20 母親
字を読むことがあまり得意ではないアノスジェンのために簡単な言葉で書かれているとはいえ、アノスジェンにとってすべてを理解するのは難しく、ワディンの助けを受けながら読んだため、ワディンも十八年前のことを知ることになった。
「こんなひどいことが……。ですが、ハリトー執事長様はおそらく無言の圧力を受けていたと思います。執事長様のご子息はルートン様やアノスジェン様と同じくらいのお年です。現在は教会の司祭で、ルートン様がお祈りに行く際には側付きの司祭となり、教会でも優遇されているようです。俺も執事として後ろに控えていたときに見たことがあります。ルートン様に無下にされたらたちまち立場がなくなってしまうでしょう」
ワディンの説明でハリトー執事長がけっして表立ってアノスジェンを庇ったりはしていなかったことに納得した。
『それでも、僕が生きているのは少なからずハリトー執事長のおかげなんだ。恨むようなことは何もない。それに…』
アノスジェンは少し微笑んでワディンに頷いてみせた。
「ルートン兄様からお母さんを奪ったのではないとわかってホッとしています。兄様も兄様のお母さんと一緒にいられたんですよね。本当によかった」
「アノスジェン様…」
「僕、小さい頃にお母さんといられて幸せでした。僕の幸せは兄様の犠牲があったって思っていたんですけど、そうではなくて本当によかったです。お父様はとても厳しくて杖で叩いたりもする人でしょう。兄様はずっと苦しかったんだと思うのです。でも、兄様のお母さんがきっと庇ってくれましたよね」
俯きかげんで微笑むアノスジェンにワディンは『ルートン様は暴力など受けていない……あれはアノスジェン様にだけの仕打ちなんだ……』と下唇を噛む。
「お祖父様たちのお金も僕には使い方もわからないし、受け取っても意味がない。だから男爵家のこともそれでいいんです」
『お優しい過ぎる。そのお心はあの方々には届いていないのに』
「僕は何もできないのに、寝るところも食事も与えてもらいました。お義母様がルートン兄様のお母さんなら、僕や僕のお母さんのことは好きではないでしょう。それなのに『死なせない』といって庇ってくれたのです。小屋をもらってからはお父様に殴られることも減りました。お勉強の時間がなくなってしまったことはがっかりしましたけど……」
ガバリと頭をあげたアノスジェンはワディンに懇願の視線を向けた。
「ワディン。僕に勉強を教えてください。読み書きは少しできるけど、やっぱり知らない言葉がたくさんです。もっともっと知りたいです」
「もちろんです。ハリトー執事長様から渡されておりますよ」
ワディンは脇に置いていた中型のトランクケースを膝に乗せると開き側をアノスジェンに向けて大きく開く。
「うわぁ!!!」
そこには筆記用具やたくさんの本が入っていた。アノスジェンにとってあこがれの品々だ。
「こ、これを使っていいのですか?」
「もちろんです。アノスジェン様のお持ちものの一つですから」
「え? 僕の?」
「そうですよ。朝にお預かりした本はきっちり保管しました」
トランクケースから革袋を取り出し、ポンポンと叩く。
「ありがとう。お母さんとの大切な本なんだ。小さい頃に何度も何度も読んでくれたんだよ。本当はもっとたくさんあったんだけど、子供の頃、ルートン兄様がお母さんの本を欲しいっ言うからほとんどあげちゃったんだ」
アノスジェンもワディンも複雑な表情になる。昨日までなら「母親恋しさで」と思えたが、真実を知ると変わる。ワディンは『意地悪で奪ったに違いない』と悔しがり、アノスジェンは『兄様が欲しい本を僕が持っていてよかった』と頰を緩めた。
「切れかかっている場所もあるので、あちらの国に製本屋があったら直しましょう。では、早速このあたりから読んでみますか」
ワディンが一冊選んで手渡すと、アノスジェンはキラキラした瞳で新品の本を眺めた。
「新しい本はお母さんといたとき以来です」
「わからない言葉は私に聞いてください」
ワディンが言うより早く本を開いたアノスジェンは目を輝かせて本を読み始めた。その姿に頬を緩めたワディンはトランクケースのポケットの奥方へと先ほどの手紙をしまい込みトランクケースを閉めた。
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少したまったのでしばらく2話更新しまーす。
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