第20話『魔物狩りピクニック』
早朝。まだ空気に夜の冷たさが少しだけ残る時間帯、森の入口には、すでに多くの冒険者たちが集まっていた。
剣や槍の具合を確かめる者。
荷袋の中身を点検する者。
仲間同士で短く言葉を交わしながら、森へ入る支度を整える者。
この森には魔物が出る。
ひとたび足を踏み入れれば、いつどこで遭遇してもおかしくない。
だからこそ、こうして森に入る前に、誰もが入念に準備を整えているのだろう。
そんな中を、僕たちは進んでいた。
「……ご主人様。なんだか、皆さんこちらを見ていますね」
隣で、プルメアが少しだけ不思議そうに首をかしげる。
「まぁ、そりゃそうだろうね」
僕は小さく苦笑した。
貴族風の少年――つまり僕を中心に、メイド服姿の少女が三人。
しかも、そのうちの一人はランチボックスまで提げている。
どう見ても、これから魔物狩りに向かう一団には見えない。
訝しげな視線や、呆れたような目を向けられるのも無理はなかった。
「ニャ……?」
周囲の視線に気づいたニアの耳が、ぴくりと震える。
次の瞬間、猫耳がぴんと逆立ち、尻尾がぶわっと膨らんだ。
「シャー! 何見てるニャ!」
今にも飛びかからんばかりに威嚇するニアに、セラが深々とため息をつく。
「やめろ、馬鹿猫。お前は野良猫か」
「先にジロジロ見てきたのはあっちニャ!」
「だからといって、いちいち喧嘩を買うな」
朝の森の入口に、そんなやり取りが妙に軽く響いた。
……とはいえ、こっちにはちゃんとした目的がある。
今日はプルメアの魔力補給を兼ねた実地での魔物狩り。
それに加えて、ニアの戦闘訓練も兼ねている。
見た目はともかく、やること自体は案外ちゃんとしているのだ。
「――じゃあ、行こうか。気を抜かないでいこうね」
僕がそう声をかけると、セラとプルメアが静かに頷く。
「任せるニャ! 今日はバッチリ活躍してやるニャ!」
ニアは胸を張って答え、そのまま先頭に飛び出しかけた。
「待て、馬鹿猫。張り切るのは勝手だが、突出するな」
すかさずセラが襟首を掴んで引き戻す。
「にゃっ!? わ、分かってるニャ!」
じたばた暴れるニアに、僕は苦笑しながら森の奥へ視線を向けた。
木々の隙間から差し込む朝日が、まだ湿った土を淡く照らしている。
森の中は静かだった。
けれど、その静けさの奥には、確かに魔物の気配が潜んでいる。
僕たちは気を引き締め直し、森の中へ足を踏み入れた。
森に入ってからしばらくは、拍子抜けするほど静かだった。
足元で落ち葉がかすかに鳴り、頭上では枝葉の隙間から朝の光が揺れている。
ときおり鳥の羽音や、茂みの奥で小動物が走る気配はあったけれど、警戒していたような魔物の襲撃はない。
「……なんだか、思ったより平和だにゃ」
小声でそう呟いたニアに、セラが油断なく周囲を見回したまま返す。
「入口に近いからだろう。人の出入りが多い場所には、そう簡単に寄ってこない」
なるほど。
たしかに、森の入口付近は採取や討伐へ向かう冒険者たちの通り道だ。魔物が身を潜めるなら、もっと奥のほうが自然かもしれない。
「じゃあ、もう少し進めば出てくるかもしれないね」
「むしろ出てこなかったら困るニャ。せっかく来たんだから、ちゃんと活躍するところを見せるニャ」
ニアが胸を張る。
その背中は頼もしい――と言いたいところだけれど、尻尾がそわそわと左右に揺れているあたり、張り切りすぎて空回りしないか少し不安でもある。
そんなことを考えながら、さらにしばらく森の奥へ進んだ、その時だった。
前方の茂みが、不意に大きく揺れる。
同時に、獣の低いうなり声が響いた。
「――止まって」
僕が小さく声を落とすと、全員がぴたりと足を止めた。
次の瞬間、茂みを突き破るようにして飛び出してきたのは、黒く硬い体毛に覆われた猪型の魔物だった。口元から突き出た牙は鋭く、土を蹴る前脚には強烈な突進力が見て取れる。
「ラッシュボアか」
セラが静かに呟く。
中型の魔物だが、突進力は高い。正面から受ければ、見た目以上に厄介な相手だ。
だが――
「……ちょうどいいニャ」
ニアの声色が変わった。
さっきまでの騒がしさが嘘みたいに消え、猫耳がぴんと立つ。
低く腰を落としたニアが、左右の腰元へ手を伸ばす。
引き抜かれたのは、これまで頼りにしてきた爪ではなく、二本の短剣だった。
もともとニアは、獣人らしい身軽さと鋭い爪を活かした肉弾戦を得意としていた。
けれど、ここ最近の訓練で、セラはそこに武器の扱いも叩き込んでいたのだ。
ラッシュボアが地面を蹴り、一直線に突っ込んでくる。
「こっちニャ!」
ニアは真正面から迎え撃つように踏み込み――直前でふっと身をひねった。
鈍い風切り音とともに、魔物の巨体が脇をかすめる。
その瞬間、ニアの右手の短剣が閃いた。
ざしゅっ、と脇腹に浅く裂傷が走る。
さらに返す刃でもう一撃。
左の短剣が、今度は後脚の付け根を鋭く切り裂いた。
「ギィッ!?」
苦鳴をあげて体勢を崩したラッシュボアが、苛立ったように身をひるがえす。
牙を剥き、再び突進の姿勢に入った。
だが、ニアはもうそこにはいない。
低く潜り込むように間合いを詰め、死角に回り込む。
そして、跳ねるような一歩とともに、交差させた双剣を一気に振り抜いた。
「これで、とどめニャ!」
喉元に深く走った斬撃。
魔物の動きがぴたりと止まり、そのまま前のめりに地面へ崩れ落ちた。
ドサリ、と重たい音が森に響く。
一瞬の静寂。
「すごいや、ニア。完璧だったね」
僕が素直にそう言うと、ニアの耳がぴくんと動いた。
「に、ニャ!? べ、別にこれくらい当然ニャ! こんなの、朝飯前ニャ!」
ぷいっとそっぽを向く。
けれど、ぶんぶんと忙しなく揺れる尻尾が、隠しきれていない本音をすべて物語っていた。
「ふん。口だけで終わらなかったのは褒めてやる」
セラが腕を組んだまま、わずかに頷く。
「まだ荒いが、前よりは見られる動きになったな」
「前よりはって何ニャ、前よりはって!」
抗議するニアに、僕は思わず小さく笑った。
――うん。
ちゃんと成長している。
「それじゃあ、プルメア」
「はい」
呼びかけると、プルメアは静かに頷き、倒れたラッシュボアのもとへ歩み寄った。
その両手が、ふわりと形を崩していく。
人の腕の輪郭が溶けるように半透明のスライムへと変わり、ゆらゆらと揺れながら前へ伸びた。
昨夜、思わず頭の中で想像してしまった“魔物をもぐもぐ頬張るプルメア”の姿とは、まるで違う。
むしろ目の前で起きているのは、捕食というより吸収だった。
魔物の亡骸を静かに包み込み、その身に宿るものを余すことなく取り込んでいく――そんな、どこか神秘的ですらある光景だ。
「すごいニャ……」
ニアが目を丸くして呟く。
伸びたスライムの腕が魔物の亡骸に触れた瞬間、その巨体がじわじわと取り込まれていく。
肉も、骨も、その身に宿していた魔力までも、余すことなく飲み込むように。
やがて、最後の一片まで吸収し終えると、プルメアの腕は再び少女のものへと戻った。
彼女は小さく息をついてから、こちらへ振り返る。
「……お待たせしました」
「どう? 少しは楽になった?」
「はい。ご主人様からいただくより、ずっと効率がいいみたいです。この調子なら……だいぶ安定しそうです」
その言葉に、僕は胸の内でひとまず安堵した。
これなら、当面はこのやり方で問題なさそうだ。
「ならよかった。それじゃあ、この調子でどんどんいこうか」
「任せるニャ!」
ニアが勢いよく短剣を掲げる。
「次もあたしが倒してやるニャ!」
「調子に乗るな。次はもっと厄介なのが来るかもしれないぞ」
セラが冷静に釘を刺す。
そのやり取りを聞きながら、僕は思わず口元を緩めた。
討伐に、訓練に、魔力補給。
やることはちゃんとある。
それでも――どこか気楽で、少しだけ楽しい。
こんな空気なら、“魔物狩りピクニック”と言ってもいいのかもしれない。
僕たちは気を引き締めつつも、どこか軽やかな足取りのまま、さらに森の奥へと進んでいった。




