第014話:巣を焼く
本日は2話更新します。
よろしくお願いします。
夜が明け、砕けた窓から冷たい朝の光が差し込んでいた。
特等室の床には、頑丈な麻縄で幾重にも縛り上げられた暗殺者の頭目が転がされていた。
覆面を剥ぎ取られたその顔は、脂汗と泥にまみれ、恐怖で青ざめている。
俺は右肩を軽く回した。
皮膚をかすめた毒針の傷は、ヴェラが徹夜で水魔法の治癒を施してくれたおかげで、すでに麻痺は完全に抜けていた。
わずかに筋肉が強張る程度で、剣を振るうのに何の支障もない。
「私の水魔法、ちゃんと効いたみたいですね」
部屋の隅で、目の下に薄い隈を作ったヴェラが、誇らしげに胸を張った。
一晩中、水属性で傷口を癒し続けてくれたのだ。
昨夜の戦闘といい、この小娘がいなければ、今頃俺の右腕は完全に壊死していただろう。
「礼は言わんぞ」
「期待していません。それより、その男をどうするんですか」
ヴェラが眉をひそめて床の頭目を見下ろした。
俺は頭目の前にしゃがみ込み、鋼鉄の右手の指先を、男の右手の甲へとゆっくり押し当てた。
「おい。起きろ」
「ひっ!」
頭目が跳ね起きるように目を開いた。
俺の冷え切った視線と目が合った瞬間、男の喉からかすれた悲鳴が漏れる。
「叫ぶな。ここは高級宿だ。他領の貴族様に迷惑がかかる」
俺は右腕の指先に、わずかに体重を乗せた。
メキ、と男の指骨が軋む鈍い音が鳴る。
「ぎゃあああっ!」
「質問は二つだ。依頼主は誰だ。アジトはどこにある」
「い、言えねえ! 裏切ったら俺は消される!」
「今ここで指を一本ずつ砕かれるか、後で消されるか。好きな方を選べ」
俺が無感情に告げ、さらに圧力を加える。
指骨が一本、完全にへし折れる音が室内に響いた。
「ぎゃああああっ! 言う、言うからやめてくれ!」
男は涙と鼻水を垂らしながら、無様に叫んだ。
プロの暗殺者といえども、逃げ場のない激痛の前にはただの臆病者だった。
「依頼主はダグラス伯爵だ! 息子のオズワルドが広場で大恥をかかされたと喚いて、親父の伯爵が直々に俺たちを雇った! 手配書で足止めしている間に、確実に暗殺しろってな!」
「前金は何を受け取った」
「金貨30枚だ! 残りは仕留めた後に金貨70枚、それと伯爵邸の地下蔵から持ち出した高級酒を数樽、色を付けて渡されただけだ!」
昨夜奪った裏帳簿の記録が、頭の中で噛み合った。
孤児院の維持補助金から引き出された使途不明金、そして領主邸へ不自然に搬入されていた高級酒の記載。
ダグラス伯爵は、孤児たちから巻き上げた金で買い溜めた私財を、そのまま暗殺の報酬に充てていたのだ。
広場での醜態を隠蔽し、奪われた帳簿を取り戻すために、領主自らが裏社会の暗殺ギルドへ口封じを依頼した動かぬ裏付けだった。
「アジトの場所は」
「旧地下水路の第3工区だ! 崩落して使われなくなった廃水路の奥に、俺たちの拠点を構えてる! 全部喋った、頼む、助けてくれ!」
俺は右手の力を抜き、男の顎を左足のつま先で軽く蹴り上げた。
鈍い音とともに男の首が跳ね、白目を剥いて再び気絶した。
「領主が裏社会の暗殺組織を使って市民を消そうとするなんて」
ヴェラが震える声で呟いた。
学園で守られて育ってきた男爵令嬢にとって、この街の腐敗は想像を絶するものだったに違いない。
「この街じゃ日常茶飯事だ」
俺は立ち上がり、腰の鞘に直剣を収めた。
「お前はここで部屋の鍵をかけて待っていろ。このゴミ共の見張りだ」
「待ってください、私も行きます!」
「断る。地下水路は狭い。お前を連れて行けば足手まといだ。昨夜の水魔法は上出来だったが、閉所での乱闘はお前の役目じゃない」
ヴェラは悔しそうに唇を噛んだが、俺の言葉の正しさを理解したのか、静かに頷いた。
「分かりました。その代わり、無茶はしないでください。解毒の薬草を煎じて待っていますから」
「気が向いたらな」
俺は黒い外套のフードを深く被り、部屋の勝手口から音もなく抜け出した。
*
スラム街の外れ、打ち捨てられた錆びたマンホールから、俺は旧地下水路へと降り立った。
足元には足首まで浸かるほどの汚水。
腐敗臭と湿気が混ざり合った生温かい空気が、鼻腔を突く。
天井の苔むした石組みからは、絶え間なく水滴が滴り落ちていた。
暗殺者が白状した第3工区へと、俺は音もなく足を進めた。
迷路のように入り組んだ水路の奥、古びた鉄格子の扉の向こうに、微かな明かりが見えてきた。
「おい、頭目たちの戻りが遅いな」
「相手はたかが余所者のガキだぞ。女の部屋に踏み込んで、手こずるはずがねえ」
粗野な男たちの話し声が聞こえてくる。
闇ギルド、灰這いの残党たちだ。
俺は隠れることなく、鉄扉の前に立った。
左足を引いて、鉄扉の錠前へ向けて一撃を叩き込む。
ドガァンッ!
轟音とともに鉄扉が蝶番ごと吹き飛び、室内の石壁に叩きつけられた。
「な、なんだ!?」
「誰だ貴様!」
広間の中にいた十数名の黒装束の男たちが、一斉に立ち上がって短剣や毒針を構えた。
だが、その男たちの顔を認識するより早く、俺は水飛沫を蹴立てて跳躍していた。
ヒュッ!
直剣が一閃する。
先頭にいた男の右肩から胸元を切り裂き、血飛沫とともに床へ沈める。
「侵入者だ! 殺せ!」
残る男たちが一斉に短剣を逆手に構え、死角から群がってきた。
だが、手口を完全に把握した相手など、恐れるに足らない。
飛来する毒針を直剣の腹で払い落とし、懐へ潜り込んできた男の喉笛を鋼の左拳で撃ち抜く。
骨が砕ける音とともに男が崩れ落ちる。
さらに三人が左右と背後から同時に刃を突き出してきた。
俺は直剣を逆手に持ち替え、床の汚水へと突き立てた。
土属性に、打撃を乗せる。
ズズズンッ!
地下水路の石組みが激しく軋み、天井の巨大な石材が一斉に崩落した。
「うわあああっ!」
降り注ぐ石の雨が、暗殺者たちの退路と連携を完全に押し潰す。
直撃を免れた男たちも、落盤の余波に足元をすくわれて汚水の中へ倒れ込んだ。
俺はその隙を見逃さず、直剣の峰打ちと鉄拳で、残る男たちを容赦なく叩き伏せていった。
数分後。
地下水路の広間には、呻き声すら上げられない十数名の暗殺者の山が築かれていた。
*
広間の最奥にある、分厚い木で作られた執務机。
俺はその引き出しを直剣でこじ開け、中身を荒々しく引っ張り出した。
金貨の袋、毒薬の小瓶、そして何冊かの帳簿。
その中から、一枚の上等な羊皮紙が滑り落ちた。
そこには、紛れもないダグラス・コルヴィン伯爵の直筆で、こう記されていた。
「冒険者グレイの確実なる暗殺を命ず。首級と引き換えに、金貨100枚を支払うものとす」
書状の末尾には、コルヴィン伯爵家の家紋が刻まれた赤い封蝋が鮮明に押されている。
領主が裏社会の暗殺ギルドへ殺人を依頼した、動かぬ現行の証拠だった。
「これでお前も、ただの失脚じゃ済まなくなったな」
俺は冷笑を浮かべ、依頼書を懐へとしまい込んだ。
裏帳簿に加え、この暗殺依頼書があれば、王都の監査官も言い逃れの余地を与えずに伯爵を捕縛できる。
だが、引き出しの奥には、もう一つ奇妙な書類の束が残されていた。
暗殺ギルドが使用していた毒薬や、特殊な暗殺具の仕入れ記録だ。
ページをめくると、取引先の署名欄に、見たこともない紋章が押されていた。
二頭の毒蛇が、王冠を呑み込もうとしている不気味な刻印。
「蛇の刻印か」
取引の宛先には、王都の裏社会を指すらしい隠語がびっしりと記されていた。
単なる地方のチンピラ暗殺組織ではない。
この闇ギルドは、王都の権力者と繋がる、もっと大きな何かから武器や毒の供給を受けていたらしい。
俺の胸の奥で、冷たい違和感がざわめいた。
地方の腐敗貴族の裏に、まだ何かがある。
「ふん。今は関係ないな」
俺は羊皮紙を一枚だけ引き抜き、残りの書類を机の上へぶちまけた。
壁に掲げられていた松明を手に取り、油の染みた書類の山へと投げ落とす。
ボッ!
瞬く間に紅蓮の炎が執務机を包み込み、黒煙が天井へと立ち上った。
アッシュフォードの地下に巣食っていた闇のギルドは、これで完全に灰へと変わる。
俺は燃え盛る炎を背にして踵を返し、地下水路の出口へと歩き出した。
伯爵家を完全に破滅させるための札は、すべて揃った。
次は、アッシュフォードの丘の上に聳え立つ、あの傲慢な城へ乗り込む番だ。




