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過ぎ去りし日々・後編

 太陽の光を浴びて、雪は七色の宝石のような輝きを宿す。

 あちこちに紅玉や紫水晶、金剛石や碧玉の小さな塊を散りばめたようなきらきらと美しい光が、マリオンの心を浮き立たせた。

「雪ってこんなにも綺麗なんだね」

 世界は真っ白で、そして美しかった。


 どんどん雪野原を歩いていくと、遠くで何か茶色の動くものを認めてマリオンは足をとめた。

「狐か犬かしら? いくらなんでも熊、とかじゃないよね?」

 伸び上がってみるが、よくわからない。

 ふわふわした毛皮が上下左右に、一所懸命動いているのだけがわかった。

「熊だったら、この間のあの魔法、試してみようかな?」

 と、普通人では考えられないほどのんきにマリオンはいろいろな場合を想像しながら、そちらへ近づいていく。


 やがてその動くものが何か気がついて、たぶん熊に出会うよりももっと強く、彼の心臓が跳ね上がった。

 アーネストだ。

 茶色のふわふわの頭が、一所懸命そりを引っ張っているのが見えた。そりには司祭館で使うためのたきぎが、たくさん積まれているようだ。

 アーネストは、まだマリオンには気づいていない。

 胸の奥がきゅっと痛くなる。


 あれ以来、司祭館はもちろん、村でも一度も顔をあわせていない。

 マリオンは避けているつもりはなかったが、会う機会がなかったのだ。アーネストも同じだっただろう。

 だが、あえてお互いに会う必要もないのだ、とマリオンは思っている。

 あのことはあれで終わったのだ。

 アーネストは次の週からちゃんとミサに出ていると聞いているし、司祭とハンズの父親との間にももう揉め事は起こっていないということも聞いている。

 あれでよかったんだ、とマリオンは自分を納得させた。


 だが、だからといってよりにもよって今日ここで会うとは、思ってもいなかった。

 他に誰もいない。広い雪野原で二人きり、だ。

 知らんぷりして走ってどこかの横道に入ってしまえるような場所でもない。

「どうしよう」

 マリオンは足を止め、唇をかんだ。

「なんて言おうか。なんて言えばいい?」


 迷ううちに、ふと何かの気配に顔を上げたアーネストが、こちらに気がついたようだ。

 屈託のない、いつもの笑顔でマリオンに手を振っている。

 マリオンは、覚悟を決めて歩いていった。

「やあ、マリオン。こんなとこで会えるとは思わなかったよ」

 にこにことアーネストは優しく笑い、額に浮かんだ汗を袖口で拭いた。

「うん、アーネスト、僕もだよ。どうしたの? こんなとこで」

 マリオンが尋ねると、アーネストが困ったような顔でふぅっとため息をついた。

「はまり込んじゃったんだ、そり。裏にろうを塗ってくるの忘れたら、どうもすべりが悪くてさ。つい、強く引っ張ったら斜めになって溝に落っこっちゃった」


 そりはロープを肩に掛けて引っ張る型のもので、たくさん薪が積まれているが、今は溝に突き刺さるような格好で傾いていた。

「ね、僕があげてみていい?」

 マリオンの提案にアーネストは目を丸くしたが、彼の特技を思い出し笑ってうなずいた。

「助かるよ。お願い」

 マリオンはうなずいて右手を上げ、魔法の呪文を唱えた。


 その魔法は、自分にかけたものの変形だった。

 そりを軽くして、引っ張りあげようと思ったのだ。

 呪文を唱え終わったとたん、そりが一瞬白く光り、ふわりと上に浮かんだ。

「今だよ。引っ張って! アーネスト」

 アーネストが持っていたロープを強く引くと、軽々とそりは雪の上を滑った。逆に勢い余ってアーネストが前につんのめりそうになる。


「やぁ、すごい、すごい。こんなに軽いそりなんて初めてだよ」

 それからまるでおもちゃのように軽くなったそりの方向を正すと、改めてマリオンのほうを向いて、

「ありがとう、すごく助かったよ。どうしようかと思って途方にくれてたんだ。ほんとにありがとう」

 にっこりとアーネストは微笑んだ。


 それから彼は初めて雪の上をすべるように歩いているマリオンに気づき、感嘆の声をあげた。

「へぇ!? そんな事もできるんだね! すごいや」

 マリオンはちょっと照れくさそうに微笑んでいたが、やがて意を決して、

「あのね、アーネスト。僕ずっと」

 謝らなくちゃと思っていたんだ、と、続けて謝罪の言葉を述べようとした。


 すると、まるでそれを遮るようにアーネストが目を輝かせ、マリオンの足元を指差した。

「ねぇねぇ、マリオン。僕もそんなふうに雪の上、歩いてみたいなぁ? だめかな?」

 勢い込んで謝ろうと思っていたのに、出鼻をくじかれたマリオンが目をぱちくりさせた。

「無理かな? いっぺん魔法かけられてみたかったんだけど」

 アーネストがちょっと残念そうな口ぶりで、うらやましそうにマリオンの足元を見つめている。


 くすくすとマリオンは笑い出した。

「子供みたいだよ、アーネスト」

 するとアーネストが不満げに口を尖らせた。

「僕、まだ十二だもん、子供だってば」

 答えずマリオンは笑いながら右手を上げた。その指を鳴らすと同時に、膝のあたりまで雪にまみれていたアーネストの身体がふわりと浮かびだした。


 やがてすっかり雪の上にあがりきると、それまで目を丸くして浮き上がる自分の足元ばかりを見ていたアーネストがマリオンを見て真顔で拍手した。

「すごいっ! 君は天才だよ!」

「やだなぁ、アーネストってば。そんなことないってば」

 しかし、アーネストはそろそろと足跡のついていない雪の上に足を踏み出し、下へ落ちない事を確認する作業に夢中でマリオンの話などまるで聞いている様子はない。

 大人びた物腰で落ち着いた雰囲気のアーネストしか知らなかったマリオンは、彼の本当の姿を垣間見たようで少しだけ驚いていた。


 アーネストは嬉しそうに、今度は少しあたりを駆け回り始めている。雪の上にうっすらとついた足跡を振り返り眺めては、意味もなく跳ねてみたりしている。もちろん飛び上がったところで下へは落ちない。

「すごい、すごいっ! マリオンってすごいっ!」

 言われた本人がすっかり照れてしまうほど、アーネストは夢中になって賞賛している。


「あのね、アーネスト。あの日のことなんだけど」

 再び謝罪の言葉を口にしようとしたマリオンの顔に、思い切り雪だまが炸裂した。

 雪だまは柔らかく、もちろん怪我はしない。だが、当然冷たい。

 すばやく逃げ去ったアーネストが遠くで大声で笑っている。

「やったなっ! お返しだー」

 マリオンがすかさず足元の雪を両手でかため、アーネストを追いかけだした。

 雪だまをぶつけぶつけられ、子犬のようにじゃれあいながら二人はしばらく雪野原を駆け回って遊んだ。

 しまいには全身雪まみれなったうえにお互いに息が切れて、野原の真ん中にふたりで空見上げて大の字に寝転がった。

「暑いー」

「息が、切れ、ちゃった」

「空が青いね」

「うん、ほんとだ」

 空は雪雲がすっかり切れて、底がないくらい深い青に煌いている。


「ねぇ、マリオン。前に君に歌を教えてもらったよね?」

 ようやく息が整うと、アーネストが身体を起こした。

「うん」

「だから今度は僕が教えてあげる。この間教えてくれた歌と対になってるような歌なんだよ。ミサでもめったに歌わない、すごく古い聖歌なんだけど」

 そういうとアーネストは立ち上がり息を深く吸い、綺麗な声でその歌を歌い始めた。


『野に降り積むは、銀の雪。人を潤す金の雨。

 優しき慈愛の雨を降らしたもう、わが気高きしゅよ。

 わが祈りの声を聞き届けたもう、われらがしゅよ。

 空には青き色のあり。夕べに赤き炎ある。

 人の心に光、灯したもう、わが気高きしゅよ。

 御前にひざまずき、われはしゅに祈りを奉げん。

 野に降り積むは、銀の雪。人の心には金の雨。

 優しき慈愛の雨を降らしたもう、わが気高きしゅよ。

 御前にひざまずき、われはしゅに祈りを奉げん。』


 歌い終わるとマリオンのほうを向き、

「これ、知ってる?」

 と聞いた。

 マリオンは素直に首を横に振った。確かに師匠が教えてくれた歌と系統が似ている。

「覚えられたかな? もう一度歌うね?」

 アーネストがもう一度歌い始めると、マリオンが後についた。


『野に降り積むは、銀の雪。人を潤す金の雨。

 優しき慈愛の雨を降らしたもう、わが気高きしゅよ。

 わが祈りの声を聞き届けたもう、われらがしゅよ。

 空には青き色のあり。夕べに赤き炎ある・・・・・・』


「すごいや、一回聞いただけで覚えられるんだね」

 アーネストが拍手をし、マリオンははにかんだように少し頬を赤くしてうなずいた。

「アーネストだってそうでしょ? 僕の場合は、呪文覚えるのとコツが一緒なんだもん」

 それを聞くとアーネストは、にこりと笑った。

「そうか。僕も歌を覚える訓練をだいぶしたよ。歌う練習も勉強もたくさんしたし」

 マリオンは目を大きく見開いた。

「アーネストでも練習とか勉強なんてするの?」

 目からうろこが落ちたような思いだった。


 アーネストは、明るく声をあげて笑った。

「やだなぁ、僕だっていろいろやる事はやってるんだよ」

天賦てんぷの才能っていうものは、練習する必要なんかないのかと思っていた、僕」

 マリオンが言うと、

「君は難しい言葉を知っているんだね。それって神様がくれた才能って意味だよね? でも、そういうのってほっといたら枯れてしまうでしょ? ちゃんと水はあげないとね。君だってわかるでしょ?」

 そう言うとアーネストは、マリオンに笑顔を返した。


「せっかく神様がくださった才能ものだから、大事にしなくちゃね、君も僕も」

「僕?」

 マリオンが首をかしげた。アーネストが何のことを言っているのかわからなかったのだ。

「魔法使えるんでしょ? 誰よりもうまく。それってやっぱり天賦でしょう。君に神様が下さったんだよ」

「神様が下さった・・・・・・のかな?ほんとに」

 アーネストはうん、とうなずいた。

「そうだよ、神様が君に下さった才能だよ。力、でもいいけどね」

「僕、アーネストみたいに歌が歌えるほうがよかったな」

 ぼそりとマリオンが言うと、アーネストが声をあげて明るく笑った。

「そりゃ困るよ。そりが溝に落っこちちゃったときは、歌じゃ持ちあげられないもんね」


 マリオンは目をぱちくりさせた。

「そっか。僕でも少しは誰かの役に立つんだね」

 そう口に出すと自分でも意外なことに急に涙があふれそうになって、マリオンはごくりとつばを飲み込んだ。

 あはは、とアーネストは明るく笑った。

「もちろんだよ。僕なんかよりずっと役にたつでしょう?!」

「でも、アーネスト。君の歌は心を綺麗にしてくれるよ」

 マリオンがそう言うと、アーネストが初めて頬を染めて照れた。

「ありがとう、マリオン」


「ごめんね、アーネスト。司祭館に行けなくなっちゃって・・・・・・。僕、あれでよかったと思ってるけど、アーネストにだけは悪い事をしたと思うんだよね。本当にごめんなさい」

 やっと言えた。

 マリオンは、一息に言ってやっと心のつかえが取れた気がした。

 アーネストはかぶりをふった。

「僕も君に謝らなくちゃ。ごめんね、マリオン。僕には何も力になってあげられなかったね。君につらい思いをさせただけだった」

 マリオンはそれを聞いてにこっと笑った。

 あの苦い疑問の答えがちょっとだけわかった気がした。

「神様は、アーネストの中にいるんだよね」

 アーネストはちょっと首をかしげて、マリオンが何を言おうとしているのか考えているようだったが、

「そう、そうだね。そして君の中にもね、マリオン」

 そうか、僕は僕を許してあげられるのかな?


 その日、師匠の城に帰ったのは昼餉ひるげの時刻もとうに過ぎ去ったあたりで、午後の勉強時間にはぎりぎり間に合ったくらいだった。汗をかいて雪ですっかり濡れてしまっているマリオンに、師匠は何も言わなかった。

「部屋へ行って着替えておいで」

 と、それだけでいつもなら少なくとも二言三言は言われるはずのお小言も、今日はなかった。

「久しぶりに明るい顔を見た」

 と、師匠がつぶやいたのを聞いていたのは、ショーンだけだったようだ。


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