第011話:貴族の盾
スラム街を抜け、大通りへと続く辻に差しかかったところで、俺たちは立ち止まった。
通りの出口に、槍を手にした私兵が四人、検問のように立ちふさがっていたからだ。
通行人の顔を一人ひとり睨みつけ、手配書の似顔絵と照らし合わせている。
引き返せば逆に怪しまれる距離だった。
俺は外套の下で、左手を静かに直剣の柄へと滑らせた。
四人程度なら、息を止める間に首をへし折れる。
だが、俺が動くより先に、ヴェラがすっと前に出た。
「おい、そこな二人組、止まれ!」
私兵の隊長格が、槍の石突を石畳に叩きつけて怒鳴った。
その視線が、フードを目深に被った俺の姿に留まる。
「そこのフードの男、怪しいな。顔を見せろ!」
私兵たちが槍の切っ先をこちらに向けて歩み寄ってくる。
俺が踏み込もうとした瞬間、ヴェラが制服の胸元から銀の紋章を掲げ、冷然たる声で言い放った。
「無礼ですよ。控えなさい」
その澄んだ声に、私兵たちの足がぴたりと止まった。
「な、なんだ、小娘?」
「私はハーロウ魔法学園の上級生、ソーン男爵家のヴェラ・ソーンです。学園長とエインズワース子爵家の正式な許可を得て、学術実地調査のためにこの街へ参りました」
ヴェラは懐から取り出した羊皮紙の書状を、私兵隊長の目の前に突きつけた。
そこにはエインズワース子爵家の青い封蝋と、学園の刻印が鮮やかに輝いていた。
「背後にいるのは、私の身辺警護のために同行している専属の護衛です。身元改めの名目で他領の貴族令嬢に槍を向けるとは、コルヴィン伯爵家はエインズワース子爵領に喧嘩を売るおつもりですか?」
ヴェラの瞳には、一片の揺らぎもなかった。
学園のエリートクラスで最下位と見下されていた少女が、今、貴族の矜持と威厳を全身に纏って立っていた。
私兵隊長の顔から急速に血の気が引いていく。
アッシュフォードの没落伯爵家にとって、隣領の有力なエインズワース子爵家に不敬を働くことなど、許されるはずがなかった。
「め、滅相もございません! 手配犯の捜索に気を取られ、大変な無礼を!」
「分かればよいのです。私たちは中央通りの白銀の獅子亭へ急いでいます。通してください」
「は、ハッ! 道を開けろ!」
私兵隊長が慌てて部下を怒鳴りつけ、槍を引かせた。
ヴェラは顎をツンと上げ、優雅な足取りで検問を通り抜けた。
俺はその背後に従者のように寄り添い、何食わぬ顔で私兵たちの前を通り過ぎる。
通りを抜け、角を曲がったところで、俺はフードの下で小さく息を漏らした。
「口だけのお嬢様ではないな」
「何か言いましたか?」
前を歩くヴェラが振り返る。
その耳の付け根が、かすかに赤く染まっていた。
声には出さなかったが、足取りはさっきよりも幾分誇らしげだった。
「なんでもない。宿はもうすぐか」
「はい。あそこの大通りの角に見える、白い建物です」
豪奢な装飾が施された高級宿、白銀の獅子亭。
その最上階にある特等室の扉が、静かに開かれた。
厚い絨毯、頑丈な扉、私兵の立ち入りすら拒む貴族の治外法権。
俺は部屋の机の上に、昨夜奪った革表紙の裏帳簿を放り出した。
アッシュフォードの腐敗した網を食い破るための拠点が、思いがけない形で手に入った。
ヴェラは扉に鍵をかけると、詰めていた息を吐き出すように、ソファへ崩れ落ちた。
「はぁ、生きた心地がしませんでした」
窓の外に目をやる。
通りには相変わらず私兵の巡回が行き交っているが、この部屋までは手が及ばない。
男爵家の紋章が掲げられた扉一枚が、伯爵家の権力すら退ける結界になっている。
「案外、使える女だったんだな」
「その言い方、褒めているんですか貶しているんですか」
ヴェラは半眼で俺を睨みながらも、疲れの滲んだ顔にわずかな笑みを浮かべた。
俺は室内を一通り歩き、勝手口の位置と窓の高さを確かめる。
いざという時に逃げられるかどうか。手を組む相手であっても、確認を怠るつもりはない。
「何をしているんですか」
「逃げ道の確認だ。貴族の紋章一枚を信用しきって、退路も見ずに寝るほど呑気じゃない」
ヴェラは呆れたようにため息をつき、革靴を脱いで足を投げ出した。
泥で汚れたスカートの裾が、絨毯の上に重い染みを作った。
「そこまで疑い深くて、よく今まで生きてこられましたね」
「疑わなかった奴から死んでいくのを、嫌というほど見てきたからな」
窓の外では、遠くで鐘が一つ、間延びした音を響かせていた。
昼を告げる鐘の音だというのに、この部屋の中だけ、時間の流れが止まっているようだった。
俺は木箱代わりの椅子に腰を下ろし、懐から取り出した裏帳簿を、もう一度机に広げた。
ページをめくる乾いた音だけが、しばらく部屋に響いていた。




