第31話 恋愛契約書
どこかで、誰かの恋がはじまる
第一条(総則)
本契約は、甲(星野ほしの陸りく、以下「甲」という)と乙(月島つきしま栞しおり、以下「乙」という)との間で、これより開始される交際関係の円滑な運営を目的として締結されるものとする。
第二条(契約締結の経緯)
甲乙は、大学のゼミ活動を通じて知り合い、以降半年間にわたり、友人関係を継続してきた。しかし甲は、乙に対し友人以上の感情を抱くに至り、本契約締結を提案するものである。
*
「――というわけなんだけど、栞、これ読んでくれる?」
陸は緊張の面持ちで、一枚の紙を差し出した。ゼミの後、二人きりになった教室でのことだった。
「なに、これ。契約書?」
「まあ、そう。俺なりに、真剣な気持ちを形にしたくて」
栞は苦笑いしながらも、律儀に一条ずつ目を通し始めた。
第三条(交際期間)
本契約の期間は、締結日より、甲乙いずれかが解約を申し出るまでの間とする。ただし、甲としては、可能な限り長期、望むらくは終身にわたる継続を希望する。
第四条(甲の義務)
一、甲は、乙の誕生日及び記念日を忘れず、適切な形で祝すること。
二、甲は、乙の話に対し、真摯に耳を傾けること。
三、甲は、体調不良時、可能な限り迅速に駆けつけること。
第五条(乙の義務)
一、乙は、甲に対し、率直な意見を伝えること。
二、乙は、甲の不器用な優しさを、寛大な心で受け止めること。
「ちょっと待って、この第五条の二、地味に失礼じゃない?」
「いや、褒めてるつもりなんだけど……」
栞は思わず吹き出しながら、続きを読み進めた。
第六条(喧嘩に関する取り決め)
甲乙間において意見の相違が生じた場合、感情的な対立を避け、冷静な話し合いによる解決を優先するものとする。ただし、いずれかが謝罪を必要とする状況においては、素直にその意を示すこと。
第七条(解約について)
本契約は、甲乙双方の合意なく、一方的に解約されるべきではない。万が一、関係の継続が困難と判断される場合においても、まずは十分な話し合いの機会を設けることとする。
第八条(特約事項)
甲は、本契約締結にあたり、乙に対し、以下の一文を特に強調する。
「栞のことが、ずっと好きだった。この契約書、正直、柄にもなく緊張しながら書いた。……返事、聞かせてくれるか」
*
読み終えた栞は、しばらく黙り込んだ後、静かに顔を上げた。
「陸、これ、本気で言ってる?」
「本気も本気。柄にもないことしてるのは、自分でも分かってる」
「……ばか。契約書とか、変なところ律儀なんだから」
栞はそう言いながらも、頬を赤らめ、小さく笑った。
「でも、悪くない。この契約、受けてあげる」
第九条(承諾)
乙は、本契約の内容を確認の上、これを承諾するものとする。
「じゃあ、サイン、するか」
「うん。……ここに書けばいい?」
栞は差し出されたペンを受け取り、契約書の末尾に、小さく丁寧に、自分の名前を書き記した。
甲:星野陸 乙:月島栞
こうして、二人の間に、世界で一番不器用で、世界で一番温かい契約が、正式に締結されたのだった。




