88 ご母堂
ワディンが1枚の封書を出し「アース様、よろしいですか?」と尋ねた。アノスジェンはそれを見て驚くが、セレアン伯爵家の話は全て話してしまいたいと考えて頷いた。
「みなさまがお揃いですので、こちらも知っておいていただきたいと思います」
その封書はハリトー執事長からのもので、アノスジェンとルートンの出生の秘密が書かれている。ショーン執事長が読み上げた。
「アン……。そんなに幼い頃から……大変だったのね」
アノスジェンは首を振った。
「お母さんと過ごせたことはすごく幸せな記憶だよ。僕のお祈りの気持ちは全部お母さんから教わったものなんだ。僕にとってお母さんはそれほど大切で。だから、何よりもこの手紙でホッとしたんだ。ルートン兄様からお母さんをとってしまったわけじゃないって」
ディジリーナは『この人は優しすぎるわ』とアノスジェンを抱き寄せた。ニールたちが小さく震えている。
「まさか……本当に……」
「なんだ、ニール。気になることがあるのか?」
「実はセレアン伯爵夫人が亡くなっていることは知る者が少ない……いえ、いないに等しいのです。現在、セレアン伯爵夫人と呼ばれている方が元聖女見習い様だと誰もが思っております。それが……乳母だったなんて……。旅の途中でワディンから話は聞いていたのですが、一介の騎士では……」
「ええ。パーティなどでルートン卿のそばにいらっしゃるのは元聖女見習い様だと思っていました。いろいろな話をつなげますと、アース様は十歳前後で子供用パーティに出席して以来、顔を出していないと思われます。にも関わらず、悪い噂ばかりが出回っておりました」
「ぼ……僕はなんて言われているの?」
場が静まり返った。ごくりという誰かの喉の音がする。キンガース公爵が覚悟を決めて口を開いた。
「うちが調べた話だと『努力嫌いで根暗。傲慢で不真面目。さらには生活魔法も使えないセレアン伯爵家のお荷物だ』と噂されているようだ。
だがな、ここキンガース公爵家でそんなのを信じる者は誰もいない。アースがどれだけ頑張り屋で優しくて天才なのかを……そして俺の自慢の婿殿なのかを……多くの者が知っている」
「……ちがっ……ペギー……がバカにされるのはイヤだ……僕の噂でペギーが……嫌な思いをするのは……イヤ……」
アノスジェンはディジリーナの袖をギュッと握りしめた。ディジリーナが泣き笑いで答える。
「イヤな思いなんてしないわ。そんなこと口にするヤツがいたら私がぶん殴るわ。アン。私って貴方が知るよりずっとずっと強いのよ。私が貴方を守るわ」
アノスジェンが糸が切れた人形のようにディジリーナの胸の中へ倒れた。
「どうやら、一癖も二癖もありそうだな」
その場は解散となった。ディジリーナとワディンはアノスジェンを抱くトビーについていく。キンガース公爵はノアニク騎士隊長とショーン執事長を残した。
「あれを聞いて、俺はご母堂殿の死も怪しいと思うのだが、どうだ?」
「しかし、アース様は危険食物は嗅ぎ分けられますし……」
「それは目の前にあればでございましょう。ご母堂様がアース様のいらっしゃらない席で何かを摂取させられていれば感知は難しいのでは?」
「二人の見立ては毒か……」
「あの手紙を信じるのならば、即効性を感じませんのでそう考えるのが妥当かと」
「だな。俺も同じ考えだ。そうなると誰がやったかだな」
頬の傷を撫でて獲物を狙う目になる。
「ご母堂様に死を迎えさせ、身分の偽装となると夫婦協力がなければできませんでしょう。さらには死に直接関係なくとも、身分詐称に関わる重鎮がいらっしゃるはずです」
「つまりは、教会の中身も国の中身も腐ってるってことだ。国が豊かだからってあぐらをかいていやがるんだな。もうこれはアース、ひいてはセレアン伯爵家だけの話ではおさまらない気がする……。チッ、直接手が出せない案件かもしれねぇのかよ」
「裏で動きますか?」
「それじゃあ、民は救われない。アースが喜ぶとは思えん……。とはいえ、あくまでもご母堂殿の死の真相を知ることが先だ。俺たちは可能性を頭に入れておく必要があるってことだ。ディナにも共有しておいてくれ。噂の出所は当然セレアン伯爵家だろうが、どのようにして広めているのか……」
二人は「了承」と頭を垂れ胸に手を当てた。
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