第7話『父上が帰還したので、僕のメイドたちをお披露目します!』
月日の流れというのは早いもので、プルメアが屋敷に来てから、およそひと月が経っていた。
プルメアはただのスライムだった頃から、屋敷でメイドたちの仕事ぶりを熱心に観察していたからか、掃除、洗濯、給仕――いずれもそつなく、いや完璧にこなしており、すでに屋敷のメイドたちの間でも「新人とは思えない」と評判になっていた。
一方で、先輩メイドとしての立場を確保したいのか、ニアの様子といえば――
「ほらプルメア、洗濯物まとめといてニャ!
あと、部屋の片付けもやっとくニャ!」
「はい、かしこまりました。
ニアさんは、どうぞゆっくり休んでいてください」
「なっ……!
い、言われなくてもそうするニャ……!」
すっかり先輩風を吹かせて仕事を押し付けるニアと、
それを嫌な顔ひとつせず、淡々とこなしていくプルメア。
まったく――
あれほど「スライムに仕事なんてできない」と言い切っていた本人が、今ではそのスライムであるプルメアに、率先して仕事を任せているのだから面白い。
そんなある日のことだった。
王都へ出向いていた父――フレデリック・フォン・ヴァイスベルグが、屋敷へ帰還したのだ。
久しぶりに顔を合わせられると知り、僕は父に会うため、急いで執務室へと向かった。
扉を開けると、そこには帰還したばかりだというのに、すでに書類に目を通し、仕事を始めている父の姿があった。
「父上、お帰りなさい!」
そう声をかけると、父は顔を上げ、僕を見るなり穏やかに微笑んだ。
「ああ、クラウス。息災で何よりだ。
やはり王都は遠いな。移動だけで、ずいぶん骨が折れる」
そう言って肩を回し、軽く苦笑する。
確かに表情には長旅の疲れが滲んでいる。だが、それでも身なりはきちんと整えられており、その佇まいから威厳が失われているようには見えなかった。
僕と同じ銀色の髪は丁寧に整えられ、その眼光の鋭さもいつも通りだ。
無意識のうちに、常に「領主としての姿」を保つことが身についているのだろう。
僕も見習わなければと、思わず感心してしまう。
「今回は、ずいぶん長い王都での滞在でしたね」
「ああ。いろいろと建て込んでいてな、予定より遅れてしまった」
ここから王都までは、馬車でも一週間はかかる。
それだけの旅路となれば、相応の準備と費用が必要だ。
だから父上も、滅多に王都へ足を運ぶわけではない。
だが、王からの招集がかかれば、そうも言っていられない。
そして一度王都へ赴けば――
普段は貴族同士の付き合いがほとんどない、この辺境の地にいるからこそ、
否応なく、そうした煩わしい人間関係にも向き合わされるのだろう。
そのあたりは同情するしかないな……などと考えていた、そのとき。
僕の背後で、執務室の扉がゆっくりと開いた。
半開きの扉の隙間から、顔だけがひょいと覗く。
「うふふ……やっぱり、ここにいたのですね」
そう言って、扉の向こうから微笑みかけてきたのは、
僕の母――セリーヌ・フォン・ヴァイスベルグだった。
「もう、探したんですよ。どこにもいないから、
どうせここだと思って来てみたら……本当にここにいるんですもの。
母より先に父に会うなんて、ひどいじゃありませんか」
そう言いながら、口を少し膨らませて部屋に入ってくる。
腰まで届く銀髪が、歩みに合わせてシルクのように揺れていた。
どうやら、父上を探す僕と、僕を探す母上とで、
屋敷の中ですれ違ってしまっていたようだ。
「い、いえ……決してそんなつもりでは……」
「ふふっ、冗談よ。あなたの困った顔が見たかっただけです」
そう言って、母上はそのまま僕を優しく抱きしめてくる。
突然の抱擁にさすがに照れはするものの、
母の腕の中はとても温かく、心の奥が自然と落ち着いていく。
……だが、少し長い。
僕は無理やりその腕から抜け出し、咳払いを一つ。
「母上も、長旅でお疲れでしょう」
そう言って話題を逸らしたつもりだったが、
淡いピンクのドレスを揺らしながら、母上は一歩、こちらへ詰め寄ってくる。
「あらあら……どうして逃げるのかしら?」
にっこりと微笑むその表情に、
僕は言い知れぬ圧を感じていた。
「セリーヌ、そのあたりにしてあげなさい」
見かねた父上が、静かに助け舟を出す。
母上は一瞬だけ不満そうに唇を尖らせたものの、すぐに肩をすくめて小さく笑った。
「もぅ……仕方ないわね」
そう言って一歩引いた、その直後――父上が自然に話題を切り替えた。
「それより、なんでも専属メイドを雇ったと聞いたが」
「はい! えっと……二人ほど、専属メイドとして雇いました」
一瞬、プルメアを一人として伝えてしまってもいいのだろうか、と迷ったが、
今の彼女は紛れもなく人の姿だ。問題はないはずだ。
「そうか……では、ぜひ紹介してくれるか?」
「はい! 今、連れてきますね」
そう答え、僕は執務室を飛び出してニアとプルメアを探しに向かった。
◇◇◇
二人を連れて執務室へ戻り、父上と母上の前にニアとプルメアを並ばせた。
父上は、わずかに目を細め、困惑したような表情を浮かべている。
一方の母上は、いつもの柔らかな笑顔を崩すことなく、静かに二人を見つめていた。
「お待たせしました。まずこちらが、僕の専属メイドのプルメアです」
そう言って、僕は先にプルメアを紹介する。
ニアは見た目からして猫獣人だとすぐに分かる。
だからこそ――父上を困惑させているのは、より異質な存在であるプルメアのほうだと、僕は当然のように思っていた。
「プルメアと申します」
僕の紹介に合わせ、プルメアが丁寧に頭を下げる。
その様子をじっと見つめていた父上は、少し間を置いてから口を開いた。
「……メイドの仕事をするには、少し幼すぎるようにも見えるが」
父上は、慎重に言葉を選ぶようにしてそう告げた。
確かに、プルメアの身長は僕よりもやや低く、見た目も幼い。
人間に例えるなら、七歳か八歳ほどに見えても不思議ではない。
その点を案じる父上の判断も、もっともだと感じられた。
「そうですね……人の姿になったばかりなので、まだ幼く見えるかもしれませんが、
仕事のほうは問題ありません。すでに屋敷でも、きちんと務めています」
そう答えながら、僕は内心でうなずく。
見た目こそ幼いが、その働きぶりは、誰よりも確かだった。
――だが。
「……ちょっと待て。
私の聞き違いでなければ、今――
“人の姿になったばかり”と言ったように聞こえたが」
父上の声音が、わずかに低くなる。
先ほどまでの配慮に満ちた口調とは異なり、
そこには、明確な違和感と引っかかりが滲んでいた。
――しまった。
僕としたことが、
最も重要な点を、完全に後回しにしてしまっていたのだ。
「すみません、父上。最初に言うべきでした。
実は、プルメアは……スライムなんです」
「ス……スライム、だと?」
父上は、その言葉を確かめるように低く復唱した。
にわかには信じがたい――そう語るまでもなく、表情が物語っている。
無理もない。これほど常識外れな話を、即座に受け入れろという方が酷だろう。
だが、それは紛れもない事実だ。
僕は、プルメアとの出会いから今に至るまでの経緯を、順を追って説明した。
話を聞き終えた父上は、しばし黙り込み――
やがて、半ば諦めたように小さく息を吐く。
「……なるほど。つまり、お前の魔力によって、言わば“進化”した、ということになるのか?」
「はい……現時点では、そう考えるのが一番自然だと思っています」
「そうか。だが……人型とはいえ、さすがにスライムをメイドにするなど――」
そう言いかけた父上の言葉を、母上がふわりと遮った。
「あらあら、あなた。
スライムだからって、そんなに難しく考えなくてもいいじゃない」
くすっと微笑みながら、母上は一歩前に出る。
「だって、見てちょうだい。
こんなに行儀がよくて、可愛らしい子でしょう?」
そう言って、優しい視線をプルメアへと向けた。
「プルメア……ちゃん、でいいのかしら?」
「は、はい……奥様。
ご主人様から、プルメアという名前をいただきました」
「あら、素敵な名前ね。
それで――あなたは、クラウスのためにメイドとして仕えているのよね?」
「はい!
私はご主人様の専属メイドであり、従魔として、
お世話はもちろん、必要とあらばお守りできるよう、精一杯務めさせていただきます!」
「まあまあ……なんて立派なのかしら」
母上は感心したように手を頬に添え、そのまま、にこやかに父上を振り返る。
「ねえ、あなた。
これだけしっかりしている子を、反対する理由なんてありませんわよね?」
だが、それでも父上は、まだどこか踏み切れない様子だった。
「し……しかしだな……」
「あ・な・た?」
柔らかな声色とは裏腹に、有無を言わせぬ一言。
父上は小さく息を整え、もう一度プルメアへと視線を向ける。
「……まあ、確かに。
悪さをするような性格には見えないが……」
そう呟くように言ってから、父上は母上へと視線を戻す。
そこには、にっこりと微笑む母上の――無言の圧があった。
父上は一瞬だけ目を閉じ、やれやれと息を吐く。
「あぁ……分かったよ。
では、プルメア。これからもクラウスに仕え、その務めを果たしなさい」
どうやら、威厳ある父上であっても、母上の圧には逆らえないらしい。
内心で、母上に盛大な拍手を送りたい気分だった。
「は……はい!
ありがとうございます、旦那様!」
プルメアが元気よく頭を下げると、
今度は父上の視線が、ゆっくりとニアへ移った。
「それで……次は、そちらの子だな」
そう言う父上の眼差しは、
先ほどプルメアを見ていた時よりも、どこか鋭さを帯びている。
てっきり父上が気にしていたのはプルメアのほうだと思っていたが、どうやら本当に注視していたのは――ニアの方だったらしい。
「こちらは、猫獣人のニアです」
「ニアニャ! 仕方なくメイドをやってやってるにゃ」
元気よく――というより、いつも通り遠慮のない挨拶に、
父上はわずかに眉を動かした。
「なるほど……君が、あの……」
言葉を途中で切った父上の反応で、察しがついた。
ローエンブルクの街での出来事は、すでに父上の耳にも入っているのだろう。
よくよく考えれば当然だ。
この領地を治める辺境伯に、重要な騒動が報告されていないはずがない。
……まずい。
そう直感した瞬間、僕は焦るように弁明する。
「父上……確かにニアは、ローエンブルクの街で少しばかり問題を起こしましたが、
今は反省して、しっかりと――」
そこまで言いかけて、ふと、ニアのサボり癖が脳裏をよぎる。
……はたして「しっかり働いている」と言い切っていいのだろうか。
一瞬の逡巡に、僕の良心が、ちくりと痛んだ。
だが、ここは嘘をついてでも印象を良くしておかねば――
そう思い、僕は言葉を選び直す。
「……しっかりと……すこしだけ、でも、ちゃんと、働いています!」
我ながら苦し紛れにも程があるフォローだ。
そんな僕の必死さが可笑しかったのか、父上はわずかに口元を緩め、静かに首を振った。
「ああ、いや。すまない。
彼女の働きぶりについて、とやかく言うつもりはないんだ」
思わず、肩の力が抜ける。
「私が気にしているのは、そこではない。
ローエンブルクで“猫獣人が騒ぎを起こしている”という報告は、以前から受けていたが」
父上の視線が、再びニアへと向けられる。
「猫獣人族は、本来あまり人間社会と深く関わらない種族だ。
にもかかわらず、なぜローエンブルクの街に住み着いていたのか――
そこが、ずっと気になっていてな」
その言葉を聞いた瞬間、ニアの表情がわずかに曇った。
確かに、そもそもなぜニアがあのような生活を送っていたのか。
今更ながら、僕はその理由をきちんと聞いていなかった。
気になった僕は、声の調子を抑え、慎重に問いかける。
「……もし、言いづらくなければ。
教えてもらえるかな?」
珍しく俯いたままのニアの様子から、
よほどの事情があったのだと察する。
ニアはしばらく黙り込み、
やがて、耳を伏せたまま、静かな声で口を開いた。
「あたしは……逃げてきたニャ」
「……逃げてきた?」
「そうニャ。
村が……突然、襲われて……」
ニアは拳をぎゅっと握りしめ、唇を噛みしめる。
「村のみんなは戦ったけど……負けたにゃ。
連れ去られた人もいたし……
あたしは、逃げることしかできなかったにゃ……」
その言葉の重さに、僕は思わず息を呑んだ。
だが父上は表情を崩すことなく、静かに問いを重ねる。
「……襲ってきた者たちの姿は、覚えているか?」
ニアは少し考え込むように視線を落とし、
やがて、小さくうなずいた。
「……普通の人間より、ずっと動きが揃っていたニャ。
武器も防具も同じで……
まるで、軍隊みたいだったニャ」
その瞬間、父上の目が鋭く細められた。
「軍隊、か……」
低く呟くその声音には、
何か含みのある響きがあった。
「……父上。
何か、心当たりが?」
僕の問いに、父上はすぐには答えず、
ゆっくりと一度、深くうなずいた。
「……ああ。
実は今回、王都での滞在が長引いた理由と、無関係ではない」
「どういうことです?」
思わず、声に力がこもる。
「ノルザーク帝国は、知っているな?」
「はい。
内乱の末に滅びたと聞いていますが……」
ノルザーク帝国――
このグランヘルム王国の北、大森林を隔てた先に存在していた国家だ。
地理的に直接の接点は少なかったが、
その名は、噂として常に耳に入ってきていた。
強大な軍事力を背景に周辺国へ侵略を繰り返し、
だが数年前、帝国内部で勃発した内乱により、事実上滅亡。
反旗を翻した帝国騎士団によって皇帝は討たれ、
その後は派閥同士の権力争いが激化。
国としての統治機能は完全に崩壊した。
現在は、見かねた隣国――
リュミエール聖王国が、暫定的な統治を行っていると聞く。
「ああ。その帝国の残党が、
傭兵や略奪集団となって各地で動いているという情報が入っている」
父上は静かに続けた。
「王都では、その対策を協議するため、
有力貴族が集められていた。
私の帰還が遅れたのも、そのせいだ」
「……では、
ニアの村を襲ったのも、その残党の可能性がある、と」
「断定はできん。
だが、その可能性は高い」
父上は、静かだが確固たる口調で言い切った。
「いずれにせよ、
このグランヘルム王国にとっても、
決して見過ごせない問題だ」
その表情には、領主としての決意が滲んでいた。
僕は改めて、ニアを見つめる。
普段はツンツンして、素直とは程遠い彼女。
だが、その小さな身体には、
想像以上の傷が刻まれているのだろう。
握りしめられた拳が、かすかに震えていた。
「ニア……
辛いことを話させてしまって、ごめん」
そう声をかけると、
ニアは少し驚いたように顔を上げ、
慌てたように尻尾をぴんと立てる。
「べ、別にいいニャ!
それより……もしそいつらを見つけたら、
絶対に許さないニャ!」
強がった口調とは裏腹に、
声はわずかに震えていた。
そのとき――
「……辛かったのね」
やわらかな声とともに、
母上がそっと歩み寄り、ニアを抱きしめた。
「え……ニャ?」
「よく頑張って、生きてここまで来てくれたわ。
えらいわ、ニアちゃん」
優しく、包み込むように。
「にゃ、にゃにしてるニャ……!
や、やめるニャ……!」
言葉では拒みながらも、
ニアの尻尾はふわりと力を失い、
頬も、ほんのりと赤く染まっていく。
握りしめていた拳が、
そっとほどけた。
「……うぅ。
にゃんで、こんなに優しいのニャ……」
母上――セリーヌは、
ニアの髪を撫でながら、穏やかに微笑む。
「クラウスちゃんのメイドさんが、
こんなに頑張り屋さんで、可愛くて……
私、とっても嬉しいわ」
その包容力に触れ、
ニアの表情から、少しずつ強張りが消えていく。
その光景を見て、
僕の胸にも、じんわりと温かいものが広がった。
――その空気を崩さぬように、
父上が静かに口を開く。
「……とはいえ、
残党の動きは各地で活発化しているようだ」
「ヴァイスベルグ領も、
いずれ無関係ではいられなくなるだろう。
警戒は強めておく必要がある」
「はい。
僕も、領内の街や村の様子を確認しておきます」
父上は忙しく、
すべての街や村を巡ることはできない。
だからこそ、僕が直接この目で見る意味がある。
「すまないな。
そうしてくれると助かる」
その言葉に、僕は力強くうなずいた。
そして、話題を切り替えるように父上が言う。
「それにしても……
お前が選んだメイドたちは、なかなか個性的だな」
プルメアとニアを見比べ、
父上はふっと笑みを浮かべる。
「僕にとっては、理想のメイドたちです」
「なるほど。
お前らしいな」
重い話題のあとだったからか、
部屋の空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
両親との面会を終え、
僕たちは執務室を後にする。
「ニア、プルメア。
これから少し忙しくなるけど、頼りにしているよ」
「仕方ないから、頑張ってやるニャ!」
「はい。
全力でお仕えします」
二人の返事に、
自然と口元が緩む。
問題は山積みだ。
だが――
このメイドたちとなら、
きっと乗り越えていける。
そう確信しながら、
僕は前へと歩き出した。
◇◇◇
執務室を後にする息子を見送る、父・フレデリックは静かに目を細める。
――人の姿を取るスライム、か。
脳裏をかすめた、とある“可能性”に、彼の表情がわずかに揺らぐ。
「人型のスライム……まさかな。そんな訳はないか」
誰にも聞かれることのない独り言が、静かな執務室に溶けていった。




