93 毒
最後まで王都の神殿にいたルートンは、8月末にとうとう地方巡業にまわされている。
ゲイリック王太子がマレガード王国の王都にほど近い街に入った頃、とある仮面パーティで漆黒髪の男が薄紫の髪の女にダンスを申し込んだ。スマートなエスコート、長身から繰り出される華麗なダンス、仮面という背徳感で女は酔いしれていた。そして、そのまま二人は会場から姿を消した。
ホテルのソファで肩を抱かれた女がワインを口にする。
「まさか声をかけてくれたのが、幼馴染のマルコムだなんて思わなかったわ。30年も会っていないのによく私をわかったわね」
ワインをテーブルに置くと男の右肩に頭を乗せ、男はそれをそっと撫でた。
「僕の初恋の人だからね。このカールのかわいい薄紫の髪、仮面からのぞく愛らしいピンクの瞳。すぐにわかったよ」
髪を左手で一房とると女の目を見ながら髪にキスをする。女はとろけた瞳で答える、
「もう……十歳の子供じゃないのよ。かわいいなんて言わないで」
「モーリッシュはあの頃とちっとも変わらないさ」
マルコムは幼い頃の思い出を昨日のことのように目を輝かせて話した。「そうそう」とモーリッシュも懐かしむ。
「それにしても君がセレアン伯爵夫人になっていたなんて驚いたよ。僕が商売を成功させて君を迎えに行ったら、おじさんから乳母の仕事を見つけたって聞いてあきらめたんだ」
年若い乳母はその家の女主人と同じくらいのタイミングで妊娠、出産、授乳する者が多いため、「君も妊娠したのだろう」とほのめかした。モーリッシュ・セレアン伯爵夫人はにっこりと笑い肯定した。
マルコムは商人としてどれだけ汚いことに手を染め、どうずる賢く生きてきたのかを意気揚々と話して聞かせた。モーリッシュはそんな秘密の話をしてくれるマルコムに心を開いていく。
「ふふふ。私だって、簡単にセレアン伯爵夫人になったわけじゃないのよ。実は妊娠する前からクィントの恋人だったの。本物さんと同じタイミングで妊娠できてラッキーだったわ。本当はすぐに始末したかったんだけど、クィントが『子供は何かの役に立つから』ってあの女の子供を庇ったのよ。そいつを育てるなんて絶対にイヤだったから、しかたなくその女も生かしておいたわ」
「おお怖っ。なら、本物はまだその女なのか……」
「まっさかぁ! もうとっくにヤッたわよ。今は私がセレアン伯爵夫人よ」
そこから饒舌に犯行をしゃべった。
モニィシャたちを別邸に押し込めて社交には出さず、クィントが大司教の一人を買収してモーリッシュが元聖女見習いだと思わせるような発言をさせた。子供が手のかからない年になった頃には次男が手のつけられないわがままだとの噂も流した。涙ながらに話をすれば誰もが信じた。
そして、同じ頃、別邸のメイドを少しずつ首にして自分の手の者に変えていき、食事に毒を仕込んでいく。
「それなのに、あのガキがことごとく毒入りの食べ物をダメって言ったらしいの。気持ち悪かったわ。だから、ガキを外で遊ばせて女のお茶に仕込んだってわけ」
「なら、薬の調達は旦那か?」
「違うわ。王都の教会にしかいないクィントにそんな伝なんてないわよ。あれは父が用意してくれたの。ルートンがちゃんと家を継いだら、それなりにお礼をする約束でね」
時々別邸に行っていたクィント・セレアンは弱っていくモニィシャに気がついていたが、医者を呼んだりはしなかったので、モーリッシュの手段に気がついていたのだろう。モニィシャが死んでも葬儀の手配はせず、平民の乳母が死んだことにした。
「あの女が死んでからルートンの活躍の話とあのガキの悪い噂はセットで流せたから簡単だった。クィントもルートンも積極的に周りに愚痴という噂流布をした甲斐があったわ」
「今となると、『モーリッシュ』はどこにも存在しないのか?」
マルコムが気の毒そうに見つめ、モーリッシュはうっとりとその瞳に吸い込また。
「そんなことは些末なことよ。私はモーリッシュだろうとモニィシャだろうと気にしないわ。お金があって贅沢できれば十分。以前から少しずつ私だけの金庫に移しているの。最近、うちも怪しいでしょう」
マルコムの胸のポケットに人差し指でくるくるとなぞり甘える。
「そうらしいな。旦那の機嫌も悪いんだろう。月末に俺はまた商売で隣国へ向かうが、一緒に行くか?」
「連れてってくれるの?」
「初恋の女が手に入るならお安い御用さ」
マルコムはモーリッシュの頭を自分の胸に押し当てた。片方の口元がゆがみ引きあがっていた。
「さあ、これは僕が買い付けているワインなんだ」
飲みやすい口あたりに酒がすすみ、モーリッシュはいつの間にか寝てしまった。
マルコムはベッドに横たわりすでに意識のないモーリッシュに憎々しげな顔で「この薬は死ぬものじゃないから今日のところは安心しな」と言葉を投げた。そして、宿の料金も多めに払い出ていくと漆黒髪のカツラをはぎ取りバッグへ詰めて歩き去った。
モーリッシュが漆黒髪男と甘い時間を楽しんでいる頃、ルートン・セレアンは灼熱の畑の真ん中にいた。げっそりと痩せ目をくぼませたルートンは手をかざして懸命に水を出しながら「どうして俺がこんなことを……」と愚痴をこぼしていた。
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