第4話『ツンツン猫獣人がツンデレメイドになった件』
あれから僕は、しばらくゴネ続けていたニアを連れて、転移魔法で屋敷へと戻ってきた。さすがに観念したのか、今は大人しくついてきているが、その目から反抗の色が消えたわけではないようだ。
でゅふ。実にいい。
屋敷の正面玄関の扉を開け、ニアとともに中へ入る。まずは、メイド長を呼び出さなければならない。
「エリーゼ! エリーゼはいる?」
ニアをメイドとして迎えるのであれば、真っ先に通すべき相手がいる。それが、メイド長であるエリーゼだ。
雇用関係そのものは当家との契約になるとはいえ、実務としてのメイドの採用・教育・配置は、すべてエリーゼに一任されている。
つまり――ニアをメイドとして雇うには、彼女の了承が不可欠というわけだ。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま。お呼びでしょうか」
僕の声に応じ、エリーゼがすぐさま姿を現した。急いで来たはずなのに、その所作に乱れは一切ない。さすがは我が家のメイド長である。
「エリーゼ。この子なんだけど」
そう言って、隣に立つニアを示す。
「この子を、僕の専属メイドにしたいんだけど……」
なるべく上目遣いになるよう意識しつつ、エリーゼを見つめる。自分で言うのもなんだが、構図としては完全に、子供が捨て猫を拾ってきて親に頼み込んでいるそれだ。
普通であれば、さすがに一度は考え直すよう諭されてもおかしくない。そう――常識に照らせば、だ。
「かしこまりました、坊ちゃま」
だがエリーゼは、まるで当然の決定事項であるかのように、柔らかな微笑みとともに即答した。
……そう。エリーゼは、僕にとにかく甘い。
他のメイドへの教育は厳格そのものだと風の噂で聞いているが、少なくとも僕に対して否定的な言葉を向けられた記憶は一度もない。
あまりにも迷いのない承諾に、隣のニアのほうが呆然と口を開けている。その反応が可笑しくて、僕は思わず頬を緩めた。
「あ……あたしは、獣人ニャよ?」
ぽかんとしたまま、ようやく絞り出した言葉。どうせ子供の思いつきだと大人に止められると踏んでいたのだろう。だからこそ、あの場では急におとなしくなっていたに違いない。
「たしかに……そうですね」
ニアの言葉に、エリーゼが静かに頷く。
一瞬、胸の奥がひやりとした。種族を理由に拒まれる可能性がよぎったのだ。
だがエリーゼは、落ち着いた所作で首を横に振る。
「いえ。獣人であること自体は、問題ではございません」
そう前置きしてから、改めてニアへと視線を向ける。
頭の先から爪の先まで、余すところなく確認する、実務の視線。
その意味に気づき、僕もようやく理解する。
そう――身なりである。
擦り切れた服、絡まった髪、土にまみれた手足。野良猫と呼ばれても否定できない有様である。
「……仕方ありませんね」
エリーゼが小さく呟き、パン、と手を叩く。
次の瞬間、背後の廊下から数名のメイドたちが、音もなく姿を現した。まるで最初から待機していたかのような、完璧なタイミングである。
その視線が、一斉にニアへと向けられる。
「にゃ!? な、なんにゃその目は!?」
ニアが一歩後ずさるより早く、メイドたちは流れるような動きで距離を詰めた。
左右から腕を取られ、背後を押さえられ、あっという間に拘束完了。
「にゃ!? な、何するにゃ!?」
「まずは入浴でございます」
エリーゼが、穏やかな声で告げる。
「身だしなみは、すべての基本ですので」
「ちょ、ちょっと待つにゃ!! おろすにゃ!! お風呂は嫌にゃ!! やめてにゃあああああ!!」
宙に浮いたまま必死に手足をばたつかせるニア。しかしメイドたちは微動だにせず、そのまま規律正しく廊下の奥へと歩み去っていく。
やがて響き渡る悲鳴も、曲がり角の向こうへと消えていった。
◇◇◇
ニアがお風呂へ運ばれてから、しばらく後。
僕は自室で、エリーゼが淹れてくれた紅茶を嗜んでいた。
紅茶というものは非常に繊細だ。
湯の温度はもちろん、その日の湿度や気温によってさえ、風味は微妙に変化する。
正直に言って、エリーゼ以外が淹れた紅茶であれば、僕はすぐに違いを言い当てる自信がある。
それほどまでに、彼女の紅茶は常に完璧な仕上がりなのだ。
――さすがは、完璧なメイド長。
そんなことを考えていた、その時だった。
自室の扉がノックされ、聞き慣れたエリーゼの声が響く。
「坊ちゃま、お待たせしました。準備が整いましたので、ご確認を」
ゆっくりと扉が開かれる。
そこに立っていたのは、エリーゼ。
そして、その隣――。
見違えるほど綺麗になった、メイド服姿のニアだった。
紫色の髪は丁寧に整えられ、肩口でふんわりと揺れている。
毛並みの良い猫耳はぴんと立ち、わずかに不機嫌そうにぴくぴくと動いていた。
白と黒のコントラストが美しいメイド服。
胸元のフリルや袖口のレースが、普段の野性味ある雰囲気とは正反対の“清楚さ”を際立たせている。
腰から伸びる長い尻尾にはリボンが結ばれ、歩くたびにふわりと揺れる。
まさに――理想的な猫耳メイドだ。
細身ながら引き締まった脚線。
しなやかに伸びる太もも。
完成度が高すぎる。
その姿を目にした瞬間、僕は言葉を失った。
そして次の瞬間――歓喜の声が、自然と漏れ出る。
「でゅふふふふゅゅゅ……!」
完璧だ。
何をやらせても完璧なエリーゼの手による仕上がりだ。
「最高だよ! 可愛すぎる!」
紛れもなく本心だった。
その言葉を聞いたニアは、顔を赤らめ、ぷいっとそっぽを向く。
「だっ、誰が可愛いニャ!!///」
――だが、それがいい。
その仕草こそ、猫耳ツンデレメイド誕生の瞬間だった。
ヘッドドレスのリボンが揺れ、膨らませた頬から小さな八重歯が覗く。
あまりにも理想的で、思わず神に祈りを捧げたくなるほどだ。
――が。
その空気を切り裂くように、ニアが叫んだ。
「……そもそも、わたしはメイドなんかやるつもりないニャ!!」
鋭い視線で僕を睨みつける。
「ガキンチョのメイドになるなんて、ごめんニャ!」
その瞬間、エリーゼがすっと前に出た。
「ニアさん。ご主人様に対して“ガキンチョ”は不適切です」
「はぁ!? でも、コイツはガキンチョニャ!!」
「“ガキンチョ”は禁止です。“ご主人様”とお呼びください」
「ぜっっったいに嫌ニャ!!!!!」
尻尾を逆立て、全力で拒否するニア。
「無理矢理連れてこられて、メイドにさせられるなんて違法ニャ!! 奴隷と変わらないニャ!!」
さすがのエリーゼも、わずかに言葉に詰まる。
僕は小さく息を吐き、ニアの目を真っ直ぐ見据えた。
――怒りと恐れ、そのどちらもが混じっている。
無理もない。知らない土地で、知らない人間に囲まれ、勝手に「メイドにする」と告げられたのだ。
けれど、僕が望むのは、そんな“無理矢理の従順”じゃない。
僕の理想のメイドは、もっと自由で――もっと個性的でいい。
ツンデレでも、罵倒してくるタイプでも構わない。いや、むしろそれがいい。
秋葉原のメイド喫茶で見た、あの笑顔と毒舌の絶妙な距離感。あれこそが、僕の理想だった。
だから、もしニアが本気で嫌だと言うなら――。
「本当に嫌なら、出ていっても構わないよ」
本音を言えば、こんなにも理想に近い猫耳ツンデレメイドを手放すなど、ありえない。
それでも、それを望むのなら――。
「……ニャ?」
耳がぴくりと動き、ニアの声がわずかに揺れた。
その反応を見て、僕はほんの少しだけ肩の力を抜く。
逃げ道を示すこと。
それが、彼女にとって初めての“安心”になるかもしれない。
そして、そこから生まれる信頼こそが――僕の思い描く“理想のメイド”の第一歩だ。
「でもね、これは奴隷契約じゃない。君は、ちゃんと雇われるんだ」
できるだけ穏やかに、けれど確実に届くよう、言葉を選ぶ。
ニアの瞳の奥には、まだ警戒が残っている。
――信じたい。でも、信じて裏切られるのが怖い。
その感情が、痛いほど伝わってきた。
「給金も払う。休みもある。食事も住む場所も用意する。
今までみたいに、誰かに疎まれたり、隠れるように生きる必要はない。
普通の暮らしができる」
これは約束というより、“願い”だった。
彼女を救いたい、なんて綺麗事を言うつもりはない。
ただ――僕のもとでなら、もう少しだけ穏やかに笑えるかもしれない。
その未来を、彼女自身に選んでほしかった。
「……」
ニアは黙ったまま、じっと僕を見つめている。
瞳の奥が揺れ、尻尾が小刻みに動く。
迷いが、そのまま仕草に表れていた。
「それでも、今までみたいに盗みをして、人から物を奪い、
人間に疎まれて、こそこそ生きる方がいいって言うなら……止めはしない」
僕は一歩、後ろへ下がる。
それは脅しではなく、“自由”を示す距離だった。
「ここから出て行くのも、君の自由だ」
静かな声。
それでも、胸の奥がわずかに締めつけられる。
「……」
ニアは目を伏せ、唇を噛みしめる。
部屋を満たす沈黙は、まるで時間が止まったかのように重かった。
――やがて。
「……本当に、奴隷じゃなくて、雇ってもらえるのニャ?」
「もちろん」
「給金も、休みも……あるのニャ?」
「あるよ」
短いやり取りの中に、かすかな光が差す。
ニアの声には、怒気も怯えもなく、代わりに小さな希望の震えがあった。
「……」
尻尾の動きが止まり、耳がわずかに垂れる。
そして、小さく息をついて――。
「……しょうがないニャ……」
頬を赤らめ、視線を逸らしながら、渋々と呟く。
「メイドになってやるニャ……ご主人様」
その一言は、ほとんど独り言のように小さく。
けれど、その瞬間――世界が、少しだけ明るくなった。
「でゅふふふふ……! これは良いツンデレメイドの誕生だ!!」
思わず、声が漏れる。
長年思い描いてきた“理想のメイド像”が、今、現実になった。
エリーゼの呆れたため息すら、祝福のように思えた。
胸の奥で、歓喜が弾ける。
――これだ。
これこそ、僕の理想の第一号メイドだ。
「ニャッ!? な、何でそんなに嬉しそうニャ!!!」
尻尾を逆立て、真っ赤な顔で抗議するニア。
怒っているのか、照れているのか、その境界は曖昧で――だからこそ可愛い。
彼女の瞳には、まだ反抗の色が残っている。
それでも、そこにあったのは、もはや拒絶ではなかった。
――そう、もう彼女は僕のメイドだ。
ツンデレ猫獣人メイド、ニアの誕生を心から祝しながら、
僕はゆっくりと、満足げに頷いた。
世界が、ほんの少しだけ理想に近づいた気がしたのだ。




