90 ヘビ
ゲイリック王太子の妻であるファリシア王太子妃とディジリーナが昔から親交があるのは本当なので無下にはできない。
「ファリシア王太子妃殿下に直接ディジリーナへ誘うように伝えてくれ。俺は判断できない。それより、アノスジェンに爵位が必要だ」
「うわぁ、ストレートだね。でも、ま、そっか。あちらの国王がアノスジェンはマレガード王国の貴族じゃないって言っているんだから、こっちで貴族籍にしちゃえばいっか。その方が何がどうなっても『返せ』って言わせないもんな」
「そういうことだ。名前だけで十分だ。数ヶ月後にはうちの婿だからな」
「では、アーチプ伯爵位を用意しますよ。キンガース公爵家宛でいいですか?」
「いや、数日王都にいるし、日中は王城にいるから俺が取りに来る。じゃあな。図書室借りるぞ」
「おっと。面白いことわかったら教えてくださいね」
「フンッ!」
キンガース公爵は頭も下げずに退室していった。
「最後までスペンディーノおじさんだったな。あんなに熱くなるなんて、アノスジェンは大切にされているみたいだ」
キンガース公爵からの情報を得て、執務官たちに指示を出す。『今日も帰れなそうだ……』執務官たちは心で肩を落とした。王女宮へ帰るコンラッド執務次官は別にして。
キンガース公爵は図書室へ行くと迷いなく地図の並ぶ棚へ向かった。隣国との戦いが多かった時代に作成された地図はなかなかに、正確に作られていて、種類も豊富だ。
その中からフオジスト王国とマレガード王国が見られる地図をテーブルに広げた。マレガード王国はフオジスト王国の北西部と隣接していて、そこから旅用の水袋を膨らませたような形をしている。
2国を合わせるといびつなハートの形のようで、V字のどちらの領土でもないところにバベスト山を含む山脈が連なり、バベスト山のさらに後ろにそびえるフージスト山は標高が高く上部半分は遠くからでもわかるほど年中雪がかぶっている。また、このあたりには魔物も多く、領土を主張して万が一スタンビートでも発生したら、責任を問われることになる。それらのこともあって2国ともその山脈を自国だとは言わないのだ。自由猟地となっている。
「フージスト山。マレガード王国でなんと呼ばれているのかは知らないが、あちらの国からでも見えるに違いない」
そしてゆっくりとそれらの山脈から続く川をなぞっていく。それらの川は2国とも縦横無尽にはびこっていた。
☆☆☆☆☆
祈祷台完成会のあの日。アノスジェンの祈祷する姿があまりにも神々しく、キンガース公爵はその後ろ姿に見とれて、他の者たちのように祈ることができなかった。その時、ダゾル湖から音もなく水しぶきが、いや水爆発が起きたようにキンガース公爵は感じた。
そして、見たのだ…………子供たちも見た……大きなヘビを……。
自分の目を疑った。光の屈折のせいかもと思った。アノスジェンが水魔法を使ってみせた幻想かとも思った。だが、自分のように祈りをしなかった子どもたちが嬉しそうに指を指して「ヘビさんだぁ」と口にしたのだ。
神が存在する……そんなことは考えたこともない。アノスジェンの言うように、誰かに感謝をし、自然に感謝をするなら、祈るのもいいなと思った。
では、あのヘビは何なのか? ヘビがあんなに大きくなるのか? バベスト山の魔物が降りてきたのか? まさかスタンビートの予兆?
アノスジェンの背中を見ながら考えを巡らせていると、アノスジェンの向こうに見えるバベスト山、その山の後ろ深くにそびえたち、まるで自分の心臓を突き刺すようにフージスト山が目に飛び込んできた。「俺を知れ!」というように。
キンガース公爵はよろめくようにひざまずき、自然に手を合わせ、目を閉じていた。
『どうか我々を、この国を、見守りください。素晴らしい世界を広げてくれたアノスジェンに感謝を。彼に安寧を』
キンガース公爵の目尻から一筋流れた。
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キンガース公爵は誰にも言えず、だが放っておくこともできなかった。その思いをどうしたらよいものかと悩みあぐねていたところ、ゲイリック王太子から勅書が届き、王城へ来ることになった。
地図を見ただけでは何も解決しなかったのだが、なぜかキンガース公爵はスッキリとした気持ちになったのだった。
「彼はみなに愛されているのだ。その愛する気持ちを受け止められず、嫉妬する者たちが家族だった。彼を愛してしまうことに嫌悪し、彼に八つ当たりしたのだろう。これからは、純粋に愛することができる俺たちが彼の家族だ」
気持ちを固めて地図を元の場所に片付けた。
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