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9 メイド

 こうしてアノスジェンが小屋で暮らす月日は流れ十八歳になり、ルートンに縁談話が持ち上がったのだ。


 ある日、メイドのベラーナはメイド仲間から聞いた噂で機嫌が悪かった。


 ベラーナは十九歳で男爵家の三女で婚姻予定もなく、とうとう奉公に出ることになった。教会の紹介でセレアン伯爵家のメイドの仕事が決まった時には飛び上がるほど嬉しかった。

 なぜなら十八歳のルートン卿の『水守の儀式』に魅せられていたから。


『彼のお世話ができるなんて最高! 見初められちゃったらどうしよう。そうだわ、年上の魅力で落とせれば、私は伯爵夫人よ。私を追い出した家の人たちに仕返しができるわ!』


 ベラーナは小麦色のウェーブのかかった髪に口元のホクロがあり、なかなかの美女ではある。喜び勇んでセレアン伯爵家に行ってみると、割り当ては洗濯係とアノスジェンへの配膳係。ルートンに見初められるどころか、顔を見ることさえ月に一度あるかないかで、遠くに見えるだけ。


「これなら教会の水守の儀式に行った方がルートン様のご尊顔を見ることができたわよ」


 手の中のリネンを泡桶に投げつた。


「ルートン様のお顔は全く見れないのに、あの鈍臭男の顔はしょっちゅう見なきゃいけないって、全くどうなってるのよ!」


「アイツ、またルートン様を困らせているみたいよ。なんでも、ルートン様のご縁談の邪魔をしているそうよ」


 ベラーナはショックで顔色を曇らせた。


「縁談……ってどういうこと……」


「アイツがルートン様の花嫁に危害を加える恐れがあるって噂になっているらしいわ。それで高位貴族たちは躊躇しているんだって」


『なんだ。それなら私がアイツを黙らせられるなら私でもいいじゃない。ふふふ』


「旦那様と奥様は絶対に高位貴族から嫁をもらうって言ってるから、アイツ追い出されるんじゃないかしら。アハハハ」


 メイド仲間はアノスジェンの不幸を喜んで笑っているが、ベラーナは全く笑えなかった。


『ルートン様へのアプローチは後で考えなくちゃ。とにかく、ルートン様を困らせてるっていうのは気に入らないわ』


 ベラーナは醜く笑った。

 翌朝、お祈りを終えたアノスジェンが小屋へ戻り、しばらくしてドンドンッと扉をノックしたとは言い難い音が鳴り響いた。


「まだ寝てるんじゃないでしょうねっ!」


 冒頭に戻る、メイドのベラーナは機嫌が悪くイライラしていた。『他のメイドにも聞いてみたけど、どうやらルートン様が高位貴族と婚姻したいという話は本当みたい。せめて愛人になれないかしら。そのためにもアイツに私が上だとわからなせなきゃ』と意気込んできたのだ。


 これ以上この小屋の壁に隙間が空いてはたまらないとアノスジェンは慌てて扉を開く。そこには仁王立ちした年若いメイドベラーナがいた。アノスジェンが起きていてすぐに扉が開くことを承知しているのに怒鳴り散らす。


「なんで私がこんなところに来なきゃならないのよっ。呼ばれる前に自分で来なさいよね。アンタの配膳係なんてホントにイヤなのよっ」


 ベラーナはアノスジェンより随分と背が高く上目遣いで見ているアノスジェンに目を細めて軽蔑と憤怒の眼差しを向ける。


「私に運ばせたんだから、これを食べなさい」


 そう言うとパンを一つ小屋の床に投げる。アノスジェンのショックを受けた顔を見てベラーナは胸のすく思いをした。『報いはこんなものじゃないわよ』と頰を緩ませ、もう一つのパンをニヤニヤしながらエプロンのポケットへ入れた。


「こんな硬いパン、食べる人なんていないでしょうから鶏の餌にでもしようっと」


 さらに床に転がっているパンを蹴る。 


「ボヤッとしていないで早く食べなさい。そして薪割りを終わらせなさい。魔力の消えたアンタはそんな単純な仕事でさえ時間がかかるんだから。本当に役立ずね」


 ベラーナが言い捨てて屋敷へと戻っていったのでアノスジェンはパンを拾い、小川で汲んできた水をコップに入れた。この程度の嫌がらせは日常であるため心を痛めたりはしないが、やはり普通に食べたかったのは本音だ。


「今日は食べられる状態だ。優しい人だな」


 時にはアノスジェンの目の前でパンをちぎり捨てたり土足で踏み潰す者もいる。さすがにそれは食べられず水だけで腹を満たすことはまれではない。アノスジェンはその時できることをやるだけだ。


『お父様は僕を教会へ送ると言っていた。早くその日が来るといいな。教会ならきっとお母さんが祈っていた泉があるはずだもの。そこでお祈りしたいな』

 

 アノスジェンは懸命に硬いパンを胃袋へ運ぶと走り出すように小屋を後にして薪小屋へ行った。

 

 このアノスジェンの小さな願いは叶うことはなかった。 


 その夜、ベラーナはルートンの部屋へ忍び込んだ。ルートンが来るものを拒むわけもなく、秘密の関係を約束し、朝早くに意気揚々と部屋に戻った。


「母さんに見つかったら首にすればいい。いつでも捨てられる女はいくらいてもいいさ」


 ルートンはバスルームに消えた。

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