第9話『最強騎士を倒したので、強制的にメイドにしました』
微かな香りと、柔らかな感触が意識を引き戻す。
心地よい目覚めだった。あの冷たい地面での野宿生活とは、天と地ほどの差がある。
ふかふかのベッドに、清潔なシーツ。
身体に染みついていた疲労が、まるで嘘のように消えていた。
(……身体が軽い。まるで夢のようだ)
「やっと起きたニャ」
聞き慣れない、けれどどこか間の抜けた語尾。
視線を向けると、猫耳を揺らした少女がベッドの脇で腕を組んでいた。
「お前は……」
記憶が蘇る。雷と紅蓮の極大魔法。爆音と衝撃。
そして、あの妙な貴族の少年。
ゆっくりと身体を起こし、自分の状態を確認する。
(……傷が、ない? あの魔法をまともに受けて、生きているだけでも奇跡なのに)
「ご主人様が、回復魔法をかけてたニャ」
「回復魔法……? あの直後に……? 本当に、末恐ろしいな。あのガキ……」
「ご主人様はただの変態ニャ」
「……変態だと?」
唐突な罵倒に、一瞬、思考が止まる。
「そうニャ! ただの、ド変態ニャ!」
「ニア! 変なこと吹き込まないでよ!」
扉を開けて、クラウスが苦笑いを浮かべながら入室してくる。
「体調は問題なさそうですね!」
セラフィーナは鋭い視線でクラウスを見据える。
「……貴様、なぜ助けた?」
「約束、覚えてないんですか?」
「約束……? ああ、あれか。たしか、勝てば“お前のもとで働く”とか言っていたな」
「そうです! 僕が勝てば、“何でも”言うことを聞いてもらうって、確かにおっしゃってましたよ!」
「ふん……まあいい。確かに、お前にはそれだけの力があると認めよう。だが――私には、その資格がない。悪いが、諦めろ」
「それは、あなたが――セラフィーナ・アーデルハイトだからですか?」
その名を口にした瞬間、彼女の目が大きく揺れた。
「……なんだ。知っていたのか」
「ええ。あなたが眠っている間に、少し調べさせてもらいました。
あまりにも強すぎたので、“ただの旅人”ではないと、すぐに分かりましたから」
「……そうか。ならば話は早いな」
セラフィーナは静かにベッドから立ち上がる。動きに無駄はなく、静かに床へと足を下ろす。
「好きにするがいい。ノルザーク帝国の旧貴族にでも引き渡せば、それなりの金にはなるはずだ。命には、いくらかの価値はある」
「ふふ、何言ってるんですか?」
僕はにっこりと微笑んで言った。
「“何でも”言うことを聞くって、約束しましたよね?」
「……貴様、正気か? 私が仕えれば、私を狙う者たちがそのままお前を襲うことになるぞ。そんな事すら理解できないほど、頭が悪いのか?」
「でゅふっ……!」
こみ上げる感情を抑えきれず、笑みが漏れる。
「だからこそ。今日から、あなたには“セラフィーナ”ではなく――“セラ”として、新しい人生を送っていただきます!」
「な……何を、馬鹿な……!」
面食らった様子のセラフィーナに向けて、僕は手をパンパンと二度叩いた。
すぐさま扉が開かれ、メイド服姿の少女たちが整然と列を作って現れる。
「……っ! な、何だこれは……!? 何をするつもりだ!?」
「ふふふ、“何でもする”って言いましたよね?」
「や、やめろ! 貴様ら、近づくな! やめないか、この馬鹿どもォォォ!!」
叫び声とともに、セラフィーナは複数のメイドたちに囲まれ、強制的に引きずられていく。
そして、かすかな悲鳴を残して――彼女の姿は扉の向こうへと消えた。
「あーあ、かわいそうにゃ……」
「でも……すごく似合いそうですよね、メイド服」
セラフィーナが連行されてから、そう時間は経っていなかった。
僕が満足げに紅茶を啜っていると、控えめなノックの音が扉越しに響いた。
「クラウス様、準備が整いました」
静かに開いた扉の先には、完璧な立ち居振る舞いで一礼するメイド長・エリーゼの姿。
「ふふっ、ありがとうエリーゼ。それじゃあ……いよいよ、お披露目の時間だね」
「ええ、ご期待に沿えるかと」
エリーゼが一歩下がり、手を差し伸べて扉を大きく開く。
――そして、そこに現れたのは。
不機嫌そうに口を結び、頬を引きつらせながらも、完璧に着こなした黒と白のメイド服姿の“彼女”。
セラフィーナ……いや、これからは“セラ”と呼ぶべきか。
陽の光を柔らかく受ける金髪は、肩よりやや長めに揃えられており、艶やかに揺れている。メイド長エリーゼによって丁寧に整えられたその髪には、小さな黒いリボンがひとつ――控えめな装飾が、かえって凛とした美しさを際立たせていた。
すっと通った鼻筋に、鋭さを残した蒼い瞳。そして、唇をきゅっと結んだ表情には、どこか不機嫌さと諦念が混ざっている。けれどその反抗的な目つきすらも、彼女の強さと誇り高さを物語っていた。
その体には、エリーゼ特製の白黒のメイド服。高級仕立ての布地は体のラインを自然に引き立て、スカートの裾からは、鍛え抜かれた太ももが覗く。戦場を駆け抜けてきた者だけが持つ無駄のない筋肉のしなやかさが、メイド服の清楚さと危ういほどに調和していた。
「ふ、ふざけるな……! 誰が、こんな格好で……!」
怒気を帯びたその声も、どこか上品で耳に心地よい。
「でゅふっ……!」
僕は思わず、鼻の奥が熱くなるのを感じていた。
なんだこの破壊力は。戦場の花にメイドの清楚を加えた禁断の融合……!
「すっごく似合ってるにゃー」
ニアが、思わずぽつりとつぶやく。
「はい……とても凛としてて、綺麗です……!」
プルメアも頬を染めながら、そっと見つめる。
「……くっ。貴様、本当に最低だな……!」
鋭い視線が突き刺さる。それすら、僕の中では最高のスパイスだ。
「ふふふ……ようこそ、“僕の専属メイド”へ。セラ」
「この辱め、絶対に忘れんからな……!」
顔をそむけて吐き捨てるように言うセラに、僕は内心でガッツポーズを決めていた。
◆◆◆◆
我が息子、クラウスは至って優秀だ。
最近は次期領主としての自覚も芽生えたのか、領内の問題にも積極的に関与し、領民たちからの評判も上々。
さらに魔法の名門ヴァイスベルグ家においても、その才能は群を抜いており――十歳にして「神童」と呼ばれるほどである。
……だが、最近どうにも様子がおかしい。
猫耳の猫獣人を専属メイドにしたかと思えば、今度は人形のスライムを従魔にし、メイドに仕立てているというのだ。
本人は真面目そのものだが……もはや常識の範疇ではない。
せめて、人間の専属メイドでも雇えば――などと考えていた折、クラウスが言った。
『新しく“人間の”専属メイドを雇ったんです! ぜひ父上にご紹介を!』
ついにまともな感性が戻ってきたのかと、私は久しぶりに心から安堵した。
――その日の午後。
「トントン」
「入っていいぞ」
扉が開き、クラウスが顔をひょっこり覗かせる。
「父上、お時間ありがとうございます!」
「ああ。構わんよ。……新しい専属メイドを雇ったのだろう? 早く紹介してくれ」
紅茶を口に含みつつ、優雅にティーカップを傾ける。
さて、ようやく常識的な感性を持った清楚で礼儀正しい――そんな理想的なメイドに会えるだろうか。
「では――セラ、入ってきて!」
クラウスの呼びかけに応じて、扉の向こうから一人の女性が現れた。
完璧に着こなされたメイド服、金色の髪を美しくまとめた立ち姿。
その凛とした佇まいに、思わず息を呑む。
(……うむ。これは期待できそうだ)
そう思った矢先――彼女は一礼し、顔を上げた。
「ぶふっっっ!!?」
口に含んでいた紅茶が、盛大に吹き出された。
「く、クラウス……どういうことだ?」
「はて? どういうこととはどういうことですか、父上?」
まるで本当に分かっていないような顔で、息子が首を傾げる。
「……こちらが、僕の新しい専属メイド“セラ”です!」
「……セラ、か。……一応、確認するが。セラフィーナという名前では――ないんだな?」
「はい! “今は”セラです!」
(“今は”って言ったな!?)
私は震える手で、必死に紅茶を拭いながら、なんとか言葉を絞り出す。
「そ……そうか、違うのか……うん、なら……いい……」
だが――次の瞬間。
「私はメイドではない! 誇り高き騎士だ! たとえ姿を繕われようと、この心が変わることはない!」
セラが堂々と言い放った。
「セラ、何を言ってるのかな? ふふふ……では父上、そういうことなので!」
まるで何も問題はないと言わんばかりに、クラウスがセラを押し出しながら部屋を後にする。
……その姿が扉の向こうに消えていくまで、私はただ、呆然と見送るしかなかった。
そして、静かにティーカップを置き、頭を抱えた。
「……間違いない。あれは“セラフィーナ・アーデルハイト”。」
ノルザーク帝国――かつて一大勢力を誇った帝国の“剣姫”。
皇帝を自らの手で討ち、帝国に反旗を翻した、元帝国騎士団長。
今もなお、残党や旧貴族から命を狙われているはずの、危険人物中の危険人物だ。
そんな人物を――“専属メイド”にしてしまうなど……。
――息子よ。お前のメイド人選、どうなっているのだ……。
……もう、知らなかったことにするしかない。
そう、あれはセラ。断じてセラフィーナなどではない。
――はは……ははは……はぁ……。