保護者たち
執務室へ訪れた神殿騎士がその扉を閉めると、彼が足元に落とした影から青みがかたグレーの猫が姿を現した。
「……では私はこれで」
「ええ、ご苦労様でした」
そんな短い遣り取りだけで神殿騎士のボリスは退出した。影から戻った聖猫のキヌは、ウーンと身体を伸ばしてソファへ上がると毛繕いをはじめる。
「キヌもお疲れ様でした」
『まったくよ。〈感覚共有〉は疲れる上に術者の意識は遠方へ向いたまま。幾ら何でも無防備すぎだわ。乱用するような能力でないと、いつになったら我が主様は理解してくれるのかしら?』
「私が意識を飛ばしている間は、アルカがちゃんと守ってくれましたよ」
『この馬鹿猫に主様を守護する能力があるとは思えないわね』
ボリスの影に〈影潜り〉したキヌと、視覚、聴覚を同期させていたアスィールの身体は無警戒であり裸も同然だ。
しかし、守護役のアルカは聖猫としてはお喋り以外に能力のない下位の存在でしかない。故に護衛としてではなく、人が近付けばそれを伝える番人として側に控えさせていた。
あらかじめ人払いしてあった執務室に近づく者があれば、気配に聡い聖猫が知らせる。神殿内に忍び込もうなどという輩は、ティタ神殿騎士団がそれを許さないとはいえ、例え強盗が襲ってきたとしても、騎士団長と互角に剣を交えるアスィールならば大抵の事は対処できた。
「……アルカだって、好き好んで居残りした訳じゃないにゃ」
すぐ側で拗ねている白猫が不満を漏らすと、その働きを労う様にアスィールの手が背を撫でた。
ルトの様子は〈感覚共有〉しているアスィールから事細かに実況中継されていたとはいえ、いけ好かないロバート・ダドリーとの「お友達宣言」を聞いてアルカの気分は最悪だ。幸い、彼の祖母は「本当に血が繋がってるの?」と問いたくなるほど、優しい人格者ではあったが、これまでルトに酷い言葉を浴びせていた悪餓鬼が素直にお友達関係を築くとは思えなかった。
『あら、あれだけ嫌がらせしてきた人間が友になったのでしょう?これからはあの坊やを煩わせる事も無くなって良かったじゃないの』
「……そう都合よくいけば良いのですがね」
仕掛けた本人であるアスィールの言葉に「じゃあ何でこんな面倒なことをさせたのだ」とキヌから非難めいた視線が向けられる。
まだ若いルトには、友と呼べる存在が必要だ。共に励み、共に傷つき、共に苦しみ、共に泣き、共に笑い、共に競い、そして共に進む。ルトと同じ目線に立ち、同じ様に悩み、共に成長する相手。ルトを真綿で包み、ただただ優しく守る大人達の世界に引き篭もっていれば、あの子の人生は誰とも向き合うことなく暗澹と生を費やすだけとなろう。と、麗しきルトの後見人は、その行く末を案じる。
「彼、ダドリー侍祭は、根っからの悪童という訳ではないのですよ。彼の選民思考やルトに対する忌避感は、おそらく兄達の影響でしょう。元来の彼は、祖母思いの普通の少年ですよ。とはいえ、すぐには和解は無理でしょうね」
タウンハウスでの様子をうかがい見る限りでは、祖母に対するパフォーマンスであろう。だが、少しずつではあるが、ダドリーのルトに対する偏見が剥がれてきていることも感じられた。何かもう一つきっかけがあれば、存外ダドリーは大きく化けるかもしれない。
「何もルトちゃんを疎ましく思っているのは、ダドリーの馬鹿だけじゃないにゃっ」
「確かにそうですね。もっと厄介な人達もいますからねぇ」
『どういうことよ』
「今までは上位貴族であるダドリーが分かりやすくルトちゃんを虐めてくれたから、他の奴らは手出ししなかったにゃ」
『あの人間がストッパーになってたってこと?』
「あの馬鹿はそこまで考えてた訳じゃないけど、ある意味そうにゃ。今後、ダドリーがルトちゃんを他の馬鹿共から庇護するならば良し。でも、ただ放置するだけなら、ルトちゃんを虐める相手が変わるだけにゃー」
頭が痛い事だと、白猫が嘆息する。
おそらく周囲の人間は、ダドリー侍祭の興味がルトからそれたと思うだろう。そうなれば、ダドリー伯爵家より下位の貴族たちの捌け口になりかねない。教会の聖職者すべてが悪感情を持っている訳ではないが、これまでのダドリーの行為を見ていた連中は「そういうもの」と、さして疑問も抱かずにルトに嫌悪感をぶつけるだろう。
悲しいかな。人間は自分の下に、下位の存在を作りたがるものだ。
「ダドリー侍祭が際立っていたのは、単にルトと一番年齢が近かったからですよ」
「そこまで分かってて、にゃんで………」
『だからどういう事よ!』
主以外の人間に興味が無いキヌは、神殿や教会内の人間関係に疎く、アルカの懸念に思い至らない。
「ウィンザー、テューダー、ハノーヴァー、モンフォール……そしてフォルステンベルグ家。教会内にはダドリー伯爵家以外にも高位貴族出身の聖職者は沢山いますからね」
「一応、色々と探ってみてはいるけど、中にはダドリーよりタチが悪いのもいるにゃ」
「ですから、これからもアルカの諜報能力に期待してますよ」
「……猫使いが酷いにゃ」
白猫アルカの心配は尽きない。
祖母宅から戻ったロバート・ダドリーは、神殿と教会内の共同棟にある事務局で、退出届けの書類に帰館の旨を書き込んでいた。
同行した神殿騎士は、主教の元へ報告へ行くと早々に立ち去った。
「ダドリー侍祭殿っ!!」
後ろから掛けられた声に振り返ると、随行騎士とは別の神殿騎士が近づいて来る。
「たしか、ヴァルジー子爵家の者だな」
「はい、神殿騎士のジルベールと申します」
「何だ?ルトなら先に戻ったぞ」
公国教会の聖職者は、ティタ神殿に従事する者よりも数が多い。教会側事務局の受付が混雑していたこともあり、ルトの方が先に手続きを終えたのだが、面倒だと先に帰らせたばかりであった。
「ええ、さっきルトに会いました」
だったら何の用事だといぶかしんでいると、人好きのする笑みで礼を言われた。
「ありがとうございました」
「………何のことだ?」
ロバートには、目の前の騎士に礼を言われるような心当たりがない。
「ルトの事です。ダドリー侍祭とご一緒されて随分と楽しかったようで、久しぶりに嬉しそうな顔を見ました」
「………私は…何もしていない」
「はははっ。良いのですよ、何もしなくても」
「どういうことだ?」
「ダドリー侍祭と共に出掛けてルトが楽しかったのですから、貴方はそのままで良いのだという事でしょう」
だが、ダドリーがルトに何かをした訳ではない。おそらく祖母達と過ごした事が要因であろう。
「私ではない、祖母や使用人達と話が弾んだようだ」
「それも侍祭殿とのご縁があっての事でしょう」
確かにロバートの一言でルトを祖母に会わせる事になったが、それだけである。
「………会わせただけだぞ」
「ルトには……身内も何もありません。しかも、この国では随分と生きにくい事でしょう」
今まで散々と蔑んできた相手だったが、帰る国も親兄弟や友さえも失った身であったと今さならながらに思い至った。
「ですからティタや教会内で歳の近いダドリー侍祭と仲良くなれて、正直ホッとしております」
「あぃ…っ……ルトは学園に行っているだろう」
同じ年頃の友人ならば、学園にいるであろうとほのめかす。
「あの容姿ですからね……学園内でも随分と浮いているようです」
「…………」
その容姿が原因で難癖を付けていたのはロバート自身だ。
「ですから、これかもルトと仲良くしてやって下さい」
「あ……ああ、そうだな」
ロバートの返答に喜色をあらわにしたジルベールが、深く一礼した。
「御祖母さまからも、また連れて来いと言われている」
「ああ、それはルトが喜びます。我侭を言わない子ですが、珍しくまた行きたいと漏らしてましたから」
「か……考えておく」
ロバートはこれまでの所業があるだけに断り難い。
「ヴァルジー殿……その、ひとつ聞いて良いだろうか」
「ジルベールで結構です。私で答えられる事でしたらなんなりと」
咳払いをしたロバートは、どう伝えれば良いのだろうかと腕を組んで思案する。
「そ、そのだな?」
「はい?」
「あー、何故、貴公がル……ルトの事で礼をいうのだ?」
礼ならばルト本人からされている。専属騎士でもないジルベールがルトの代わりに礼を述べる必要はない。
「ああ、それは何というか、ルトは私にとって歳の離れた弟のようなものでして」
「………弟?」
「ダドリー侍祭、私はヴァルジーの名を捨てた身です」
神殿騎士は、俗世での地位や爵位を捨てて神殿に仕えることを誓約する。
「家名を捨てたからといって、家族との絆がなくなる訳ではないだろう?」
「ええ、ですがこの先家族を持つこともありません」
ルルド聖教に妻帯は許されていない。
叙階された時点で、俗世との関わりを一切絶つことになる神官達と同様に、それを守護する神殿騎士にも妻帯は認められてはいなかった。身体を欠損し、騎士職を辞すことになれば可能だが、侍従職としてそのまま神殿へ残る事も可能であり、もしそうした事態になればジルベールも神殿に残る道を選ぶだろう。
「そういう訳で、ティタ神殿に身を置くすべての者が私の家族なのです」
「そうか……それは、少し羨ましいな」
ロバートは自身の兄達と目の前に立つ男を比較する。血の繋がりさえない他人へ、この男の様にまっすぐに親愛を向けられるモノだろうか?
だが、確かにティタ神殿の者たちは、この国では「忌地人」と侮蔑される事の多いルトを大切にしているのが伺える。その事が、家族内で出来損ないというレッテルを貼られ冷遇されてきた自分よりも、周囲の大人達に愛されているルトへの妬みとなり鬱憤の捌け口としていたのだ。
「ダドリー侍祭が神殿騎士になれば、私の弟ですよ」
「………剣は得意ではない」
プイっと拗ねたように答えたロバートに、笑いながらその頭を撫で回すジルベール。
「では、私の弟の友人という事でよろしくお願いします」
「わかったから、撫で回すなっ」
金茶の頭を大きな手で撫で回され、気恥ずかしそうなロバートであった。
一人と一匹の心配をよそに、かるーく誑し込んでいるジルさんでした。




