第43話 サイレンの向こうで、待ってる
どこかで、誰かの恋がはじまる
消防署の仮眠室、深夜の出動要請から戻ったばかりの隊員たちが、疲れた体を休めていた。
「お疲れ様です、皆さん。怪我人はいませんでしたか」
救急救命士の水無瀬みなせ茜あかねは、隊員たちの様子を確認しながら、そう声をかけた。今夜の火災現場は、なかなかに厳しい現場だったと聞いている。
「ああ、俺たちは無事だ。心配かけたな、茜」
そう答えたのは、消防士の榊さかき隆たかしだった。煤で汚れた顔に、疲労の色が滲んでいる。それでも、いつもの気丈な笑みを崩さないのが、彼らしいところだった。
「隆さん、無理しすぎないでください。今日の現場、かなり危険だったって聞きました」
「まあ、それが仕事だからな。それに、茜たちが後方で待機してくれてると思うと、変な安心感があるんだ」
さらりと告げられた言葉に、茜は少し照れくさくなって視線を逸らした。この二人、消防署に配属されて三年、互いに気になる存在であることは、周囲の誰もが薄々気づいていたが、当人たちだけが、なかなかその一線を越えられずにいた。
* * *
数日後、非番の日、二人は偶然、署の近くの喫茶店で顔を合わせた。
「珍しいな、非番の日に会うなんて」
「隆さんこそ。いつも現場か署内でしか会わないから、なんか新鮮」
私服姿の隆は、いつもの制服姿とは違う、少し柔らかい雰囲気を纏っていた。茜は、その姿に、思わず見惚れてしまう自分に気づく。
「隆さん、聞いていいですか」
「なんだ」
「この仕事続けてて、怖いって思うこと、ないんですか」
不意な質問に、隆は少し考え込んでから答えた。
「怖くないと言えば嘘になるな。特に、危険な現場に飛び込む瞬間は、いつも一瞬、迷いが生まれる」
「それでも、飛び込むんですね」
「ああ。……でもな、最近は、その迷いを断ち切る理由が、一つ増えた気がしてる」
「理由?」
「無事に帰れば、茜が労ってくれる。それを、いつの間にか、当たり前の楽しみにしてる自分がいるんだ」
不意打ちの言葉に、茜の心臓が跳ねた。
「それって、どういう……」
「はっきり言う。茜のこと、同僚としてじゃなく、ずっと前から、一人の女性として気になってた」
隆の真剣な眼差しに、茜はしばらく言葉を失っていた。だが、この気持ちを、自分もずっと抱えてきたことに、改めて気づかされる。
「私も、同じです。隆さんが出動するたび、無事を祈る気持ちが、ただの同僚への配慮以上のものだって、ずっと気づいてました」
「じゃあ」
「はい。私も、隆さんのこと、好きです」
素直な言葉が交わされた瞬間、二人の間に、これまでとは違う、確かな絆が生まれた。
* * *
それから数週間後、大規模な火災現場での出動を終えた隆が、無事に署へと戻ってきた。出迎えた茜に、隆は疲れた様子ながらも、しっかりとした足取りで歩み寄る。
「ただいま、茜」
「お帰りなさい、隆さん。今日も、無事でよかった」
「ああ。……この言葉、聞くために帰ってきてるようなもんだな、最近は」
隆は照れくさそうに笑いながら、茜の隣に腰を下ろした。サイレンの音が響く消防署の日常の中、二人だけの静かな時間が、確かな幸福とともに、続いていくのだった。




