64 リハ
起承転結の『転』スタート
ドキドキがおさまらずになかなか寝付けなかったアノスジェンは朝のお祈りの後、ジェナを厩舎に預け、屋敷までの道のりで歩きながらヘリンに昨日のことを説明して相談する。
「でね、なんでペギーは僕のおでこにキスしたんだろう?」
『へ? 今更おでこですか? あんなにアプローチしているのに? まあ、アノスジェン様がお相手ですからねぇ』
ディジリーナをグイグイのオネェ様だと思っているヘリンは「あはは」と空笑いする。
「もちろん、親愛の証ですよ」
「でもね……小さい頃にお母さんにされたときとはちょっと違ってたの。ドキドキして顔が熱くて、逃げたくなっちゃった。僕はペギーが本当は苦手なのかな……」
『ショーン執事長様! どうか性教育をお急ぎくださーい!』
ヘリンは頭の中で報告書をまとめた。
「そうでしたか。では、ディナお嬢様にもう一度されるのは嫌だということですか?」
「も、も、も、もう一度! キキキキスを? ……いや、あの、その、嫌ではない……と思う」
「それならば、ディナお嬢様を苦手というわけではないと思います。では、ディナお嬢様が……例えばトビーの額にキスをされたらどう思われますか?」
「へ? トビーに? ペギーはトビーにもするの?」
「絶対になさらないとは思います。それどころか、この例を出しただけで、私に懲罰が飛びそうです……」
後半が聞こえず耳を寄せてきたので、失笑してかわした。
「『仮に』ですよ。か・り・に!」
「仮にかぁ……わかんないけど……ドキドキしていたところが、モヤモヤする気がする。食べられないものが出された時みたいな……」
「そのお話をショーン執事長様へお話され、ご相談されるのがよいと思います」
ヘリンは答えから逃げた。いや、自分も恋愛経験がなさすぎてうまく答えられなかった。そんな自分に苦笑いする。
『私は耳年増で、そのドキドキが恋なのだろうと想像しただけ。ドキドキの体験をしただなんて、アース様は恋愛では私より経験豊富ですね』
「そっか! ショーンなら教えてくれるねっ!」
その日、ショーン執事長から渡された本を読み、王子が姫のおでこにキスを落としたシーンでアノスジェンは真っ赤になった。そこにはキスをされた姫の心情が綴られており、自分が体験したことと同じような描写だった。また、王子が意図せず他の令嬢に腕を組まれたシーンでの姫の心情の描写はヘリンに質問されたときのトビーへの気持ちに似ていた。
『僕の気持ちって恋なの?』
余計にドギマギしてしまうアノスジェンは、翌日からディジリーナの顔が見れなくなってしまった。ディジリーナは悲しげな顔をしているが、他の者は『心情の成長の一環だ』とほのぼのと受け止めていた。
ディジリーナも夜になりライラに相談するとそのように答えをもらった。
「そんなことにもお気づきにならないとは、やはりお嬢様は純正初心ですね」
「うるさいわよっ!」
いつものやりとりで夜は更ける。
婚約式を明日に控えた日、会場になっているキンガース公爵家の大広間でリハーサルが行われた。
入場から式の手順を確認していき、宣誓の儀式。
「では、宣誓の後、ディナお嬢様はひざまずいてください。アース様はディナお嬢様の額に口づけを」
「口づけぇ!」
今、会場にいるのは、ここ数日のアノスジェンの様子のおかしさも、その理由も知っている人たちばかり、焦る者、応援する者、笑顔で見守る者、それぞれの目でアノスジェンを見つめる。
しどろもどろになるアノスジェンを助けたのはディジリーナだった。アノスジェンの手を取りそっと口づけを落とすフリをした。
「明日はこのようにしましょう」
「ごめんなさい……」
「いいのよ。対外上、婚約式を急いだけど、私たちの関係はゆっくりで大丈夫だから」
コクリと頷くアノスジェンの手を取り、退場までの段取り確認を終えた。
翌朝、続々と招待客が集まってきた。急な婚約式であるにもかかわらず、国王の勅命による婚姻であったことや、アノスジェンが水魔法の家系ということが影響して多くの家が参列した。特に見合いをした北部の有力貴族は全員出席である。
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