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雨上がり水槽〈3〉

 “依頼”を承った、伊和奈の家路へと向かう足取りは重かった。


 作蔵に何て報告すればいいのだろう。と、伊和奈の頭の中で占めている苦悩の為にだった。


 ーー大馬鹿ちんっ! 夕飯のおかずに本鮪の大トロを出せっ!! 汁物は伊勢海老の味噌汁、ご飯は松茸を原形のままで5本入れて炊くのだっ!!! 食後の甘味物として、マンゴーとパパイヤ盛り放題の《天まで飛ぶのだっ! パフェ》を付けろっ!!!!


 伊和奈は、怒りを膨らました作蔵を想像をして「ぞくっ」と、身震いをした。


 ーー赦して、作蔵。冷蔵庫にずっとしまいっぱなしの《刺身蒟蒻だよ、柚子風味》と、残りわずかの干し椎茸と《味だけ松茸》の即席汁物の素でご飯を炊く、わたしが夜中にこっそり食べるつもりでとっておいた《腹黒いよ、ヒグマ。苺味》のアイスクリームでお腹を満たしてっ!!


 ……。え?


「勝手に、勝手な想像をするなっ!」


 伊和奈のローリングソバットは、ヤバ過ぎる。

 受けた衝撃によって、顆粒化してしまうと思った。


「あんたの『馬鹿』の所為で、わたしのイメージが一気にゼロになったわっ!」


 掴まれて、回されて、投げられたーー。



 ***



「あ、そう」


 帰宅した伊和奈の報告に、作蔵の受け答えはあっさりとしていた。


「それだけで、いいの?」

 伊和奈は、作蔵に叱られる覚悟をしていたのだろう。拍子抜けたといわんばかりの顔つきをしながら、畳の上にぺたりと、しゃがみこんだのであった。


「キツい思いをさせて、すまなかった。晩飯は適当に食うから、おまえは休め」


 伊和奈は、顔色を青くさせた。

 作蔵の“適当”は“間なし”と同じだ。


 こんなことがあった。

 伊和奈は外出をすることになり、作蔵に『お昼ご飯は“適当”に食べて』と、伝えて出掛けた。


 帰宅して、夕飯の仕度をしようと冷蔵庫の扉を開く。

 伊和奈は作蔵の首根っこを掴み、喧しく叱った。

 冷蔵庫から1週間分の食材が無くなっていた。加熱調理をしなければならない食材もろとも、消えていた。作蔵の仕業だと、直ぐに判断した伊和奈の怒りはおさまらなかった。

 以来、外出をする際には《作蔵に食べさせるもの》を必ず作るをして、作蔵が無駄に食べることを阻止した。


「心配しないで。ご飯を作る気力はちゃんとあるわ」

 伊和奈は厳つい顔をしながら、すっくりと、立ち上がった。


「いいの?」と、作蔵は不安げに言う。


「親子丼を作るわ。出来たら呼ぶから、その間にわたしが持って帰ってきた“依頼”の段取りをしてっ!」


 伊和奈は身体をふらつかせ、台所へと向かった。


「大丈夫か?」


 伊和奈から受け取った“依頼”が詰まっている木製の筒を握りしめている作蔵が、ぼそっ、と、呟いたーー。



 ***



 細やかで、やわらかい鶏のもも肉と、ふっくらとした溶き卵。白ネギの刻みは見事に斜めで美しく、そっとのせられている三葉は瑞々しさを保っていた。


「伊和奈さん、おかわりをお願いします」


 具材をよりいっそう引き立てさせる役目をする、昆布と鰹節を合わせてとった出汁がからむ、丼の底にひと粒残るご飯粒を箸の先で挟んで口に含む作蔵が、伊和奈に催促をした。


「ごめん、具材は余分に作ってないの」


 と、言う伊和奈に、作蔵は泣き顔になっていた。


 作蔵の残念な様子に、針が心の奥に刺すようだと、伊和奈は自責の念に囚われそうだった。


「ご飯は、梅干し茶漬けを楽しむくらいは、残っているよ」


「山葵と刻んだ海苔をのせてください」


 伊和奈はぞくっ、と、背筋を伸ばした。


 作蔵の、腰を低くした言い方が悍ましい。こんなに丁寧な口調をする作蔵は、記憶の中では耳掻き一杯分さえない。


「作蔵、具合が悪いの?」

 伊和奈の思い付き。いや、伊和奈なりの作蔵を気に掛ける言葉だった。


「俺が何だって?」

 作蔵は梅干し茶漬けを口の中へ掻き込み、訝しげな顔を伊和奈に見せた。


「山葵、かまたりのままで食べたね?」


 鼻をつまむ作蔵の顔が、真っ赤になっていた。伊和奈は堪らず大笑いをした。


 作蔵は「ごちそうさまでした」と、丼に箸を重ねて卓袱台の上に乗せると、腰を上げた。


「“依頼”の内容は?」

「“解読”に手間取っている」


 襖を開けて廊下へと一歩右足を出している作蔵に、伊和奈が呼び止めた。


「手伝おうか?」

「いや、俺が最後までやり抜く。たぶん、完徹になる」


「夜食はカップラーメンでいい?」

「ああ。ポットに沸かした湯を入れといてくれ」


 作蔵は四畳半から出ると、襖を閉めたーー。



 ***



 作蔵は自室で“依頼”内容の“解読”を続けていた。

 伊和奈が持って帰ってきた“依頼”を読み解くに、作蔵は梃子摺てこずっていた。


 ーーア……。アメ、アメガ……。ミナ……。シチ、キレイ……。ソマ、ルヲカエシタイ……。


 途切れているうえに、聞き取るのに雑音が邪魔と思えるほどの“依頼”の“言霊”に、作蔵は懸命に耳を傾けた。


 せめて“単語”だけは、と、作蔵は帳面に“依頼”にあてはまるだろうの文字を2B鉛筆で記した。


 〔雨〕


 〔しち〕


 〔綺麗〕


 〔かえしたい〕


 “ひらがな”に置き換えての〔記し〕は、作蔵には理由があった。


 〔質〕か〔七〕なのか。

 〔返したい〕と〔かえしたい〕では、受け止める意味に違いがある。


 “依頼”を受け取って、蓋を開いたら“仕事”になる。


 どんな“仕事”でも“放棄”は撰ばない。

 堅固に守る考えが裏目に出たと、作蔵は苦笑いをした。


 “追い詰められる”とは、こういうことか。

 作蔵は、滅多にしない負の思考を膨らました。


「やっぱり、手伝うよ」

 椅子に腰掛けたままで机の上に両足を乗せて、後頭部を両手で抱える作蔵の後ろに伊和奈がいた。


「たったこれくらいで、心配するな」

「馬鹿」

「俺は『頑丈』だ」

「阿呆」


「……。悪かった」


 作蔵は、聴いていた。


 伊和奈が本気で泣いていた。

 罵りをしても、息を吸うのがやっとの伊和奈が溢す涙の意味を、作蔵は解っていた。


「徹夜は、止めた」


 作蔵は部屋の灯りを消すと、伊和奈を腕の中へと引き寄せたーー。

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