56 学び
ヘリンとワディンがキンガース公爵の執務室から出て行くと、メイドがキンガース公爵とディジリーナの前にワインを用意した。
「とにかく、婚約おめでとう」
「あら? お父様は反対なのではなくって?」
「反対ではない。順番があると思っていただけだ。だが、アノスジェン殿がそういうことなら、早く始めることに異論はない。お前は大丈夫なのか?」
「ダーリンが天然さんだったってだけよ。尚更愛しくなったわ。でも、他国の伯爵家にどうやったら手を出せるかは悩ましいわね」
「それはおいおいな」
二人はニッタリと笑いグラスを重ねた。
翌朝のお祈りから戻ったアノスジェンを待っていたのはディジリーナだった。ディジリーナの手を借りて馬から降りると、早速抱きしめられた。
「アン! おはよう」
「えっえっえっ? ディジリーナ様、どうしたのですか?」
腕を離したディジリーナが微笑んでアノスジェンの頬を人差し指でぷにっと押した。
「違うわ。ペギー、よ。アン、呼んでみて」
「ペギー、おはようございます」
昨夜、そこまで話を聞いていなかったヘリンは『ほっほぉ、ディジリーナ様、素晴らしい』と感動していた。ディジリーナがアノスジェンの手をとって歩き出す。
「朝食へ行きましょう。今日から忙しいわよ。お婿さんのお仕事、よろしくね」
「はいっ! 頑張りますっ!」
「まずは、私に敬語をやめること」
「それがお仕事なのですか?」
「ほぉら、また敬語。そうよ、大事なお仕事。ふふふ、ゆっくりと変えていってくれればいいわ」
「わかりまし、わかった」
「いい子ね。お婿さんのお仕事ってたくさんあるから頑張ってね」
「はいっ! じゃなくて、うん!」
二人の朝食を終え、アノスジェンが部屋に戻るとショーン執事長が待っていて、室内に小さめの(とはいえ、両手を広げても両端を持てないくらいであるのだが)執務机が運び入れられていた。その椅子へ案内され、正面にショーン執事長が立つ。
「本日から午前中は学習時間、午後は馬術やダンスレッスン、お茶を挟みまして、学習時間となります。かなりハードですが、よろしいですか?」
「待ってください! それってお仕事なんですか? 僕、薪割りもできます。お庭の草むしりもできます。お水まきも大きくなったのでもっとできると思います。お掃除も教えてもらえればやります」
アノスジェンの言葉をどう解釈しようかと思案しているショーン執事長にワディンが焦って近付き、耳元で伝える。
「アノスジェン様は習い事をご褒美だとお考えになります。本を読めるというだけで喜ばれますので」
「おいたわしや……」
ショーン執事長は目頭を押さえた。
「アノスジェン様。まずは学ばれませんと婿様のお仕事ができません。たくさんのことを学ばれてからお仕事を考えましょう」
「そうですね。僕、知らないことが多いから。よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします。それから、このお屋敷の者には敬語はお使いにならないでくださいませ。アノスジェン様が敬語をお使いになるのは公爵様だけでございます」
「……わかった。よろしくね」
「大変、よろしゅうございますね。では、本日の授業を始めましょう。しばらくはわたくしが担当し、アノスジェン様のお進み具合を見て家庭教師を決めます」
アノスジェンは喜んで机にむかった。
小一時間経った頃、ショーン執事長が本を閉じる。
「では、一旦休憩をいたしましょう」
「僕、まだできるよっ! 薪割りだって、庭掃除だって夕方までおやすみなくやれてたんだから」
驚きのあまりワディンへと視線を向けてしまったショーン執事長にワディンは悲痛な顔で頷いた。
「お茶のお勉強でございますよ」
「そうです、アノスジェン様。以前、お食事のマナーを学ばれましたよね。あれは初級なのです。公爵家のお婿様のお仕事のためには、中級、上級と学ばなければなりません。お食事のマナーとお茶のマナーはまた違いますので、それも学ばなければなりません」
ワディンのフォローにアノスジェンはショックを受けた。
「そうなんだね……。僕、今までペギーに失礼なマナーだったんだ。ペギーは優しいから何も言わなかったけど……」
「では、お嬢様を驚かせるように頑張りましょう」
「うん!」
アノスジェンは気合を入れてソファへと移動した。ショーン執事長とワディンはマナーを混じえながら、アノスジェンの栄養を補う給仕をしていく。
ショーン執事長の頭の中は、キンガース公爵とディジリーナへの報告書作成が始まっていた。
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