すべての上に 雪は降り積む
その日から、またしばらくは城にこもる日々が続いた。
雪はますます降り積もり、マリオンたちは城の中に閉じ込められたような形になってしまった。外は寒さも厳しくなり、風も強く吹雪の日も多くなった。
ある夜半に、ふいに師匠がマリオンの部屋を訪れたのは、デケンベルが来てもうすぐ聖誕祭、という頃だった。
もうじきに次の日になってしまうという時刻で、朝の早いほとんどの弟子たちはもう眠りについている。
だが、マリオンは自分の部屋でいつものように本を読みながらベッドの中でまだ起きていた。
枕もとには自分でつけた蒼白い魔法の灯りが灯っている。
「マリオン。外へ出かけるように支度をしてすぐ降りてきなさい」
ノックもそこそこに扉を開けるなり、師匠が厳しい声でそう言ったので、マリオンはうろたえて本を閉じた。
「な、なんですか? 師匠、僕、何かしましたか?」
「これからするんだ。早く着替えて降りておいで。暖かくするのを忘れないように」
それ以上聞き返す暇もなく、師匠は扉を閉めて下へ降りて行ったようだ。
マリオンは事情がまるでわからずとまどいながらも、寝巻きを脱ぎ捨て手近にあった毛織りの上下とブーツと防寒用のマントと手袋を身につけて、あわただしく下へ駆け下りていった。
「師匠?」
マリオンが背の高い師匠を下から覗き込むようにして声をかけたが、師匠は無言のまま彼をうながして大戸をあけて外へ出た。
「司祭館へ行く」
師匠は低くそれだけ言うと、マリオンにマントのフードを深くかぶせ自分の腕の中にしっかりと抱きかかえた。
師匠の呪文が頭の上で聞こえ、マリオンはその声に切迫したものを感じて緊張した。
第一、師匠がこういう魔法を使ってどこかへ移動しようとする事自体が非常に珍しい事だった。
風を切る音が耳元で聞こえ、魔法独特の歪んだ空気がマリオンと師匠をぴったりと押し包む。ほどなく風はやみ、マリオンは司祭館へ到着した事を知った。夏以来、一度も来ていない。
「師匠? いったい何が……」
「アーネストがお前に会いたがっていると、さっき使いが来た。もしもお前にできることがあればいい、と思う」
言葉すくなに語る師匠にマリオンは蒼ざめた。
こんな夜中に人まで使ってアーネストが、何故僕に会いたがるのか? 僕にできる事があればいい、とはどういう意味なのか?
聞くやいなやマリオンは、師匠を待たず司祭館へ駆け込んでいった。
司祭館の右棟は、ミサを行ったり結婚式を行ったりする聖堂になっていて、左棟の方は人が生活できるような作りになっている。
アーネストは、父母と三人でこの左側の棟に住んでいた。
マリオンは中に一度も入ったことがなかったが、玄関の扉が何処についているのかは知っていた。
雪が綺麗にかかれた玄関へ向かう。足元が何度も滑りそうになるが、走るのは止められなかった。
扉を叩くのももどかしく、かってに押し開けると大声で叫んだ。
「ごめんください! 誰か! 誰かいらっしゃいますかっ!?」
奥から答える声がして、広い廊下の一番奥の扉が開けられたようだ。
真夜中だというのに、その部屋からは煌々と光がもれていた。
「マリオン君だね。こちらへおいで。アーネストが待っている」
何度も顔をあわせ見覚えのあるアーネストの父親の顔は、げっそりとこけて面変りしていた。
不安な気持ちと、言い知れぬ何物かへの恐怖にマリオンの足が一瞬だけ止まった。
だが、アーネスとのために僕に何かできるというならば。
マリオンは失礼にならない程度の小走りで、廊下の端の部屋へたどり着いた。
「早かったね。使いの者はまだ戻ってもいないのに」
司祭が声をかけたが、もう、マリオンの耳には入っていなかった。
ベッドの中には蒼ざめた顔で横たわるアーネストがいた。苦しそうな息をして固く目をつぶっている。
頭にも首にもところどころに血がにじんだ白い包帯が痛々しく巻かれている。ベッドの外に出ている手も傷だらけだった。
「どう、したの?」
マリオンの尋ねる声がかすれて震えた。
答えてくれたのは、ベッドのそばで赤い目をしているアーネストの母親だった。こちらも父と同じくすっかりやつれ蒼ざめている。
「馬車から落ちてきた材木が、小さい子供に当たりそうになって、助けようとしたこの子が代わりに下敷きに・・・・・・」
後から部屋へ入ってきた司祭が、苦しい声で後を続けた。
「血がたくさん出てしまってね。どうしても薬では治らないんだよ」
「アーネストが僕を、僕を呼んだの?」
「ええ。でもついさっき、意識がなくなってしまったの」
マリオンがアーネストのそばによって行くと、母親が目頭を押さえながら立ち上がり、自分が座っていた椅子をマリオンに勧めた。
だが、マリオンは小さく首を横に振った。
ベッドのそばに跪き、苦しげに顔をしかめたアーネストに静かに声を掛ける。
「アーネスト?」
柔らかなでふわふわだった茶色の髪は、今は彼の額に張り付いていてところどころが血で固まっている。
マリオンは、何か決意したようにきっと面を上げ、唇を噛んで立ち上がり司祭のほうを振り向いた。
「僕、彼に魔法をかけてもいいですか?」
司祭は疲れたような声で答えた。
「もう、いくら君たちでも無理だよ。血が、大量に流れすぎた。内臓もいくつかだめになっているらしい。その場で亡くなっていてもおかしくはなかった、と言われたよ」
状況は最悪だった。
いくら魔術師でも、失われたものを元に戻す力はない。血は止められるが、流れ出て失われてしまったものを元に戻すことは難しいのだ。
しかももうだいぶ時間がたっている。
「でも、でも、痛くないようにはできます。いくらでも痛くないほうがいいでしょう? 痛み止めならできるはずです。僕にできる限りのことをさせて!?」
マリオンは一所懸命、司祭にうったえた。
もう助からないかもしれない。でももしかしたら、と思う。
それに彼をこの苦しみからだけでも解放してあげたかった。
泣いている暇はない。一刻を争うのだ。
「お願いします、僕にやらせてください」
母親が、うっと喉を詰まらせた。すすり泣く声が部屋の中に小さな漣をたてた。
「お願いするのは、私たちのほうよ。お願い、あの子を楽にさせて」
父親が母親のそばにより、その震える肩を抱いた。
「安らかに逝かせてやりたい。だが、魔法は神のご意志に逆らう事になるだろうか」
父である司祭の迷っているその声に、マリオンはまっすぐ彼の顔を見つめてきっぱりといった。
「神様は、誰かが苦しむことを望んだりなさらないと思います。それに今、できることがあるのなら最後まで希望を捨ててはいけないと思います」
ふっと司祭が苦笑した。
「こんな小さい子供に教えられることもあるのだね。そう、そうだね。私からもお願いするよ。アーネストを楽にしてやってくれ」
マリオンは小さくうなずくと、再びアーネストのそばに跪いた。
自分のできうる限りの治療魔法を完璧な状態で行うつもりで、マリオンは気持ちを落ち着けるように深呼吸をした。
治療の魔法の呪文を唱える。
右手をアーネストにかざすと柔らかな暖かい色の光がアーネストを覆った。
そばで見守る父と母が小さく息を飲んだ。
みるみるうちに荒く苦しげだったアーネストの息が、静かで穏やかなものに変化していく
きつく閉じられていたまぶたは、今は柔らかく紫の瞳を覆い隠している。
だが、魔法の力を通して彼を見ると、やはり命の灯は、強くなったような気がしない。今にも燃え尽きそうな細いものしか見えてこず、マリオンは焦れていた。
もう一度深く息を吸い、治療魔法の呪文を丁寧に唱えていく。再び部屋が柔らかな光に満たされる。
しかし、やはりアーネストの容態に変化はない。
口元を硬く食いしばったマリオンの顔は青ざめ、それにもかかわらず額には冷たい汗がふき出していた。
さらにもう一度、呪文を唱えようとしたとき、後ろから誰かにふっと抱きかかえられた。
「もういい、もう充分だ。もうこれ以上は誰にもできない」
緊張し、集中して固まっていた小さな身体を抱きしめ、彼の耳元で師匠が穏やかな声でささやいた。
その声に気が抜けてぐったりとなった小さな弟子の身体を軽々と抱き上げて、師匠は部屋の隅に連れて行った。
「アーネスト? アーネスト!」
代わりに父と母がベッドの脇に張り付いて、懸命に彼の名を呼んでいる。
「父さん、母さん・・・・・・」
二度と開くことはあるまいと思われたまぶたがうっすらと開き、ほとんど聞き取れないようなか細い声がアーネストの口から漏れた。
「ああ、神に感謝します」
思わず司祭の口から漏れた言葉に、
「マリオンの、おかげでも、あるでしょう。彼にもしてね、父さん」
と、アーネストがさっきよりいくらか力強い声で反論した。
「ああ、するともするとも。彼にはいくら感謝してもしきれないよ」
嬉しそうに泣き笑う父親に、アーネストは小さく笑みを返した。
「でも、たぶん、神様が、僕を呼んでいるのは、止められないよ」
アーネストは、白い顔を部屋の隅に向けた。
「マリオン。来て、くれて、ありがとう」
師匠の腕の中で震えている蒼ざめた小さな白い顔に、アーネストが声をかけた。
師匠が弟子を膝の上から彼を降ろすと、彼は震える足を踏みしめてベッドに近づき、アーネストから見やすいベッドの上にそっと腰を掛けた。
「ね、覚えてる? マリオン」
アーネストが紫の瞳でベッドの中からマリオンを見つめた。
蒼ざめてやつれた頬には、少し痛々しい微笑みが浮かんでいる。
「もちろん覚えてるよ、アーネスト」
「楽し、かったね、あの日」
マリオンが、涙をこらえながら力強くうなずいた。
「うん、楽しかった」
「マリオン、僕に、野に降り積むは、銀の雪、のあの歌を、歌って聞かせて」
「僕? 僕に歌えるかな?」
マリオンはベッドから降りて、胸の奥に詰まった重く痛い何かを飲み込み、深く息を吸った。
『野に降り積むは、銀の雪。人を潤す金の雨。
優しき慈愛の雨を降らしたもう、わが気高き主よ。
わが祈りの声を聞き届けたもう、われらが主よ。
空には青き色のあり。夕べに赤き炎ある。
人の心に光、灯したもう、わが気高き主よ。
御前に跪き、われは主に祈りを奉げん。
野に降り積むは、銀の雪。人の心には金の雨。
優しき慈愛の雨を降らしたもう、わが気高き主よ。
御前に跪き、われは主に祈りを奉げん』
母親のすすり泣く声と押し殺した父親の嗚咽の中、マリオンの細く高い声が静かに聖歌をつづっていく。
歌い終わると、アーネストが満足そうにうなずいた。
「ね、マリオン。雪は、みんなの上に平等に降り積む、っていう話、ちゃんと覚えてるかい?」
マリオンは、小さくうなずいた。
「僕は、君が好きだよ。僕は、ずっと、君を、見守っているからね。僕たちは、友達だもの」
「アーネスト、僕も君が好きだよ。だからまた君の歌を聞かせて?」
アーネストは静かに微笑んだ。
「そうだね、今は、無理だけど。君が、いつか、何かに迷う、日がきたら、僕は君の耳元できっと、歌ってあげるよ。だから、僕を、忘れないで・・・・・・ね」
そういい終えるのと同時に、アーネストのまぶたがゆっくりと閉じて綺麗な紫の瞳が隠されていく。
「アーネストっ! アーネストっ!!」
両親の叫びと共に、あわただしく隣の部屋にでも控えていた治療院の先生が部屋に入ってくる。
「アーネストー! 私を置いていかないでぇぇ!」
母親の血を吐くような慟哭が部屋の中に響き渡った。
「アーネスト君は、神の御許に、たった今旅立たれました」
脈を取っていた治療院の先生が、静かな声でそう告げた。
マリオンはベッド脇からそっと離れると、ひと声もあげぬまま師匠の所へ走った。師匠は何も言わず、マリオンをしっかりと抱きしめ腕の中に抱きあげると廊下へ連れ出した。悲嘆にくれる両親のことを考えて、彼が泣かずにいることをわかっていたのかもしれない。
「せ、せんせぇぇ! アーネストが・・・・・・」
だが、廊下を抜け玄関へ向かうあたりで、こらえていた涙がとめどなく流れてくる。
「よくやった」
「師匠。どうして神様はアーネストを連れていっちゃうの。どうして僕はアーネストを助けてあげられなかったの?」
幼い子供のように泣きじゃくるマリオンの頭を静かになでながら、師匠は玄関の扉の脇に座り込んだ。
彼がこんなに大声をあげ泣くのは、師匠の城へ来てから初めてだった。
「たとえどんなに偉大な魔術師でも、失われた生命を元に戻す事だけはできないのだよ。いいかい、マリオン。生命は、それほど重い。よく覚えておくんだよ。アーネストは神の御許に静かに旅立った。お前のおかげだ。大切なお友達だろう。ずっと彼のことを大事に覚えていてあげなさい」
泣きじゃくりながら、マリオンはうなずいた。
その夜、また静かに雪は降り積もった。
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<SIDE Marion>
涙が頬を伝う。
何故だろう。あんなに泣けなかったはずなのに。
今はとめどなく、浄化の涙が僕の頬を伝って銀の大地に落ちていく。
さらりとした彼の細い指が頬をなでていくのが、僕にはわかった。
彼の綺麗な声が、僕の耳に今も聞こえる。
『生きなくちゃね、マリオン。ちゃんと前を向いて。君は君のできる限りのことをしなくちゃいけないよ』
僕は彼を救えなかった。でも、彼は僕を救ってくれる、このどうしようもない絶望から。
忘れていた僕を、君は許してくれるかい?
どうしようもない、この僕を。
血まみれのこの僕を。
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二人で遊んだ、あの雪の日、僕の胸の奥の苦い問いにアーネストは、こう答えてくれた。
『雪はね、マリオン。
どんなものにも降り積むんだよ。
綺麗なものにも汚いものにも、穢れたものにも聖なるものにも・・・・・・。
なんにも区別はないんだよ。
そして、みんな白くしてしまう。
神様の愛もおんなじだ。
神様は綺麗とか汚いとか、そんなこと気にしたりなさらない。
人では許す事ができないものを、神様はすべて許してくれる。
みんなを平等に、愛していらっしゃるんだ。
悪いこともあるけれど、いいこともおんなじだけあるんだ。
いいことも悪いことも神様は平等に愛していらっしゃるのさ。
だからもし、僕がどんな悪い子でも、君がどんなにいい子でも神様は差別したりなさらない。
雪がぼくたちに平等に降り積むように・・・・・・。
悪いかどうか考えるのは自分だから。
悔い改めて明日へ進めるように前を見るのは、神様ではなく自分だから。
僕たちが間違ったら、それを正すのは僕たちでしかないよ。
神様じゃないんだ。神様は見守っていてくださるだけだから。
だからマリオン、僕たちはできることをするんだよ。
今の自分にできることを精一杯、ね。
間違ったなら、自分で正せばいいんだ。
そうすればいつでも雪は降り積む、僕たちの上に平等に。
マリオン、どうぞ君は君を許してあげて』
あれから僕は折に触れ、君の言葉を思い出した。
僕は迷う。自分を許せなくなり、光の道を見失う。
誰かを憎み、誰かを傷つける。
でもきっとそれは、僕がまだ人間である証拠だから。
間違ったことは自分で正し、前へ進まなくてはいけないんだ。
神様は僕を見守るだけだから。
前を見つめ進むのは、僕だから。
僕の口から忘れていたあのときの聖歌がひとりでにあふれてきた。
すっかり声も変わってしまったけれど、まだ旋律は忘れていない。
天のアーネストの声が静かに調和する。
これは彼からの贈り物なのだろうか。
『主は我らの罪を許したもう。優しき主よ。
恩寵を我らに与えたもう、万物の主よ。
この広い枯野にあなたの恩寵を。
主はすべての罪を許したもう。心清き聖なる主よ。
この広い荒れ野にあなたの恩寵を』
アーネスト、あの遠い遠い昔、僕に答えをくれた君。
今日も君は僕に答えをくれるんだね。
『野に降り積むは、銀の雪。人を潤す金の雨。
優しき慈愛の雨を降らしたもう、わが気高き主よ。
わが祈りの声を聞き届けたもう、われらが主よ。
空には青き色のあり。夕べに赤き炎ある。
人の心に光、灯したもう、わが気高き主よ。
御前に跪き、われは主に祈りを奉げん。
野に降り積むは、銀の雪。人の心には金の雨・・・・・・』
ありがとう、僕がかかわったすべての人たち。
ありがとう、アーネスト。
ありがとう、ショーン。
ありがとう、バージル。
ありがとう、師匠。
生んでくれてありがとう、僕の両親。
僕を愛してくれてありがとう。
ありがとう、神様、僕を今、現世に生かしておいてくれたあなたに、深く、深く感謝する。
涙が頬を伝う。
血の記憶は消えないけれど、僕は明日も生きていかなくてはいけない。
この世界を僕は愛していく。
忘れてはいけない、自分の罪を。
だが、それだけに囚われて自分の道を見失ってはいけない。
僕は僕を許し、罪を償わなくてはいけない。
僕がどんなに穢れていても、それでも雪はちゃんと僕の上にも降り積んでくれるから。
雨は僕を優しく濡らしてくれるから。
歯を食いしばってでもいい、痛みに呻いてもいい。僕はただ前に向かって歩いていこう。
僕にはまだやらなければならないこと、護らなければならない人たちがいる。
**..**..**..**..**..**..**..**
そして、ありがとう、僕を最後まで見捨てなかった我慢強い君、優しいフェリシア。
深い感謝の気持ちと共に、僕は君に手を差し伸べる。
その差し伸べた自分の手に血の穢れは、もう見えない。
最後まで諦めなかったフェリシア。
聖誕祭だからきっといいことがある、と言ってくれた君。
ありがとう、フェリシア。
僕は君を愛している。
いつかきっと、君にそれを伝えよう、この感謝の気持ちと共に。
そして、君に僕の遠い昔の友人の話をしよう。
胸の奥の痛みと苦さを忘れずに、僕は君とたくさんの人々とこの世界を愛していく。
僕にできることは、ただそれだけです。
<END>
お読みいただきありがとうございました。また、別の物語でお会いできますように。




