第010話:指名手配
朝靄が晴れ始めたアッシュフォードの街を、俺はフードを目深に被って歩いていた。
中央広場には昨夜の乱闘の痕跡が生々しく残っている。
砕け散った石畳の破片、踏み荒らされた露店の残骸。
私兵たちが青ざめた顔でそれらを片付ける中、領主邸から駆けつけた伝令が、掲示板へ一枚の羊皮紙を乱暴に貼り付けているのが見えた。
太い墨で大書された文字を、遠目に読み取る。
「凶悪なる重罪人、グレイを指名手配す。生死を問わず、賞金金貨50枚」
粗雑な似顔絵が添えられたその紙を前に、集まった町人や商人たちがざわめいた。
「おいおい、賞金金貨50枚だってよ」
「相手は誰だ。グレイ? 聞いたことのない名前だな」
「昨日の夜、オズワルド様と私兵隊を叩きのめした余所者らしいぞ」
「あのオズワルド様を? 魔法学園を出たエリート私兵隊長をか?」
「ああ。素手で剣を真っ二つに折られて、最後は小便を漏らしながら這い逃げたって噂だぜ」
「おい、馬鹿、声が大きい! 私兵に聞かれたら首が飛ぶぞ!」
嘲笑と、それに激怒した領主家への恐れ。
二つの感情が混ざり合ったひそひそ声を背に、俺は人混みから離れた。
誰一人として気づいていない。
手配書に書かれた「グレイ」という男が、6年前にこの街の教会で「無縁」と嘲笑され、腕を失って路頭に迷った孤児「ロアン」と同一人物であることなど。
俺は路地へ折れ、街の東外れのスラムへと足を向けた。
腐敗した臭いが漂う一角。
崩れかけた石造りの廃屋の二階で、俺は窓の隙間から通りを見下ろしていた。
ぬかるんだ路地を、銀色の胸当てをつけた私兵たちが二人一組で通り過ぎていく。
手には抜身の槍を持ち、苛立った様子で廃屋の物陰を突き回している。
「おい、そっちの路地も探せ! 怪しい奴は見つけ次第拘束しろ!」
怒鳴り声が遠ざかっていくのを見届け、俺は窓枠から身を引いた。
「息子の次は手配令か。親父も息子も揃って、頭の使い方が雑だな」
乾いた黒パンを口に放り込み、水筒の水を一口流し込む。
味気ない麦の香りが口の中に広がった。
懐から、昨夜オズワルドの倉庫から奪い取った一冊の革表紙の帳簿を取り出す。
親指でパラパラとページをめくった。
そこには、王都からアッシュフォード孤児院へと支払われていたはずの維持補助金の横領記録、領民への違法な重税の割り当て、闇商人との裏取引の数々が、日付と金額付きで克明に記されていた。
ダグラス伯爵本人の署名と印章まで入った、紛れもない動かぬ証拠だ。
シスター・マーサやノラと、飢えと寒さをしのぎながら過ごしていたあの冬の日々。
本来ならあの子たちを救うはずだった金が、オズワルドの銀細工の剣や、ダグラス伯爵の贅沢な酒へと消えていた。
数字の羅列を見るだけで、冷たい怒りが胃の底からせり上がってくる。
オズワルドを打ちのめした直後、伯爵家が真っ先にしたことは、自分たちの悪事を握る俺を「凶悪な重罪人」として仕立て上げ、口封じすることだった。
街を封鎖し、賞金首として市民や冒険者の目を光らせ、孤立無援のまま力尽くで始末する。
いかにも腐りきった地方貴族が考えそうな短絡的な手口だった。
「これだけの証拠があれば、王都の監査官を動かすには十分すぎる」
問題は、街の門が完全に封鎖されていることだ。
強行突破して街を出るだけなら、俺の力なら造作もない。
だが、私兵を皆殺しにして脱出すれば、伯爵のばら撒いた「凶悪な賊」という嘘が既成事実になってしまう。
それでは復讐としては不完全だ。
俺が欲しいのは、ただの逃亡ではない。
あの一族が築き上げた欺瞞と権力を、この街のすべての住人の前で完膚なきまでに叩き潰すことだ。
その時、階下のぬかるんだ路地から、ぱちゃぱちゃと慌ただしく水を跳ね上げる足音が聞こえてきた。
一人分の足音。
私兵のような重い甲冑の擦れる音はない。
だが、歩幅が小さく、息がひどく乱れている。
足音は廃屋の前で止まり、軋んだ木製の階段を恐る恐る上がってきた。
俺は音もなく立ち上がり、腰の直剣の柄に左手を添える。
「はぁ、はぁっ」
階段の踊り場から、乱れた金髪を揺らしながら姿を現したのは、この薄汚いスラムにはおよそ似つかわしくない人物だった。
仕立てのいい紺色の布地に、金糸の刺繍が施された制服。
ハーロウ魔法学園の制服を着た少女が、胸元を押さえながら荒い息を吐いていた。
ヴェラ・ソーンだった。
「いた。見つけました、グレイさん!」
ヴェラは壁に手をついて肩を大きく上下させながら、俺の姿を認めてほっと息を吐き出した。
その足元を見ると、上等の革靴とスカートの裾が、泥水でひどく汚れていた。
俺は剣の柄から手を離し、呆れたようにため息をついた。
「男爵令嬢がこんな掃き溜めに何の用だ。上等の服が泥で台無しだな」
「そんな軽口を叩いている場合ですか!」
ヴェラは乱れた前髪を指先で払い、青い瞳を吊り上げて詰め寄ってきた。
「街中が大変な騒ぎになっているんですよ! 門には私兵が立ち並んで、掲示板にはあなたの手配書が貼り出されて、賞金金貨50枚なんて、どれだけ危険な罪人扱いされているか分かっているんですか!」
「知っている。さっき掲示板を見た」
「知っているって、どうしてそんなに平然としていられるんですか!」
俺の素っ気ない返答に、ヴェラは胸を詰まらせて声を荒らげた。
「昨夜、領主の息子さんを広場で叩きのめしたって聞きました。裏の帳簿を奪ったとも。いくらあなたが強くても、相手はこの街を治める伯爵家なんですよ。街全体を敵に回して、一人でどうするつもりなんですか」
「一人でどうにかしてきたから、今ここにいるんだ」
俺は冷ややかに言い放ち、廃屋の木箱の上に腰を下ろした。
「そもそも、お前はなぜここにいる。ハーロウで大人しく学園の授業でも受けていればよかったものを」
ヴェラは悔しそうに唇を引き結び、背負っていた小さな革鞄から一通の書類を取り出した。
「学術実地調査の遠征許可書です。教官に掛け合って、正式にアッシュフォードへの調査名目で許可を取ってきました。今朝の定期馬車で着いたばかりです」
律儀な性分だとは思っていたが、本気でこんな荒れ果てた街まで追いかけてくるとは思わなかった。
「着いた途端に街が厳戒態勢で、あなたの手配書が配られていたんです。驚いてギルドや広場を回って、噂を聞き込みして、ようやくスラムに怪しい男が潜り込んだという話を聞きつけて、走ってきたんです」
「物好きだな。手配犯の仲間だと思われたら、お前の男爵家とやらにも傷がつくぞ」
「そんなこと、どうでもいいです」
ヴェラは即座に言い切った。
その瞳には、かつてリンドヴルムの前で怯えていた時のような弱々しさは微塵もなかった。
「私は、あなたを手配犯として野垂れ死にさせません。恩人をそんな目で見過ごすくらいなら、最初からここまで追いかけてきたりしません」
「野垂れ死にだと? 言っておくが、俺があの程度の私兵に後れを取ることはない」
「武力で勝てても、社会的に抹殺されたら終わりです!」
ヴェラの強い口調に、俺は思わず眉を動かした。
彼女は一歩踏み出し、懐からもう一つのものを取り出した。
純銀で作られた小さな紋章と、羊皮紙の鍵札だった。
「中央通りの高級宿、白銀の獅子亭に、特等室を一部屋押さえました。ソーン男爵家の推薦状と、学園の公式調査員の身分証を使ってあります」
「高級宿だと?」
「あそこは他領の貴族や大商人が利用する場所です。いくらコルヴィン伯爵家の私兵といえども、他領の貴族の令嬢が借りている部屋を、正式な捜索令状もなしに踏み込むことはできません。領主邸が乱暴に踏み込めば、領地間の重大な外交問題になりますから」
ヴェラは真剣な眼差しで俺を見つめた。
「ここに潜んでいても、いずれ見つかって包囲されます。あそこの特等室なら、私兵の目から逃れて身を隠せます。とりあえず、あそこへ移動しましょう」
俺はヴェラの顔をじっと眺めた。
貴族の特権と身分制度。
俺が最も嫌ってきたその仕組みを、この少女は俺を守るための盾として差し出している。
「なるほど。男爵家の看板も、使いようによっては役に立つわけか」
「言い方に棘があります! もっと感謝の言葉とかないんですか!」
憤慨するヴェラを無視して、俺は立ち上がり、黒い外套の埃を軽く払った。
「感謝なら、生き残った後で考えてやる。案内しろ」
「もう、本当に可愛げのない人ですね」
ヴェラは呆れたように肩をすくめながらも、口元をわずかに緩めた。
「フードを深く被ってください。裏通りを通って宿へ向かいます」




