かってもらえるだろうか。
まごまごしていると、扉が内側から開いた。ツンとする質の悪いアルコール臭が鼻を刺す。
昼間から酒を飲んでいるのは冒険者らしいけど……なんか、フレットらしくない。
「すみません。えーっと……」
言葉が出てこない。
何を言えばいいのか分からず、思わず目を逸らすと、鋭い目が僕を捉えた。胸が、ぎゅっと痛んだ。
「なんだよ、今機嫌が悪いんだ。用事ならまた今度に……」
指が小さく震える。
こんな姿を見せたら、気持ち悪がられるかもしれない。
声も変わってるし、歩き方も違う。
僕ですら「本当にアシュなのか」と不安になるくらいだ。
もしかして、お化けだと思われるかも……。
でも——顔も見せずに別れを告げるなんて、絶対に嫌だった。
フレットには、ちゃんと僕が生きていることを知ってほしい。
深く息を吸い込んで、僕はゆっくりとフードを後ろに下ろした。
「……アシュ?」
気づいて、貰えた。
部屋に入った僕とフレット。
最近は荒れてる様に見えた。荷物が散らかり、埃っぽい空気が漂っている。
「……いや、アシュはこんなに小さく無かったし、女でもねぇ。アシュの妹か何かか?」
「アシュで合ってる。妹なんかじゃないよ……」
声が上ずった。
ローブの裾を掴む手が小さく震える。
もう胸も張ってきて、腰のラインも柔らかくなっている。身体は以前と完全に別物だ。
逆に「僕の妹がからかってる」って思われたらどうしよう……
でも、下手な嘘で誤魔化したくなかった。
フレットには、本当の僕を知ってほしかった。
僕は深く息を吐き、ローブを一気に脱ぎ捨てた。
「……はぁ、アシュ、なんだな。」
フレットは大きくため息をついたあと、呆れたように続けた。
「いつもいつも……少しは警戒心とか持てよ。酒入ってる男の前でそんな格好さらけ出したら襲われるぞ!」
「え……?」
いまいちピンと来なくて首を傾げる。
僕、男だし、相手はフレットなのに……何で襲われる話になるの?
フレットはまたため息をつき、乱暴に僕の頭をわしわしと撫でてきた。
「すごく心配したんだ。何があったのか、色々語ってもらう。まず飲め」
そう言って差し出された杯を受け取り、僕たちはお酒を飲み始めた。
「良かった。俺、お前の事、病気で死んだ妹みたいに思っててな。いや、お人好しな所が被るんだよ。だから、ホントに生きてて良かった……」
フレットは涙を浮かべながら語る。その言葉に、胸の奥が熱くなった。
妹扱いされているのは少しショックだったけど……それ以上に、誰かに「生きてて良かった」と思ってもらえたことが、ものすごく嬉しかった。
心が、じんわりと温かくなる。
……ちなみにお酒は、相変わらず苦かった。
うん、どう話そう。
お別れを言いに来ただけなのに、気がつけば二人でお酒を飲んでいる。
ただ話すだけじゃ、フレットを巻き込んでしまう。
それに、こんな話を信じてもらえるかわからない……。
(そんな事だろうと思った。仕方ないね。私が変わろう)
そう話すと、僕の付けていたネックレスが光り始めた。そして、それはみるみる大きくなって猫の形になった。
「アシュ、こいつ……何者だ?」
フレットは猫姿のリアリスに警戒しながら、体を低く構える。
リアリスは僕の肩に乗っかって、くすくすと笑っている。
「あはは、はじめまして、フレット君。アシュちゃんの事情を説明しに来た者だよ。リアリスと名乗っておこうか」
フレットは無意識に腰の剣に手を伸ばした。
彼とリアリスが睨み合う。
一触即発の空気が部屋に満ちた。
「えーっと……魔王なんだ……」
僕は観念するように、か細い声で絞り出した。
「……つまり、アシュは魔王を復活させてしまって、その呪いで女になっていくって事かよ」
リアリスの説明を聞いたフレットは、呆れたようにそうまとめた。
「モンスターに食われそうな時に荷物を置いていった事といい、お人好しもここまで行くと病気だぞ?」
フレットに呆れられるのも仕方がないかもしれない。
でも、冒険を続けるには荷物が大切だし、女の子が捕らえられていたら助けるのも普通じゃないの……?
「僕はフレットにお別れを言いに来たんだ。今まで色々お世話してくれて、ありがとうって、そう言いたくて……」
フレットにお別れを言うことが、リアリスの眷属になって、人類の敵になってしまった僕の、唯一のわがままだった。
「はぁ……」
フレットが深くため息をつく。
言いたいことも言ったし、そろそろ僕も去ろう。あんまり長くいたら、名残惜しくなってしまいそうで……。
そう思って腰を上げた瞬間だった。
「アシュは俺が守る。アシュが人類の敵なら、俺も人類と敵対してやんよ」
……え?
意味がわからなかった。
人類の敵だよ? 僕を守るために、世界を敵に回すって……?でも、心の奥がほわっと温かくなった。
一人じゃないって、こんなに心強いことだったなんて……
本当は巻き込んじゃいけないのに、僕は「どうして……?」と問いかけることしかできなかった。
「どうしても何もねぇ。お前がいなくなっちまって俺は荒れたんだ、そんだけ大切だったってことなんだよ」
僕が……大切?その言葉が胸に刺さった瞬間、目が急に熱くなって、視界がぼやけた。
あれ……僕、泣いてる?
「それに……」
フレットはリアリスの方に顔を向けた。
「魔王がこの話を聞いた俺を、生かしておくと思うか? こいつは、もう俺を計画の一部と見なしてんだよ」
僕はハッとして、リアリスの方を覗き込んだ。
リアリスは無関係な人を巻き込むような魔王じゃないと思っていたけど……フレットはもう、完全に巻き込まれてしまっている。
猫の姿をしたリアリスは、ニヤリと笑った。
それはとても悪魔的で、フレットにも、もう逃げ道がないことが、僕にも痛いほど伝わった。
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