第5話『魔物討伐! ニア初陣へ』
僕の父上が領主を務めるヴァイスベルグ辺境伯領は、隣国との国境沿いに広がる広大な領地だ。
他国からの侵略への備えはもちろん、北に広がる大森林からの魔物の脅威にも、常に目を光らせなければならない。
この土地を管理し、維持し、そして守り続ける――それが、ヴァイスベルグ家に課せられた役目である。
今のところ、隣国との情勢は比較的落ち着いている。
だが、北の大森林はそうはいかない。
あの森には普段から魔物が跋扈しており、常に危険を孕んでいる。
もっとも、日常的な脅威については、冒険者ギルドを通じて討伐依頼を出しており、冒険者たちが定期的に森へ入り、魔物を狩ってくれている。
それは冒険者たちの生計にもなり、そのおかげで魔物による被害は最小限に抑えられ、領内の治安も比較的安定していた。
――だが、問題は“大森林の奥”だ。
あの一帯には魔力の濃い瘴気が漂い、
常識では測れないほどの力を持つ魔物が彷徨っている。
そして、時折そうした存在が、森の入口付近まで迷い出てくることがある。
そうなった場合、一般の冒険者では手に負えない。
特に、高ランクの冒険者がほとんど存在しないヴァイスベルグ領では、
最終的に当家が人員を出し、直接討伐に向かうしかないのだ。
……そして。
今回が、まさにそのケースだった。
報告では、森の入口付近に現れたのは“ブルードベア”――
体長三メートルを超える、魔力をまとった熊型の魔物だという。
とはいえ、出現は一体のみ。
正直なところ、僕一人でも十分に討伐可能ではある。
「ふむ……それなら――」
そこで、ふと一つの考えが浮かんだ。
僕の専属メイドとなった、ニアのことだ。
メイドになったのはいいものの、あの性格である。
掃除や洗濯といった細かな作業はどうにも苦手で、
他のメイドたちとはようやく打ち解けてきたものの、
正直なところ、現状では足を引っ張っている場面も少なくない。
まあ、僕自身はまったく気にしていないのだが、失敗が続けば、彼女自身が落ち込んでしまう可能性もある。
それは、できれば避けてやりたい。
――ならば。
彼女の“得意なこと”を、もっと伸ばしてやればいい。
ニアの強みといえば、間違いなく戦闘センスだ。
獣人であることに加え、本人の口ぶりから察するに、
族長の娘として幼い頃から相応の訓練を積んできたのだろう。
せっかくなら、戦えるメイド――
いわゆる“バトルメイド”として活躍してもらうのも悪くない。
メイドが戦闘を行うなど、
常識的に考えればあり得ない話だ。
それは前世の価値観でも同じだった。
だが、ここは異世界だ。
そんな常識に、従う必要はどこにもない。
そう考えると、自然と気分が高揚してくる。
僕は椅子から立ち上がり、
さっそくニアを探すため、部屋を後にした。
◇◇◇
メイドたちの仕事が一段落する昼下がり。
この時間帯にニアがいる場所は、だいたい決まっている。
陽の差し込む窓辺で丸くなって昼寝をしているか――
あるいは、厨房付近でつまみ食いをしているか。
そして今回も、予想は外れなかった。
厨房の奥、パントリーの方から、聞き覚えのある小声が漏れてくる。
「ニッシッシ……この焼き菓子、香りが最高ニャ……
誰にも見つからなければ、あたしの勝ちニャ……!」
そこにいたのは、言うまでもなく――
盗み食い常習犯、猫獣人メイドのニアである。
まったく、毎回のように最終的にはメイド長に見つかり、
こっぴどく叱られているというのに。
少しは学習してほしいものだ。
……だが、そこがまた可愛いのも事実である。
でゅふ。
「見つけたよ」
背後からそっと近づき、声をかけた瞬間――
ニアは飛び跳ねるように驚いた。
「ニャあああっ!?
な、何ニャ!?
急に話しかけるなニャ!!
心臓が飛び出るかと思ったニャ!!」
そう叫びながらも、
焼き菓子を背中に隠すその動きだけは、実に素早かった。
「ニア、出かけるよ。準備して」
あえて焼き菓子の件には触れず、
見て見ぬふりをしたまま、にっこりと笑ってそう告げる。
「ニャ?
でも、午後からはお掃除の時間ニャ」
ポカンとした顔でそう呟くニア。
サボり癖はあるが、一応、予定は把握しているらしい。
「そっちは大丈夫だよ。エリーゼには、僕から話しておくから」
ヴァイスベルグ家のメイドである以上、屋敷の仕事があるのは当然だ。
だが――ニアは、僕の専属メイド。
つまり、家の定例業務よりも、
僕の用事のほうが優先される。
そう伝えると、ニアはぱっと表情を明るくし、
思わず手を上げて喜んだ。
「お掃除しなくていいのかにゃ!?」
ニアはくるくると踊るように回り、全身で喜びを表現した。
だが、次の瞬間――ぴたりと動きを止め、すっと真顔に戻る。
「……にゃ。
でも、どこに行くんだにゃ?」
まったく、勘のいい猫娘である。
このまま勢いで連れ出してしまうつもりだったが、どうやらそう簡単にはいかないらしい。
「北の大森林だよ」
「北の大森林……?
いったい、なにしに行くんだにゃ……」
さっきまでの浮かれた様子は消え、
疑うような視線が、まっすぐこちらに向けられる。
「魔物の討伐だよ」
できるだけ軽い調子で、
何でもないことのように告げてみた――のだが。
「ニャぁぁ!?
なんであたしが魔物討伐に付き合わなきゃいけないニャ!!」
……やはり、こうなる。
ここまで安全な屋敷で、寝食も保証され、給金まで出る生活に慣れてしまえば、
今さら危険な目に遭いたくないと思うのも無理はない。
本当は黙っておくつもりだったが――仕方ない。
「そうか……。
じゃあ、さっきの焼き菓子のこと、メイド長に報告しようかな?」
探るように、あくまで何気なく言ってみる。
「ぐっ……!
卑怯ニャ……!!」
普段の僕に対する態度からは、
とても想像できないのだけれど。
どうやら、エリーゼの教育は、
ニアにも十分な恐怖を刻み込んでいるらしい。
「し……仕方ないにゃ。
少しだけ、付き合ってやるにゃ」
尻尾をぴんと逆立て、歯ぎしりしながらそう言うニア。
その悔しそうな姿が、正直――ちょっと可愛い。
「でゅふ……決まりだね!」
こうして僕とニアは、
二人そろって屋敷を後にすることになった。
◇◇◇
街を抜け、森の中へと続く小道を進んでいると、ニアが不機嫌そうに耳をぴくぴくと動かしながら、小言をこぼした。
「……ほんっと、意味わかんないニャ……
なんでメイドが魔物討伐なんてことになるニャ……」
半ば諦めてついてきたとはいえ、やはり納得はしていないらしい。
それでも文句を言いながら、きちんと隣を歩いているあたり、少しずつではあるがメイドとしての自覚は芽生えつつあるのだろう。
その様子がどこか微笑ましくて、思わず頬が緩んでしまう。
「まあまあ。そう言わずにさ。息抜きの狩りだと思って、楽しもうよ」
「……息抜きの内容じゃないニャ……」
ぶつぶつ言いながらも、ニアは歩みを止めない。
そんなふうに二人で森を進んでいた、その時だった。
「……おや?」
道の脇に、ぷるぷると小刻みに震える存在が目に入り、僕は足を止めた。
「……スライムだ」
「ニャ?」
そこには、小さな青いスライムがいた。
道端に生えているきのこを、もそもそと食べている。
半透明の身体はぷるぷると揺れ、その様子は実に愛嬌がある。
だが、よく見ると――
身体の一部が、わずかに濁っていた。
傷というより、魔力の流れが乱れているようにも見える。
「……もしかして、怪我してるのか?」
僕は静かに膝をつき、そっとスライムを抱き上げた。
手のひらに伝わる、ぷるぷるとした感触。
柔らかくて、弾力があって、何とも言えない抱き心地だ。
理由はうまく言えないが――
どうしようもなく、放っておけない気がした。
正直、魔物に回復魔法が効くかは試したことがない。
だが、やってみる価値はあるだろう。
そう判断し、そっと手をかざす。
「癒しの光」
淡い光がスライムを包み込む。
次の瞬間、スライムは一段と元気になったように、ぷるんっと大きく弾んだ。
「よかった。どうやら回復魔法は効くみたいだね」
そう声をかけると、まるで理解したかのように、
スライムはぴょん、ぴょんと小さく跳ねた。
「……おお……これは……可愛い」
思わず漏れたその一言に、
隣から、刺すような視線を感じる。
ニアが、じっとこちらを睨んでいた。
疑念百パーセント、と言わんばかりの目だ。
「……ちょっと待つニャ。
まさかとは思うけど……また、変なこと考えてないニャ?」
「いや、だってさ。このフォルム、この弾力、この柔らかさ……」
僕はスライムをそっと持ち上げながら、真顔で続ける。
「せっかくなら、メイド服を着せたら完璧じゃない?」
想像が一気に広がった。
スライムメイド――前世では絶対にあり得なかった存在。
だが、ここは異世界だ。常識など、最初から通用しない。
「ニャああああ!?
正気かニャ!?
どうやって働かせる気ニャ!?
喋れニャいし、服も着れないニャ!!」
ごもっともな反論だが、
そもそも“働かせる”必要があるだろうか。
癒しとしてそこにいてくれるだけで、
僕としては何の問題もない。
服だって、エリーゼの手にかかれば、
スライム用の特注メイド服くらい造ってしまうだろう。
そんなことを一人で真剣に考え込んでいると――
「話を聞けにゃ!!」
森の中に、ニアの叫び声が虚しく響いた。
まったく。
ニアは少し、常識に縛られすぎているのかもしれない。
――などと思っていると、
ニアは腕を組み、じっと睨みながら言い放つ。
「だいたい、今は魔物討伐に向かってる最中ニャ!
スライムに構ってる場合じゃないニャ!」
「……うぅ」
まさかニアに正論を叩きつけられる日が来るとは。
正直、少しだけショックだ。
たしかに、今回は彼女の言うとおりだ。
本音を言えば連れ帰りたいが、
今は優先順位が違う。
「……そうだね。今は魔物討伐が優先だ」
名残惜しさを押し殺し、スライムをそっと地面に下ろす。
スライムは警戒する様子もなく、
再びのんびりときのこを食べ始めた。
その姿を最後にもう一度だけ眺めてから、
僕たちは踵を返す。
胸に小さな未練を抱えたまま、
さらに森の奥へと歩みを進めていった。
◇◇◇
森をさらに奥へと進んでいくにつれ、空気が目に見えない圧となって肌にまとわりついてくるのを感じていた。
木々の葉擦れの音は次第に遠のき、
先ほどまで聞こえていた鳥の鳴き声も、いつの間にか完全に消えている。
僕は自然と足を止め、周囲へと警戒の視線を走らせた。
その変化に、ニアもすぐ気づいたようだ。
耳と尻尾をぴんと立て、低く身構える。
「……前方に、なにかいるニャ」
獣人であるニアは、筋力だけでなく、
聴覚や嗅覚といった感覚器官も人間を大きく上回っている。
そのニアがはっきりと警戒を示すということは――
次の瞬間だった。
ズシン……ズシン……
地面を踏み鳴らす、重く鈍い足音。
それが、確実にこちらへ近づいてくる。
そして――
「グルゥオオオオオ……!!」
腹の底を揺さぶるような咆哮が、森の奥に轟いた。
茂みを押し分け、姿を現したのは――
赤黒い毛並みに覆われた、巨大な熊型の魔物。
体長は三メートルを優に超え、
筋肉の鎧をまとったかのような巨体から、
濃密な魔力が霧のように立ち上っている。
血に染まったかのような毛色。
見る者に、本能的な恐怖を刻み込む威圧感。
――ブルードベア。
その名の通り、“血染めの熊”と恐れられる危険種だ。
もし人里に出現すれば、確実に死者が出るとされる存在。
「ニャッ!?
ちょ……デカすぎるにゃ!!」
さすがの迫力に、ニアは一歩たじろいだ。
だが本能が逃走よりも戦闘を選んだのか、
尻尾の毛を逆立てながら、必死に臨戦態勢を取る。
「落ち着こう。
僕が正面から注意を引く。
その間に、ニアは隙を突いて攻撃して」
「ニャ!?
なんであたしが攻撃役ニャ!!
近づいたら即死ニャ!!」
文句を言われても仕方がない。
僕の戦い方は魔法による遠距離制圧。
一方、ニアの武器は爪と打撃――つまり近接戦闘だ。
必然的に役割は決まっている。
だが、ニアは完全に腰が引けているようだ。
額には冷や汗が滲み、耳はぺたんと伏せられている。
――戦意喪失寸前だ。
「大丈夫だよ!
万が一、怪我しても回復魔法で治せるから!」
「万が一でも怪我なんてしたくないにゃ!!」
そう叫びながら、ニアは僕の服を掴み、
必死に後ろへ引っ張る。
「撤退するニャ!
二人だけじゃ無理ニャ!!」
その必死さに思わず口元が緩んでしまった。
「でゅふふ……
怯えてるニアも可愛いね」
「何言ってるにゃ!そんな事言ってる場合じゃないニャ!!
今は逃げるときニャ!!」
全力でツッコミを入れるニアを見て、
僕は小さく肩をすくめた。
――ブルードベア一体で、少し大げさだ。
本音を言えば、これくらいは一人でも対処できるようになってほしいが……
まあ、今は仕方ない。
その瞬間。
ブルードベアが唸り声を上げ、
鋭い眼光をこちらへ向けた。
次の刹那、
巨体とは思えぬ速度で地面を蹴る。
空気を裂く轟音とともに、
巨大な影が一直線に突進してきた。
あまりの迫力に、
ニアは思わず顔を背ける――が。
「重力障壁!」
無色透明の重力障壁が、前方に瞬時に展開される。
――ガァンッ!!
まるで見えない岩壁に衝突したかのような衝撃音。
地面が揺れ、ブルードベアの巨体がわずかに弾き返された。
「ニア、今だ!」
「ニャッ!?
い、いまニャ!?」
あの突進速度を見て、
逃げるのは不利だと理解したのだろう。
ニアの表情が、恐怖から覚悟へと切り替わる。
「くっ……!
行くしかないニャああああ!!」
叫びと同時に、ニアが地を蹴った。
疾風のように間合いを詰め、
一気にブルードベアの側面を駆け抜ける。
「喰らうニャああああ!!」
鋭く伸ばした爪が、
ブルードベアの前脚へと深々と食い込んだ。
「グオォォォォ!!」
怒りの咆哮。
その瞳が真紅に染まり、膨大な魔力が一気に噴き上がる。
「うわっ、怒ったニャ!?」
「……来るよ!」
ブルードベアは丸太をへし折るような勢いで前脚を振り上げ――
地面を叩き割る。
ドガァァァァン!!
土煙が爆ぜる。
ニアは間一髪で跳び退き、衝撃をかわした。
「ちょ、ちょっと待つニャ!?
本気で食らったらミンチニャ!!」
「落ち着いて。僕がサポートする」
「魔力強化!」
魔力がニアの身体を包み込み、
反応速度と踏み込みの鋭さが一段階引き上げられる。
「ニア、左から回り込んで!
次の隙でもう一度脚を狙って!」
「わ、わかったニャ!!」
今度は迷いがない。
ニアは再び地を蹴り、風を裂く速度で巨体の脇をすり抜ける。
「そこニャッ!!」
閃いた爪が、同じ脚へと二撃目を叩き込んだ。
「グオォォオ……!」
今度は確実に効いた。
ブルードベアの脚が崩れ、巨体が大きくよろめく。
「いいぞ、ニア。仕上げは僕が――!」
僕は魔力を練り上げ、右手を天へ掲げた。
「雷槍召喚!」
空中に光の槍が出現し、
圧縮された雷の魔力が空気を震わせる。
「――雷よ、落ちろ!!」
ドガァァァァァン!!!
雷槍がブルードベアを貫き、激しく炸裂した。
「グ、グルオォォ……!」
赤黒い巨体がびくりと大きく痙攣し――
やがて力尽きたように、大地へと崩れ落ちた。
――静寂。
先ほどまで森を満たしていた重苦しい気配が嘘のように消え、代わりに、奥から涼やかな風が静かに吹き抜けていく。
「……終わった、ニャ?」
慎重に周囲を見渡しながら、ニアが尻尾をふるりと揺らし、僕の隣へと戻ってきた。
「うん。よく頑張ったね」
素直にそう告げると、ニアは一瞬きょとんとした表情を浮かべ――次の瞬間、ぷいっと顔を背ける。
「べ、別にご主人様のために頑張ったわけじゃないニャ……!
ただ……死にたくなかっただけニャ!」
強がる声とは裏腹に、耳の先までほんのり赤く染まっている。
「でゅふふ……」
「笑うなニャ……」
不機嫌そうに言いながらも、
ニアの尻尾は正直だった。
気づかぬうちに、誇らしげに、
小さく、ゆらりと揺れている。
――初めての実戦。
それは確かに、彼女の中に何かを残したようだった。




