第026話:最後通牒
応接室の扉が、激しい勢いで外側から押し開けられた。
「失礼いたします、閣下!」
初老の執事が、青ざめた顔で駆け込んできた。
「どうした、取り込み中だぞ」
「も、申し訳ございません! ですが、王立魔導院の特使、ドミニク卿が、制止を振り切ってこちらへ!」
執事の言葉が終わるより早く、廊下から重い足音が響いてきた。
部屋に入ってきたのは、金糸の刺繍が施された豪奢な紫色の法衣を纏った男だった。
細身の体に鷲鼻、薄い唇に嘲弄の笑みを浮かべている。
その背後には、揃いの暗灰色の魔導ローブを着た4人の護衛術士が、威圧的な気配を放ちながら控えていた。
「挨拶もなしに通らせてもらったよ、アンリ伯爵」
甲高い、耳障りな声が応接室に響き渡る。
「ドミニク卿。アポイントのない来訪は礼を失していると、何度言えば理解していただけるのか」
アンリ伯爵が立ち上がり、冷徹な声で迎撃した。
先ほどの温和な表情は消え去り、領主としての威厳に満ちた厳しい眼差しが男を射抜く。
「おや、手厳しい。こちらも王都からの公務で忙しくてね。無駄な手続きに時間を割く余裕がないのだよ」
ドミニクと呼ばれた特使は、部屋の中にいるヴェラと俺を一瞥した。
平民の旅装と男爵家の徽章を見下すように鼻で笑う。
「ふん、地方の小娘と雇われの野良犬か。フォンテーヌ家も随分と客人の選定が落ちたものだな」
ヴェラが悔しそうに拳を握りしめ、何か言い返そうと唇を開きかけた。
俺は無言で手を上げ、それを制した。今ここで小娘一人が噛みついたところで、状況は何一つ動かない。
ヴェラは奥歯を噛んで視線を伏せたが、握った拳の震えは収まらなかった。
ドミニクは懐から、紫色の封蝋が施された豪奢な羊皮紙を取り出し、卓上へと乱暴に放り投げた。
「本題に入ろう。王立魔導院総裁、レジナルド・ヴァンス侯爵閣下からの親書だ。最後通牒と言ってもいい」
ヴァンス侯爵の名が出た瞬間、アンリ伯爵の眉根が険しく吊り上がった。
ノラが怯えたように、アンリ伯爵の背後へと身を寄せる。
「ノラ殿の王立魔導院への特待生編入受諾書だ。本日中に、閣下の署名をいただきたい」
「断る。何度も同じ返答をさせて時間を浪費させるな。ノラは我がフォンテーヌ家の大切な娘だ。王都へ送る意思はない」
「ほう? 地方貴族の養女風情が、宮廷魔導の総本山で学べる千載一遇の機会を蹴るというのか」
「行きません」
小さいが、はっきりとした声だった。
アンリ伯爵の陰から、ノラが一歩前へ出る。震える拳を握りしめ、まっすぐにドミニクを見上げていた。
「私は、フォンテーヌの娘です。お父様を、この街を裏切ってまで欲しい椅子なんて、どこにもありません」
ドミニクの唇が、愉快そうに歪んだ。
「小娘の意地など、誰も聞いてはいない」
フードの奥で、俺は奥歯を軽く噛んだ。
怯えた仕草の下に、芯の通った声があった。どこかで見覚えのある強さだった気がして、そんな自分に舌打ちしたくなる。
ドミニクは薄ら笑いを浮かべ、アンリ伯爵の顔を覗き込んだ。
「10歳の判定で光の適性を持ち、規格外の魂力の器を宿した神童。その才能をこのような辺境の温室で腐らせるなど、国家的な損失だ。ヴァンス侯爵閣下自らが、直属の魔導部隊で鍛え上げてくださるというのに」
「建前は聞き飽きた! ヴァンス侯爵の真の目的が、才ある子供を囲い込み、私兵として使役することなど先刻承知だ!」
アンリ伯爵が一喝した。
ドミニクの表情から、侮蔑的な笑みが消え失せた。
「言葉には気をつけることだな、アンリ卿。侯爵閣下への侮辱は、王室への叛逆と同義だぞ」
ドミニクは一歩前へ踏み出し、冷たい殺気を漂わせた。
「拒否なさるなら、それ相応の覚悟をしていただく。フォンテーヌ領の交易特権の停止、さらには反逆幇助の嫌疑で王都への召喚状が飛ぶことになる。この領の繁栄も、今日限りで終わりかもしれんな」
露骨な脅迫だった。
背後の護衛術士たちが、杖の石突を床に打ち鳴らし、威圧するように魔力を滲ませる。
石突が大理石を叩く音が、耳の奥に硬く反響した。張り詰めた魔力が焦げたような匂いを纏い、鼻の奥をちりつかせる。
応接室の空気が、張り詰めた氷のように凍りついた。
アンリ伯爵は拳を震わせ、ノラは青ざめた顔で養父の服の裾を強く握りしめている。
俺は壁際で、フードの奥からドミニクの喉元を見据えていた。
外套の下、右腕の義手がぎちりと小さな金属音を立てる。
指先の鋼鉄ワイヤーが、主の殺気に応じるようにかすかに蠢いた。
この場で首を刎ねるのは造作もない。喉元までは、たった三歩。
だが、ここで血を流せば、フォンテーヌ家が窮地に陥る。護衛術士四人纏めて仕留めるだけなら瞬き二つで済むが、扉の外に何人控えているかまでは読めなかった。
今はまだ、その時ではない。
「本日の日没までに返答をいただこう。賢明な判断を期待しているよ、伯爵」
ドミニクは冷笑を残し、背を向けて応接室を去っていった。
アンリ伯爵は握りしめた拳を震わせたまま、閉じた扉を睨み続けていた。
ヴェラが小さく息を吐き、強張っていた肩をようやく緩める。
ノラだけが、俯いたまま動かなかった。
重々しい足音が遠ざかり、部屋の中には鉛のような沈黙だけが取り残された。




