6 乳母
本日2話目
二人は毎日「お散歩してくるわ」と言って小川へ来てはお祈りを捧げた。
「でも、私たちがお祈りしていることはお父様たちには内緒よ。このお屋敷ではアノスジェンとお母さんだけの秘密。お約束できる?」
母親モニィシェはお祈りの後に必ずそう言っていた。アノスジェン少年は「もちろん!」と母親の首に抱きつく。『お父様とお会いすることはなかなかないけど……これは内緒なんだ。お父様っていつもどこにいるんだろう?』それを聞くと母親が悲しい笑顔をすることはわかっているので、少年はその疑問は飲み込む。
そして二人で手をつないで屋敷へと戻った。
母親が倒れこの小川に二人で来ることができなくなってもアノスジェンは一人で来て祈りを捧げた。十歳の時に母親が亡くなっても続けていた。
ただ、祈る内容が少しだけ変化した。母親が亡くなってすぐに、アノスジェンは兄ルートンの存在を知ったのだ。そして、父親と一緒に本邸と言われる大きな方のお屋敷で暮らしていたことを。
母親モニィシャの優しさを知っているアノスジェンは打ちひしがれた。
『僕が兄さんから母親を奪っていたんだ。僕がお母さんと暮らしていた時、兄さんはどれほどさみしい思いをしたのだろうか……。僕にお母さんをくれてありがとうございます……』
アノスジェンは「みんなの満ち足りた日々」と「ルートンの恵まれた日々」を祈った。
ルートンとの顔合わせは母親が亡くなって1か月ほどのことだった。アノスジェン一人のために別邸の使用人たちを雇うのは無駄だと、アノスジェンは本邸に呼ばれることになった。
その夕食の席では、父親クィント・セレアン伯爵とルートン、そして乳母がすでに座っていた。扉に近い席にいたルートンが立ち上がりドアに近づいてくる。
初めて見たルートンは体つきはアノスジェンにそっくりだが、仕草は気品よく堂々としており伯爵家の長男としての貫禄を備えている……ようにアノスジェンには見えた。アノスジェンが知るのは、母親、別邸と裏の森、そして小川、世話をしてくれていた使用人たちだけだったから。その別邸使用人たちも昨日付で解雇になっている。
着ている衣装も黄色のジェストコールに真っ白なシャボ、深紺の髪を後ろになでつけ、鼻を持ち上げてアノスジェンを探る目で見ていた。アノスジェンは黒いシャツの上のボタンを外し茶色のズボン、初めての場所であり、ルートンとの差を見せつけられてオドオドしている。
ルートンは格の違いを見せるために近寄ってきたのだ。そしてそれはアノスジェンにまさに効果的だった。
「座れ」
クィント・セレアン伯爵の一言で、ルートンはアノスジェンに向かって「フンッ」と鼻を鳴らして席についた。アノスジェンは燕尾のベストを着た男に促されてルートンの隣に座る。
緊張でカタカタと食器を鳴らしてしまい、乳母モーリッシュに嫌味を言われたが、十歳のレベルを知らないアノスジェンはただただ反省した。確かにルートンはマナーが完璧だった。母親モニィシャは男爵家の元聖女見習いで早くに教会へ入ったため貴族としての教養は少なく、乳母モーリッシュは子爵家の次女でずっと家にいたのでその差はついて当然なのだが、そんなことは知らないアノスジェンは益々恐縮していく。
「旦那様、これでは伯爵家の次男として表には出せませんわ」
「お前に任せるよ。お前はもう伯爵夫人なのだ。好きにしなさい」
アノスジェンには二人の会話の意味は理解できなかったが、その日から乳母モーリッシュを「セレアン伯爵夫人」と呼ぶようにと言われた。
セレアン伯爵夫人はアノスジェンに家庭教師を付けることはなく、マナー指導と称してはアノスジェンを叩きしつけていった。「貴方は本当にノロマね」「見苦しい動きをしないで」「昨日教えたことをできないなんてグズね。食事は抜きよ」罵詈雑言を浴びせて去っていく。すると部屋にルートンが入ってきて追い打ちをかける。ルートンは散々アノスジェンをいじめた後に部屋を出ると「アノスジェンは疲れているみたいなんだ。かわいそうだからゆっくり寝かせてあげて」と良い兄を使用人たちに演じていった。
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