第19話『育ちざかりのスライム事情』
その夜、プルメアはいつもより少し遅い時間に僕の部屋を訪ねてきた。
控えめなノックのあと、扉がそっと開く。
「ご主人様……まだ起きていらっしゃいますか?」
月明かりの差し込む部屋の中で、プルメアが遠慮がちに顔を覗かせる。
「うん。どうしたの?」
そう聞くと、彼女は胸の前で手を重ね、少しだけ言いにくそうに視線を揺らした。
「あの……少しだけ、魔力をいただいてもいいですか?」
最近のプルメアは、夜になるとこうして僕の魔力を補給しに来ることが増えていた。
「もちろん。おいで」
「……ありがとうございます」
ほっとしたように微笑んで、プルメアがベッドのそばまで歩み寄ってくる。
僕が手を差し出すと、彼女はそれを両手でそっと包み込んだ。
白く細い指が、逃がさないようにやわらかく絡む。
そのままプルメアは、僕の手元へ静かに顔を寄せた。
指先に、かすかな吐息が触れる。
遅れて、手の甲へ小さな唇のやわらかな感触が落とされた。
僕は何事もなかったかのように、静かに呼吸を整え、そっと目を閉じた。
無論、表情は崩さない。
崩せるわけがない。
これはただの魔力供給だ。
健全で、必要な行為なのだ。
よし、分かっている。
……分かっている。
分かってはいるのだけれど、内心はまるでそうはいかなかった。
でゅふぅぅぅぅww
いや、もちろん実際に声が漏れたわけではない。
漏れていたら僕はもう終わりである。
だが、冷静に考えてほしい。
今この瞬間、僕の目の前ではメイド服姿の美少女が、僕の手を両手で包み込みながら、何の迷いもなく口づけているのだ。
これがでゅふらずにいられるか?
もちろん、答えは否である。
しかも本人に他意はまるでない。
ただ魔力を補給しているだけ。
それが分かっているからこそ、なおさら理性に悪い。
とはいえ、ここで露骨にでゅふってしまえば、プルメアに軽蔑の眼差しを向けられるのは必然――いや、待て。
それはそれで少しアリなのでは……?
……はっ。
いけない。危うく新しい扉が開きかけた。
僕は崩壊寸前の理性をどうにか繋ぎ止め、顔の筋肉がひくつきそうになるのを必死に押さえ込む。
無表情を保っている――つもりだったのだけれど、どうやら実際にはかなり無理をしている顔になっていたらしい。
「あの……ご主人様? 大丈夫ですか?」
不意にかけられた声に、僕ははっと目を開けた。
「え? う、うん。だ、大丈夫だよ」
慌てて答えると、プルメアはほっとしたように表情をやわらげた。
「……安心しました。最近は前より、ご主人様の魔力をいただいてしまうことが多かったので、ご負担になっていないか少し心配だったんです」
ふぅ……危なかった。
セラやニアならまだしも、プルメアの見た目は僕よりも明らかに年下の、幼げな顔立ちの美少女だ。
そんな相手から軽蔑の眼差しを向けられて、それを少しでも「アリかもしれない」などと思ってしまったら、さすがにどこか大事な一線を踏み越えている気がする。
どうにか落ち着きを取り戻してから、改めてプルメアの言葉に意識を向けた。
たしかに、言われてみれば、ここ最近は吸われる量が少しずつ増えている気がする。
今のところ、僕が消耗しきるほどではない。けれど、最初の頃に比べれば、プルメアが求める魔力は明らかに増えていた。
「僕は平気だけど……前より、必要な量は増えてるってこと?」
そう尋ねると、プルメアは申し訳なさそうに目を伏せた。
「はい……ここ最近、どうしても足りなくて」
「……なるほど」
僕はもう一度、目の前のプルメアへ視線を向けた。
プルメアは普通のスライムとは明らかに違う。
必要としている魔力そのものが、普通の個体とはまるで違うのだろう。
だとすれば、これからさらに多くの魔力を必要とする可能性もある。
今はまだ問題なくても、この先も同じように大丈夫だとは限らない。
それに、プルメアの性格を思えば、おそらく僕に無理をさせるくらいなら、自分が我慢するほうを選ぶはずだ。
そんなふうに一人で抱え込ませるのは、本意じゃない。
何か対策を考えておく必要がありそうだ。
少なくとも、プルメアは僕から直接魔力を受け取ることができる。
なら――僕以外からも、魔力そのものを取り込める可能性はあるんじゃないか?
そこまで考えて、ふと頭に浮かんだのは魔物の存在だった。
人間よりもはるかに濃い魔力を宿した存在。
もしプルメアが、そうした魔力を取り込めるのなら――。
「……ねえ、プルメア」
「はい」
「たとえばだけど、魔物から魔力をもらうことってできないのかな」
僕の問いに、プルメアはすぐには答えなかった。
少しだけ考え込むように視線を伏せ、それから静かに口を開く。
「……可能、ではあります」
「本当に?」
「はい。むしろ、魔物を倒してしまえば、その魔力ごと吸収できますので……ご主人様から少しずついただくより、ずっと効率はいいと思います」
なるほど――と思いつつも、僕は彼女の言葉に少しだけ引っかかりを覚えた。
「魔力ごとって、まさか……魔物そのものを取り込むってこと?」
「はい」
それを何でもないことのように、プルメアは無垢な笑みでうなずいた。
その瞬間、思わず頭の中で妙な光景を想像してしまう。
倒した魔物を前にして、こんな無垢な少女が「美味しいです」と微笑みながら、もぐもぐと頬張っている姿を。
……うっ。
だめだ。
あまり想像したくないというか、そもそも本当にそんなことができるのかと疑ってしまうほどだ。
……いや、本人ができると言うのなら、できるのだろうけど。
ともかく、魔物そのものを取り込んでしまえば、その身に宿る魔力を余すことなく吸収できる――ということか。
多少の不安はある。けれど、今のところこれ以上にいい案も思いつかない。
なにより、魔物を倒せば領内の安全にも繋がるし、同時にプルメアの魔力補給にもなる。
そう考えれば、悪くないどころか、むしろかなり理にかなった方法だった。
「……よし」
胸の奥に残るわずかな不安を振り払うように、僕は小さくそう呟いて立ち上がった。
「ご主人様?」
プルメアが不思議そうにこちらを見上げる。
「さっそく明日、魔物狩りに行ってみよう」
善は急げだ。
僕は決意を固めるように、少しだけ強くそう言い切った。
「にゃんだにゃんだ、明日は狩りに出かけるにゃか?」
勢いよく扉が開き、ニアが猫耳をぴょこぴょこと揺らしながら、いかにも面白そうな話を聞きつけたといった顔で飛び込んできた。
その後ろには、腕を組んだセラの姿もある。
「魔物狩りか」
セラがわずかに目を細める。
「それなら、ニアの訓練にも丁度いいな」
「ニッシッシ! 修行の成果、見せてやるにゃ!」
ここ最近、あの不真面目なニアも、セラとの訓練だけは意外なほど真面目に続けていた。
とはいえ、訓練で身につけたものを実際に試す機会はそう多くない。
ニアにとっても、ちょうどいい実戦の場になるだろう。
たが、その自信満々な姿を見ていると、つい少し意地悪を言いたくなる。
「へぇ。ブルードベアの時は、あんなに怯えてたのに。ずいぶん成長したんだね」
「ニャっ!? あ、あれは……その、昔の話にゃ!」
すかさずセラが追撃する。
「ブルードベアごときに怯えるとは、相変わらず情けないな」
「だ、だから昔の話だって言ってるニャ! 今だったらあんなクマっころ、余裕でボコボコにしてやるニャ!」
尻尾をばたばた振り回しながら言い返すニアに、僕は思わず笑いを噛み殺した。
「ふふ……それじゃあ、私もお弁当の準備、がんばりますね」
そう言って微笑むプルメアの声が、すっと部屋の空気をやわらげる。
「え、お弁当?」
思わず聞き返すと、プルメアはきょとんとしてから、ふんわりと笑った。
「はい。せっかく皆さんで出かけるのですから」
「たしかに……いいかも」
討伐に行くはずなのに、急に遠足みたいな響きになった。
けれど、悪くない。
いや、むしろそのくらいのほうがいいのかもしれない。
あまり気負いすぎても仕方がない。
どうせ行くなら、皆で楽しく出かけるくらいの気持ちでいたほうが、きっといい。
――明日は、少し肩の力を抜いて行こう。
せっかく皆で行くのだから、少しくらいピクニック気分でもいいはずだ。
そう思うと、少しだけ残っていた不安も薄れて、不思議と明日が少し楽しみになっていた。




