第37話 無重力の、恋の重さ
どこかで、誰かの恋がはじまる
地上から四百キロ、国際宇宙ステーションの窓から見える地球は、どこまでも青く、静かに輝いていた。
「今日の地球も、綺麗だな」
日本人宇宙飛行士の火野ひの隼人はやとは、モジュールの窓に張り付きながら、独り言のように呟いた。半年間の長期滞在ミッションも、折り返し地点を過ぎている。
「隼人、また観測窓に張り付いてる。作業、進んでる?」
背後から声をかけてきたのは、同じミッションに参加している、アメリカ人クルーの相棒、リナ・カーターだった。流暢な日本語を操る彼女は、隼人にとって、地上にいた頃からの数少ない気の置けない相手だった。
「進んでるよ。ただ、この景色見てると、つい手が止まる」
「気持ちは分かる。何回見ても、飽きないもんね」
リナは隼人の隣に浮かび、同じように地球を見下ろした。無重力の中、彼女の髪がふわりと広がる。その様子に、隼人はなぜか目を離せなくなった。
* * *
半年間の共同生活は、地上の常識とは違う形で、二人の距離を縮めていった。狭いモジュールの中、限られた資源を分かち合い、緊急事態には互いの命を預け合う。そんな極限の環境が、かえって二人の絆を、誰よりも深いものにしていた。
「隼人、ちょっと聞いていい?」
ある夜――といっても、宇宙ステーションでは昼夜の区別すら曖昧だが――作業の合間、リナがふと切り出した。
「地球に帰ったら、最初に何がしたい?」
「そうだな……。まずは、地面を踏みしめる感覚を、思い出したい。半年も無重力にいると、重力そのものが恋しくなる」
「私も、それすごく分かる」
リナは小さく笑ってから、少し真剣な表情になった。
「もう一つ、聞いてもいい?」
「なに」
「地球に帰ったら、隼人と、ちゃんと会う約束、してもいいかな。ミッションの仲間としてじゃなく」
不意な問いに、隼人の心臓が跳ねた。無重力の中でも、この感覚だけは、地上にいた頃と何ら変わらないらしい。
「……それ、どういう意味で聞いてる?」
「素直に言うね。隼人のこと、この半年で、ただの同僚以上に、大切な存在になってた」
リナの言葉に、隼人はしばらく言葉を失っていた。それから、覚悟を決めたように、まっすぐに彼女を見つめ返す。
「俺も、同じだ。地球にいた頃は、こんな気持ち、想像もしてなかったけど……この宇宙で、リナと過ごした時間が、俺にとって、何より大切なものになってる」
* * *
ミッション終了まで、残り三ヶ月。二人は、まだ見ぬ地球での再会を約束しながら、日々のタスクをこなし続けた。宇宙という、地上とはあまりに違う環境で芽生えた想いが、果たして地上でも変わらず続くのか、正直、不安がないわけではなかった。
それでも、狭いモジュールの中、隼人はリナの手をそっと取った。無重力の中、二人の手は、地上の重力とは無縁の、それでいて確かな重みを持って、繋がっていた。
「約束する。地球に帰ったら、まず最初に、リナに会いに行く」
「うん。待ってる」
窓の外、青い地球がゆっくりと回転している。無重力という特殊な環境で始まった恋は、これから地上という、当たり前の重力の中で、新しい形を見つけていくことになる。それでも、この宇宙で交わした約束だけは、どんな重力にも負けない強さを持っていると、隼人は確信していた。




