過ぎ去りし日々・前編
<SIDE Marion>
夜半に降った雪は一片が大きくて重い、水分を多く含んだ積もりやすい雪だった。
裏の戸口から表へ出ると、すでに五段ほどある石段のほとんどが雪に埋もれていた。
雪は今も空から絶え間なく降りつづけていて、マリオンが着ている白い外套にもフードにも、そこからこぼれた髪の毛にもまつ毛にも、たくさんの六角形の結晶をくっつけていく。
黒い外套にすればよかったな、そうすれば落ちてきた雪の結晶がはっきり見えたのに、とぼんやりと考えながらつま先をゆっくりと石段へ下ろすと、ブーツの底できゅっと雪が固まる感触が伝わってきた。そのまま体重をかけると、くいっとブーツの中ほどまで雪に飲み込まれてしまう。
「雪だるまや雪投げには最適だけど、このまま降りていったら、自分の領地内で遭難しそうだな」
苦笑したマリオンは、自分に浮遊の魔法をかけた。
完全に浮遊するほどではなく、何インチか身体が沈んで雪の感触がブーツから伝わるくらいの微妙な調節を施すことは忘れない。
雪の冷たく柔らかな感触がすべて失われるのは、もったいない気がしたからだ。
もうだいぶ積もっているようだが、魔法のおかげで足首のあたりまでしか埋もれない。
それからマリオンはゆっくりと、元は広大な枯れ草の原っぱでしかなかった自分の城の白い庭を歩き出した。
子供の頃は夜のうちにこれくらい一気に雪が積もると、嬉しかったものだ。
大人たちは、雪かきやこれからの仕事に支障が出ることを嘆いたが、子供たちはそんなことはおかまいなしだ。
もちろん大人の仕事も手伝わなければならないのだが、それすらも楽しいのだ。
今日の雪のように少し湿り気を帯びたものは、固まりやすく雪投げには最適だった。
それぞれに雪で盾のようになった基地を作って二手に別れ、基地のてっぺんに置いた誰かの帽子を旗の代わりにする。
雪だまを作る役と投げる役に分かれて呼吸を合わせ、基地のそばまでやって来た勇気ある敵に集中砲火を浴びせ、雪まみれにするのは楽しかった。
あるいはもう少し大きく離れ、間に小さな林を置き、相手から見えないようなくぼ地にそれぞれ基地を作る。
どこから攻めてくるかわからない敵を雪だまを作りながら待ち受けたり、木の陰に隠れて斥候役をしたり、おとりとして大声をあげながら敵の基地のそばを走り抜けるぞくぞくする緊張感も大好きだった。
大将はいつも村の子供だったから、お情けでやっと仲間に入れてもらった自分としては、なんとか大将に報いなければならない。役に立たなければ次は仲間に入れてもらえないかもしれないのだ。
小柄ですばしこいマリオンは、いつも上手に斥候役やおとりの役をこなして見せ、重宝がられていた。
午後の早い時間から日暮れまで続く攻防戦。
最後には手袋、ブーツの中や帽子はもちろん、コートやマントの中までぐっしょり濡れて、くたくたになりながら、それでもみんな満足気に家路についたものだ。
夕食前に濡れたブーツや衣類を暖炉のそばで乾かしながら、師匠からお小言を頂戴したりもした。
そんな冬もあった。
もう遠い、遠い昔の、二度と戻れない冬。だが、確かにあった大事な日々。
マリオンは、上を見上げた。まだ すっかり明けきらない灰色がかった蒼紫色の空から絶え間なく雪が落ちてくる。
『こうして上を見上げていると、自分がほら、どんどん空に向かって登っていくみたいだよ!?』
幼い子供のはしゃいだ声がした。あれは自分の声なのか?
確かに上を見上げて歩くと、雪が落ちてくるのではなく、自分の身体のほうが空へ向かって上昇しているような錯覚にとらわれる。
不思議と雨のときはそんなふうに感じないのだが、雪が落ちてくるとどうしても空を見上げたくなった。
ふっ、とマリオンの口元に小さな小さな笑みが一瞬だけ浮かんだ。そういえば、そのころの事だ。
同じ魔法の工房の仲間と二人で上ばかり向いて歩いていたら、いきなり隣を歩いていたはずの彼の姿が悲鳴と共に消えたのだ。はっと思って隣を見ると、すでに彼は土手の下へ転がり落ちていた。
どうやら雪を見るために上を向いていたせいで誤って道を踏み外したらしい。
「だ、大丈夫?」
慌てたマリオンが下を覗いて声をかけると、彼は雪まみれのまま少し赤い顔をして土手を這い上がってきた。
「うん、だいじょぶ。でもびっくりしたぁ」
彼は本当に驚いたように胸を押さえて目をぐるっとまわし、それから二人で顔を見合わせて吹きだし、げらげら笑った。おなかが痛くなるまで、本当に真剣に笑った。
そういえばあの彼は、どうしただろうか?
確か厳しい修行を無事に終えて、魔術師としてそのまま北の町に残ったと噂では聞いたけれど。
もう、彼も魔術師としてもだいぶ年がいってしまったことだろう。
このたびの戦禍に巻き込まれはしなかっただろうか?
マリオンの瞳が再び曇った。苦い笑いが口元に浮かぶ。
「僕には雪を眺める資格もないね、きっと」
こんな綺麗な穢れない雪だから。
マリオンは目を固くつぶった。
『雪はね、マリオン。どんなものにも降り積むんだよ。
綺麗なものにも汚いものにも穢れたものにも聖なるものにも・・・・・・』
耳元でアーネストの声がして、驚いたようにマリオンの目が大きく開かれた。
雪の一片が小さくなり始め、だんだんと小降りになりつつあった。
もうじきにやむのかもしれない、夜明けと共に。
<SIDE Ernest&Marion -The Past Days-過ぎ去りし日々>
聖歌隊に行かなくなってから、秋が過ぎ、やがて冬がやって来ていた。
マリオンがミサに行かなくなったことに、師匠は何も言わなかった。
もちろん行くことになったと報告したときも何も言わなかったのだが。
「話したくなったら、お話しなさい」
穏やかな声で、何かを堪えるように口元を固く引き結んだ少年に言っただけだった。
マリオンは泣かなかった。
普段も顔のわりに頑固で気丈な性格で、人前ですぐ泣いてしまうような子供ではなかったのだが、今回は陰で人に隠れて泣くことすらもしなかった。
もしかしたら、悲しい、という感情よりもよりも怒りのほうが大きかったのかもしれない。
そう、たぶん彼は怒っていた。悔しかった。許せなかった。
ささやかな彼の希望を大人たちによって寄ってたかって取り上げられてしまったことも、泥棒も人殺しもすべてを許すと言う神様のことも。
そして、何より人とは違う生まれである自分の事も・・・・・・。
何度も考えた。
泥棒も人殺しも神様は許してくれるというなら、なぜ?
なぜ、魔族と人間の混血だというだけの僕を人は許してくれないのだろうか?
神様が許している者たちを、人である身はなぜ許す事ができないのだろう?
なぜ、みんな司祭館に神様のお話を聞きに行くの?
神様のお話を聞いていても、人がそういう者たちを許す事ができないのなら、なんのために神様はいるの?
誰かに答えを聞こうかと思った。
でも誰に聞いてもきっと満足する答えが返ってこない気がして、マリオンはその問いを胸の奥に秘めたままだった。
その問いは、何をしていても時折ふっと胸の中に浮上してきて彼を苦しめた。
彼はその苦い思いをずいぶん長いこと、飲み込んで暮らした。
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ある日の午後、マリオンは師匠に頼まれて近くにある治療院へ薬草を届けることになっていた。
窓から外を見ると雪が降り出していて、すでに1フィート(30cm)ほど積もり始めていた。
身体の小さなマリオンにとって、雪の1フィートはかなりの深さであり脅威になる。
だが、工房の面々は誰も心配などしていなかった。
この地方にとって雪は日常であり、しかもマリオンは誰よりも充分に魔法が使えるのだ。
何があっても大丈夫だと誰もが思っていて、それは師匠とても例外ではなかった。
兄弟子であるショーンが出掛けに、
「溝に落っこちないように気をつけろよ?」
と、陽気な声をかけてきたのに軽くうなずいて見せると、マリオンはマントの襟をきっちり留めフードを深くかぶって雪の道へ踏み出して行った。
ブーツの下で雪がきゅっと音を立てる。
工房から大きな通りまでは兄弟子たちが雪をかいてくれているので、人ひとりがやっと歩ける幅しかないもののだいぶ歩きやすかった。
「今日の雪は積もるかなぁ?」
思わず上を見上げると、大きな雪片が落ちてきて、まつ毛に冷たさとくすぐったさを与えた。
「うん、積もりそう」
口元にわけもなく笑みを浮かべてマリオンは、一所懸命歩き始めた。
大きな通りへ出ると、馬車のわだちの後が何本かついていた。
マリオンは大きなわだちをひょいひょいと跨ぎ、あちこち蛇行しながら歩いている。ほとんど遊びに近い感覚でマリオンはそれを楽しんでいた。
大きな通りからはずれ、家もまばらな小さな通りへ抜けて治療院へ行く途中も意外と通りは綺麗に雪が均されていた。
治療院へ行く人が多いので、自然に道ができているようだ。
しかし、ここの道も歩けそうなところは本当に狭く、油断すると道から誤って踏み出し、ショーンが言うように道の両脇にある小さな溝へ落ちてしまいそうだ。
なにしろ、何処までが元からの道で何処からが溝で、何処からが畑になっているのかすらわからないのだ。
うっすらと雪が盛り上がっているあたりが畑の端っこだろうか?というあいまいな予測がつくだけだ。
もちろん溝へ落ちても怪我はしないが、ブーツの上の口から雪が入り込んで中に詰まると厄介な事になる。
しかもところどころ大人の歩幅に靴の跡がついているだけのところがあって、小柄なマリオンはそれに合わせるのに苦労した。
魔法を使えば道なりに雪を融かすのは簡単だが、むやみに村の中で魔法は使うなと師匠からお達しが出ている。それに彼自身、雪道をそうやって歩く事を楽しんでもいたのだった。
そんなこんなで治療院へ半刻(1時間)ほどかかってやっと着いた頃には、マリオンはすっかり汗をかいていた。
まだ雪はやんでいないがマントのフードも後ろにはねあげられ、襟元も緩んでいる。
たぶんそうなるだろうと思って、できる限り薄着にしてきたのだが、それでも足りなかったようだ。
「あらあら、こんな小さなお弟子さんが来るなんて。大丈夫だったかい? こっちへ来て火におあたりな」
治療院の人のいい奥さんは、例の聖歌隊の騒ぎを知っていただろうが、マリオンにそう声をかけてくれた。
マリオンはできる限り愛想よくにっこり笑うと、頼まれていた薬草を差し出した。
「ありがとうございます。でも、僕、暑いんです」
真っ赤な頬で息を切らせている少年に治療院の奥さんは笑いながら、
「じゃあ、これお駄賃ね」
と、焼きたての甘パンをくれた。
もっと休んでおいき、というのを断って礼を言って治療院を出ると、まだ温かく柔らかい甘パンをちびちびとちぎって口に運びながら、マリオンは来た道を戻り始めた。
パンは中に甘く煮た豆がたくさん入っていて美味しかった。
「おんなじ道、戻るのつまんないなぁ」
どうせ戻っても午前の分の仕事は、終わっている。
後残っているのは、午後からの師匠との魔法の勉強だけで、それに関してはマリオンはとっくに予習も済ましていた。
勉強時間までに戻れるのなら、すこしくらい遅くなっても誰も文句は言わないだろう。
「よし決ぃめた!」
マリオンは、少し遠回りになる林の中を通る道を選んだ。
木々が生い茂る林の中は、雪が余り多くない。
木々が天の贈り物をその葉や枝に受け止めてしまっているのだ。
そのために秋に葉が落ちてしまう広葉樹が多いところは、雪が多く、まだ青々とした葉を残す針葉樹の多いところは雪が少なかった。
とはいえ、まるでない、というわけではもちろんない。
マリオンは雪の上につけられた狐の足跡を見つけてそれをたどってみたり、野うさぎを追いかけてみたりしながら、のんびりと林を抜けた。
林を抜けると視界がいきなり広がり、そこは師匠の城まで何もない広大な雪原になっている。
城ははるか遠くにそのてっぺんがわずか見えるだけだ。
ここを歩けば一直線に抜けられはするが、雪原の中は誰も歩いた跡もなく、いつの間にか雪がやんで晴れていたために、真っ白な輝きが目に痛かった。
「うわ。結構大変かなぁ?」
雪の少ない林の端から踏み出すと、いきなりあったのは吹き溜まりで、マリオンの身体は腰のあたりまで潜ってしまっていた。
「村の中じゃないからいいよね」
マリオンはためらわず右手を高く上げ、浮遊の魔法を唱えた。
自分の体重を軽くするのだ。
加減を見てぴょんと飛んでみると、うまく雪の上に乗り走っても沈まない。
「うん、これでいいや」
マリオンは満足そうにうなずくと、そのまま雪の上を師匠の城へ向かって歩き出した。




