55 婿
ディジリーナはゆっくりと諭すようにしっかりと目を見て話した。
「あのね、アノスジェン、貴方はどうしてこの国へ来たのかしら?」
アノスジェンに「様」も付けなくなった。
「えっと……お婿さんになるためです」
「そう、そうね。なら、やらなくてはいけないことは何?」
「結婚してお婿さんになることです」
「そうよ。だから、ね」
「そうだっ! 僕、ディジリーナ様のお婿さんになります」
「正解。貴方は私のお婿さんだから、これからは私を『ペギー』って呼んでちょうだい」
「ペギーさん?」
ディジリーナが首をゆっくりと左右に振った。
「ペギー、よ。私も貴方を『アン』って呼んでもいいかしら?」
「ペギー。うん、アンって呼んで!」
『今日はここまでよ。私、頑張ったわ』
「ワディンやニールたちのことはお父様を混じえて話しましょう」
「ありがとう!」
ウキウキしたアノスジェンと疲れきったディジリーナは帰路についた。
アノスジェンが足取り軽く部屋へ戻るとソファにジッとしていた四人が振り向く。
「ただいまぁ!」
と挨拶すると、いつもの席に座る。
「僕! お婿さんっていうお仕事をすることになったよ。ずっといていいって!」
四人は「おめでとうございます!」「よかったよかった」と感無量だと喜んだ。
「僕は明日からでもお仕事したいけど、何をすればいいのかな?」
喜んでいた四人がフリーズした。アノスジェンは結婚という言葉は知っているが、一般的なものがどういうものか知らないのだ。父親とは生まれた時から疎遠で、母親は妻としての役割を与えられていなかった。
ヘリンが一番に復活して、すっと立ち上がる。
「ディジリーナ様にご説明をしてまいります」
「私も行きます。セレアン伯爵家でのことは少しはわかりますから」
ヘリンとワディンが出ていった。
「アノスジェン様、とにかく風呂へ入って着替えましょう。今日はお疲れになりましたでしょう。明日、お話の続きを聞かせてください」
ニールとトビーは説明することから逃げた。
ヘリンとワディンがメイドに案内されて通されたのはキンガース公爵の執務室だった。
ソファで頭を抱えるキンガース公爵とうなだれているディジリーナが、入室してきた二人を見た。
「よかったわ。今夜は眠れないかと思っていたところよ」
「「申し訳ありません」」
「根が深そうだ。二人が謝るようなことではあるまい。いいから座ってくれ」
「彼から今日のことをどう聞いたのかしら?」
「アノスジェン様が婿入りし、ずっとこの地に留まることになったとお聞きしました」
「そう言われると普通のように聞こえるから不思議だわ」
乾いた笑いをするディジリーナの目は死んでいる。
ヘリンがここまでの旅路で感じたことを、ワディンがセレアン伯爵家で働いていたときのことをかいつまんで話した。さらにヘリンが説明を追加する。
「でもまさか、婚姻についてここまで知らないとは考えが及ばず、申し訳ありません。政略結婚についての説明は道中にしたのですが、まさかそれ以前に結婚というものの説明が必要であったとは考えが及ばず……」
政略結婚という言葉にディジリーナのこめかみがピキリと動いたが、『ヘリンに八つ当たりしても無意味だわ』と飲み込んだ。
「だが、教育は受けずともそういう話は自然と知っていくものなのではないのか?」
「例えば、下町の子どもたちが教育を受けずともそういうことを知っているのは、大人たちが世間話として話しているのをそこここで耳にするからです。字は読めずとも娼館についてはよく知っている、あれです。しかし、これはあくまでも予想ですが、アノスジェン様は誰とも接点がなかったのだと思います」
ヘリンの説明にワディンへと視線が向いた。
「私はあの屋敷で2ヶ月ほどしか働いていませんが、その間、アノスジェン様はお一人でなさる仕事をしておりました」
「はぁ……。聞きたいことが満載だわ。でも、悪いけど、今日はもういっぱいよ。私もゆっくりと考えたいわ」
「え?! では、婿入りのお話は……」
ワディンが泣き顔になり、歯を食いしばった。
「私は約束を反故にしたりしないわよ。それに、私がアン……アノスジェンを気に入っていることに変わりはない。彼が何もわからずとも私への婿入りを承諾したのだから、絶対にそうしてもらうわ。ずるいと思う?」
「とんでもございません。ありがたいことです。アノスジェン様は本当にお優しく……」
ワディンの目からとうとう涙がこぼれた。
「彼も貴方のこれからを心配していたわ。どの道を選んでも、手伝ってあげるから、しっかり考えなさい。貴方たち三人も、よ」
「「ありがとうございます!」」
「貴方たちのためじゃないわ。ダーリンがそれを望んでいるからよ」
キンガース公爵の指示でヘリンとワディンは退室していった。
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