第016話:断罪
夜明けのアッシュフォード中央広場は、かつてない異常な熱気に包まれていた。
カン、カン、カン!
火急の事態を告げる大鐘の音が、けたたましく街中に響き渡っている。
何事かと家を飛び出してきた町人や商人、ギルドの酒場から駆けつけてきた冒険者たちが、雪崩を打つように広場へと押し寄せていた。
群衆の視線が集中していたのは、広場の中央、普段は罪人を晒すための石造りの高台だった。
「おい、見ろよ、あれを!」
「嘘だろ、あそこに縛られてるの、領主様じゃないか!?」
「隣に転がってるのは、オズワルド様だぞ!」
どよめきが、波紋のように瞬く間に広がっていく。
石壇の上には、引き裂かれたカーテンのロープで背中合わせに固く縛り上げられた、ダグラス伯爵とオズワルドの姿があった。
口には汚れた布を噛まされ、着飾っていたはずの毛皮の外套や高級な衣服は泥にまみれている。
二人は恐怖と寒さにガタガタと震えながら、広場を埋め尽くした領民たちの視線に晒されていた。
昨夜まで街の頂点に君臨していた絶対的な支配者が、今や広場の真ん中で無様な見せ物に成り下がっていた。
「誰がこんなことをしたんだ」
「私兵どもは何をしている!」
群衆がざわめき、混乱が頂点に達しようとしたその時。
パカラン、パカラン、と整然とした蹄の音が、大通りの向こうから響いてきた。
「道を開けよ! 国王陛下直属、特命監査団の入場である!」
響き渡る号令とともに、白銀の全身甲冑に身を包んだ騎士部隊が、広場を二つに割るようにして進軍してきた。
掲げられているのは、アルビオン王国の金糸の紋章旗、そして隣領エインズワース子爵家の青い鷲の旗印だった。
群衆が息を呑んで左右へと押し退けられる。
隊列の先頭を進む駿馬の上には、厳格な表情を湛えた銀髪の特命監査官。
そしてその隣には、ハーロウ魔法学園の紺色の制服を着た少女、ヴェラ・ソーンが毅然とした面持ちで手綱を握っていた。
ヴェラは馬を石壇の前で止めると、鮮やかに下馬し、監査官へ向かって深く一礼した。
「監査官様、ご覧の通りです。不法に身柄を拘束されていたわけではなく、逃亡を図ろうとしていた当主親子を、現行犯として確保いたしました」
「ご苦労であった、ソーン男爵令嬢。見事な手引きだ」
監査官は重々しく頷き、馬から降りて石壇へと歩みを進めた。
銀の甲冑の擦れ合う硬質な音が、静まり返った広場に響く。
監査官はダグラスの口から乱暴に猿轡を引き抜かせた。
「ぶはっ! か、監査官殿! 助けてくれ!」
猿轡を外されたダグラスが、唾を撒き散らしながら絶叫した。
「これは罠だ! 手配犯のグレイという余所者の賊が、私と息子を騙し討ちにしたのだ! エインズワース子爵家が、我が領地を不法に乗っ取るために仕組んだ陰謀に違いない! 今すぐ私兵を呼び集め、あの賊どもを全員縛り首に処せ!」
「黙れ、見苦しいぞダグラス・コルヴィン!」
監査官の雷鳴のような一喝が、ダグラスの喚き声を叩き潰した。
監査官は懐から、分厚い革表紙の帳簿と、一枚の羊皮紙を取り出し、広場の群衆に向けて高く掲げた。
「ここに、エインズワース子爵家を通じて王都へ提出された、コルヴィン伯爵家の裏帳簿がある!」
広場が静まり返る。
「ダグラス・コルヴィン! 貴様は過去6年間にわたり、王都からアッシュフォード孤児院へと支払われていたはずの維持補助金、計金貨300枚以上を私的に横領し、領主邸の贅沢品や高級酒の買い付けに流用していた!」
一拍の間を置いて、群衆の中からざわめきが上がった。
「孤児院の補助金を横領?」
「あそこの孤児院、金がないって言って取り壊されたはずじゃ」
「俺たちが納めた税金も、全部あいつらの酒代に消えてたってことか!?」
監査官の声は容赦なく続いた。
「それだけではない! 領民に対する法外な不当課税、並びに私兵隊長オズワルドによる商人への違法なみかじめ料の強要! さらに、これらの不正が暴かれることを恐れ、手配令を悪用して街を封鎖した上、裏社会の闇ギルドへ金貨100枚で標的の暗殺を依頼した!」
監査官が突きつけた羊皮紙。
そこには、コルヴィン伯爵家の赤い家紋封蝋が鮮明に押されていた。
「ひ、ひぃぃっ!」
ダグラスの顔から完全に血の気が引いた。
「この帳簿の署名、ならびに暗殺依頼書の封蝋は、貴様自身の魂力印章と完全に一致している。王都魔導監査局の鑑定に一点の狂いもない! さらに昨夜、旧地下水路の闇ギルド拠点は完全に制圧され、捕縛された暗殺者頭目からも貴様の犯行を裏付ける自白調書が得られている!」
決定的な証拠の前に、ダグラスの言い逃れは完全に粉砕された。
瞬間、中央広場を埋め尽くした数千の領民から、地鳴りのような怒号が爆発した。
「ふざけるな! 俺たちの金を返せ!」
「親のいない子供たちの金を盗んで生きていたのか!」
「泥棒貴族! 万死に値するぞ!」
「オズワルドの野郎も同罪だ! 街のチンピラと変わらねえじゃねえか!」
怒りと憎悪の叫びが、雨あられのように石壇へと降り注ぐ。
腐った野菜や泥炭が投げ込まれ、ダグラスとオズワルドの顔を容赦なく汚していった。
これまで伯爵家の権力と私兵の暴力に怯え、息を潜めて耐え忍んできた街の人間たちの怒りが、一気に吹き荒れていた。
「や、やめろ! 無礼者どもが! 私は貴族だぞ! 平民風情が私に物を投げるな!」
ダグラスは泥まみれになりながら喚き散らしたが、その声は民衆の怒号にかき消された。
隣のオズワルドは、あまりの恐怖に泡を吹き、ただ震えながら床に頭を押し付けて泣き叫んでいた。
「父上、もう嫌だ! 助けてくれ! 俺は学園のエリートなんだ! こんなところで死にたくない!」
かつて教会の壇上で、腕を失った孤児を見下して嘲笑していた傲慢な貴族の面影は、どこにもなかった。
ただ惨めに命乞いを繰り返す、哀れな敗残者にすぎなかった。
監査官が手を挙げ、民衆の怒号を静めた。
懐から取り出されたのは、国王陛下の親署が入った金色の羊皮紙だった。
「国王陛下の名において、判決を言い渡す!」
広場が水を打ったように静まり返る。
「コルヴィン伯爵ダグラス、並びにオズワルドの二名に対し、本日をもって伯爵位の剥奪、家名断絶、領地および私有財産の全没収を命ず! 両名は王都の重犯罪者収容牢獄へ護送し、終身の鉱山強制労働刑に処すものとする!」
爵位剥奪。家名断絶。全財産没収。
名門としての体面を保つために不正を重ねてきたダグラスにとって、それは死よりも残酷な完全なる破滅の宣告だった。
「あ、あああっ!」
ダグラスは喉を掻きむしり、白目を剥いて石壇の上に崩れ落ちた。
「連行せよ!」
監査官の冷厳な命を受け、騎士たちが石壇へ上がり、二人を粗雑に引き起こした。
重い鉄の鎖が手首と足首に巻かれ、ガチャリと冷たい音を立てて施錠される。
泥と汚水にまみれ、引きずられるようにして護送馬車へと押し込まれていく元伯爵父子。
その背中に向けて、民衆から割れんばかりの歓声と罵声が浴びせられた。
広場の隅、石造りの鐘楼の影。
黒い外套のフードを目深に被った俺は、腕を組み、その光景を冷ややかに見届けていた。
石壇の上で、ヴェラがふと視線をこちらに向けた。
群衆の歓声の中、彼女は小さく、だが誇らしげに頷いてみせた。
6年前に俺を嘲笑し、家族同然の日常を奪う元凶となった巨塔が、今、完全に瓦解した。
だが、俺の胸に去来したのは、歓喜でも達成感でもなかった。
ただ、氷のように研ぎ澄まされた静寂だけが、冷たく横たわっていた。




