第二十二話 罪深さ
セナの視線は床下に伸び、そして引き戻された。
強引にではなく、彼女の無意識が本能のうちにそうしてしまっていた。
いま、ここで返事をしなければ、自由になれる。
理性が懸命に歯止めをかけようするが、それは心によって無視されてしまっていた。
「バルシャードを出てから、そう長くないわ」
「どういうことかな? もう聖リンセニア大学を卒業するものかと思っていた」
面白いことを言う人だ、とセナの目が愉快そうに輝いた。
自分はそんなに年上に見えるのかしら、と普段の忙しい環境がそう見せているのかもしれないと思った。
ミアに年上に感じさせてごめん、と心で謝罪をしつつ、彼に目を細めて首をかしげた。
ロバートは驚きながら、訂正をする。
「人生経験が豊富なように見えた」
「……経験は人を豊かにするものよ」
「だったら、本当はもう大学を卒業したとか?」
「まさか」
セナはグラスをかたむけながら、それはないわ、と否定する。
ロバートは正解を求めるように、宙に視線を彷徨わせた。
「まさか今年卒業したばかりとか」
「それもないわね。あなたより年上ということも」
「そういうことか」
悪戯に、これ以上話題を引き延ばしても、彼に悪い気がした。
十八よ、と彼の耳に口元を寄せて、秘密をささやいた。
その言葉に、ロバートは再度驚いていた。
年上ということはないが、多分、同年代だろうと予測していたからだ。
「あと数年で卒業ということか。その後はどうするつもりなんだ?」
「……博士課程に進みたいと思っているの」
勉強が好きな女性にもほどがあると、ロバートは内心思った。
彼の常識にある貴族令嬢というものは、大学までは行くがそこは社交界で生きていくための人脈を作る場所であり、専門的な研究職に就くものではなかったからだ。
同時にどんなものを学んでいるのかと興味が湧いた。
聖リンセニア大学。
そこは戦女神ラフィネを奉る神殿が運営する聖女も通う学び舎だ。
神官か、司祭か。それとも、珍しいところでは魔導書の司書という職位もある。
「君の才能があまりにも豊かに思えて、どんな未来を歩むのか俺には分からないな」
「帝国の古い歴史を探す仕事」
端的にそう答えた。
ミアの専門は、かなり珍しいものだからだ。
あの子の学んでいるのは……とその詳細を頭に描く。
思い出そうとすると、シャンパンの酔いがほどよく回っていて、記憶に靄がかかったようになる。
化石の研究。
そうだ、思い出した。ミアの専攻は、魔石の鉱脈に埋まった、古代の魔獣たちの化石の研究だった。
何て面倒くさいものに興味を示したのだろう、あの従姉妹は。
苦笑して、彼女に成りきることをどうにか続けていく。
「古い歴史を探す? どれくらい古い歴史だ?」
「ずっと昔。まだ神や魔が地上にいたころの、そんな昔の探求。歴史を探るといってもいいわ」
ロバートはセナと同じを苦笑して見せた。
才能や知識をひけらかすごとく、金持ちは自分のアピールに余念がない。
その多くが身分がある者の義務だといわんばかりに、慈善事業に投資をする。
信仰している神に対して、自分の欲がない、清廉さを示すためだ。
それに対してセナの返事は面白い。
知的探求心。知りたいという欲求が、彼女を研究職へと導いているように彼には思えた。
「歴史の中には隠された秘密がある。学ぶことは何においても人生を彩る」
「今夜ここで私を誘ってくださったこともそうなの?」
してはいけない質問だと分かっていながら、セナはそれを口にした。
自分を求めているのか、という意味を含めて。
ここには彼の妻になるために招待された女性達がたくさんいる。
その中には彼女よりも素晴らしく、彼女よりも彼にふさわしい女性がいるはずだった。
拒絶をして欲しいと一瞬だけ祈った。
そうすれば、これ以上深みにはまらずに済む。
親友の厚意に応えるのは、もうここまでで十分ではないか。
そう思えていたからだ。心の声とは真逆の理性がそう告げていた。
何度目かの理性の警告受けて、セナはそれ以上の探求を止めた。
こう言えば彼は自分のことが諦めるだろう、と予測できたからだ。
「俺は君のことをまだ帰したいと思わない」
「……殿下?」
ロバートは挑戦的な彼女の物言いに、その黒い仮面をはいで、美しいであろう彼女の素顔に触れたくなった。
想像が尽きない彼女への想いが、そこに実っていることを祈っていた。
不意打ちだった。
セナは見事に予測を裏切られ、不安に心を焦らせた。
ほんの少しだけ喉を潤す気分だったワインを、気づかないうちに一気に飲み干していた。
薄い唇の端から、しずくがこぼれ、そっとそれを口の中に戻す舌先を見て、ロバートは深い妄想に耽った。
淑女らしい彼女の行動が、その中にあるであろう慎みを失った時、自分達はどんなに魅惑的な時間を過ごせるかと考えたのだ。
セナがどんな顔を隠しても、受け入れる準備がロバートの中には着々と整っていた。
ダンスを通じて彼女をその腕に抱く瞬間だけは、湧き上がる情熱を楽しめる。
席を立ち上がると、ロバートはセナに向かい、もう一度催促するように彼女をダンスに誘った。
手を差し出し、深く腰を沈める。
「どうかもう一度俺と踊ってくれないか? 麗しい、ミス・セナ」
「殿下……」
セナは瞳に情熱的な炎をたたえると、困ったように目を伏せながらはにかんで見せた。
彼の指先が彼女の指に触れたとき、本当の情熱的な夜が始まろうとしていた。




