白髪
ルトが無意識に行った行為によって、毒気を抜かれたロバートは舌打ちをしながらもドスンっと腰を下ろした。
幼い頃、孤児院で育ったルトは、子供達が怪我をする度に加護の力で治癒していた。
活発で怪我しやすい子供達は、ちょっと目を離した隙にすっ転んだり、ぶつかったりと忙しい。切り傷、擦り傷、打ち身に捻挫のオンパレードだ。それこそ、いつも誰かが怪我をしており、その度に泣いた声を聞きつけたルトが甲斐甲斐しくお世話するというサイクルが出来上がっていたのだ。
その容姿から最初は敬遠されていたルトだったが、幼い子供達とはすぐに打ち解けた。しかし、それも些細な事で仲違いするまでだったが。
そんな訳で、ルトは別段考えがあってロバートを治癒した訳ではない。ロバートの赤くなった頬を見て「痛そうだな」と無意識に治癒したのである。それを知らないマルガレータとその執事は、「仲違いした友が再び友情を取り戻した」かの様に見えなくもないこの状況を微笑ましく見守っていた。「勝手に治癒するな」「ご…ごめん」という遣り取りさえ、素直になれないイジメっ子ロバートと気弱で優しいルトの、彼らなりの不器用な対話だと認識している。
「さあさ、仲直りもできたようだし、お茶にしましょう」
「今、淹れ直してまいります」
マルガレータの提案に、執事は冷めたティーポットを下げた。
「ロブ、貴方が素直じゃないのは知っているけど、ルトちゃんにちゃんとお礼を言わなくては駄目よ」
「な、何で私がこいつに…」
「こいつだなんて、ちゃんと名前を呼びなさいっ」
「こ、こ、こいつは…」
「まったく、貴方は小さな頃からちっとも変わらないわ。いつもいつも、好きな子ほどよく意地悪をしてたけど未だにそうだなんて。根は優しくて寂しがりやなのに、何で意地悪ばかり口にするのかしら?」
突然、祖母によって無理やりに暴かれた黒歴史に、口をぱくぱくと言葉を失うロバート。
「ルトちゃん、ごめんなさいね。こんな捻くれた孫だけど、これからも仲良くしてやってね」
「ふえぇ?は……はい、よろしくお願いします」
よろしくお願いされたロバートはひとしきり言い返そうと試みるが、期待を込めた様子で見守る祖母の視線に晒されて何かを諦めた。
「よ……よろしく」
「……は……ぃ」
満足いく結果に落ち着いてニコニコ上機嫌なマルガレータに対し、神殿騎士のボリスが壁にすがるように肩を震わせていると、老執事がふくよかなメイドを携えて戻ってきた。このタウンハウスで老執事と共にマルガレータに仕える50代のベテランメイドだ。
「おやまあ、坊ちゃんっ。坊ちゃんがお友達を連れてらっしゃるというから、どんな子が来るかと思えば………これまた随分と可愛らしい」
「………くっ…、こ、こいつは神官見習いのルトだ」
「よ……よろしくお願います」
そっぽを向きながら初めての友人を紹介するロバートと、その横で一礼するルト。すでに否定する気力は残っていない。
「あらま、ご丁寧に。あたしはメイドのマールってんですよ。今日は坊ちゃんの好きなシュトゥルーデルを用意しましたからね。沢山食べていってくださいな」
テーブルの上にまだ暖かい林檎のシュトゥルーデルが追加された。
「マール、ルトちゃんは凄いのよ。私が長年悩んでいた膝の痛みがすっかり良くなっただけじゃなく、レスターの腰痛まで治癒してくれたのよ」
執事のレスターがパイを取り分けながら、マルガレータの言葉を肯定する。
「マールも頼んだらどうだ?」
「ロブ…貴方ときたら、また勝手にそんな事を」
「するよな?お前は俺の友人なんだろ?」
「は…はい。宜しければ」
ルルド神官の治癒を受ける機会など、余程の大病でも患わない限りそうそうない。大抵は街の治療院で事足りるのだ。
「そうですねぇ……大変ありがたい事なんでしょうけど、あたしはいいですよ」
「何故だ?マール。こいつが言っているんだ、遠慮することはないぞ?」
「……いえねぇ、そう仰られても、あたしゃ元気だけが取り柄ですし」
「どこかないのか?レスターの様に腰痛とか、何か?」
「腰痛もなければ肩も膝もピンピンしてますよ。毎日身体を動かしてますし、元気そのものです。坊ちゃん、あたしが今まで寝込んだことありましたか?」
「………………無いな」
でしょう?と破顔するマールは「気持ちだけ受け取っておきます」と辞退した。
「だいたい、神官様の治癒は余程の事でもしないとお願いしませんよ。昔ほど加護持ちの方も多くありませんし、治療院の技術だってあたしが子供の頃と比べりゃ驚くほど進んでるって言うじゃないですか?あたしら庶民は十分事足りてます。それよりも、万一の時に神官様から癒しを受けられる方が大切ですからね。今、治癒されたら一番必要なときの分を使ってしまう気がして、勿体無くていけません」
「………そういうものか?」
「そういうものです」
数十年前までは、戦争の度に加護持ちが徴収され、強制的に兵士の治癒をさせられた時代があった。
幾ら攻撃されても、死なない限りは治癒の奇跡で戦い続けることができる兵士。戦に勝つためには、兵士ではなく、加護を持った者達を葬ることが一番効果的であり、多くの加護持ちが戦争の犠牲になった時代である。
今でこそ、各国間の条約やルルド聖教の元に守られてはいるが、闇社会では加護持ちが人身売買の犠牲となるケースも少なからず存在していた。
だからこそ、加護持ちはルルドの庇護を求めて神官を志すものが多く、その才と人格によって選ばれた神殿騎士が神官の身を守るのだ。
「そういやルトさんは御紐をされないのですか?見習いとはいえティタ神殿にお勤めの方なら、綺麗な色紐を結わえていらっしゃると思ったんですがね?」
「そういえばそうねぇ、ルトちゃんは色紐を結わえないの?」
一同の視線が集まりバツが悪いルトは、壁際に立つボリスに助けを求めるような視線を投げかける。だが、ティタ神殿の面々はどうにかしてルトに色紐をさせようという者ばかりだ。ボリスも「これは話が良い方向へ転がった」と、心中で老婦人へエールを送った。
「あの……か、髪が短いので」
いつものように言い訳を口にするルト。だが、その程度の弁解でマルガレータが納得するはずも無い。
「あら、私が娘時代の大主教様は、お歳で髪が薄くなってらしてね。御紐を結わえることさえ苦労してらしたわ。ルトちゃんくらいの長さなら十分結わえることができますよ」
そう切り替えされたルトは、別の理由で断るしかない。
「ぼ、僕は髪が白くて…その…気持ち悪いから」
泣きそうな声でそう話すルトに、マルガレータとレスターが顔を見合わせる。
「あらあら、じゃあルトちゃんは私の事も気持ち悪いのかしら?」
「僭越ながら、私の髪も同様に白髪でございます」
確かに年配のマルガレータとレスターは白髪である。灰白のルトの方がまだ色があるといって良い。
「い、いえ……でも」
「……………でも?」
人生の大先輩である老婦人に優しく問いかけられ、ルトは思わず視線を逸らす。魔素汚染により退色した髪色を、不吉だ、気持ち悪い、見栄えが悪いと、これまでなじってきたロバートへ視線を向けると、我関せずと無言でパイを口に運んでいた。
「ルトちゃんはこんなお婆さんの白髪は気持ち悪い?」
マルガレータの問いに、ブンブンと首を横に振って否定するルト。
「私もね。ルトちゃんの髪が好きよ。だって私とお揃いじゃない」
「確かにお揃いですな。私も奥様とルト様とお揃いでございます」
「あれまぁ、お2人だけズルイですよ。私だって最近白いのが混じってきてます。もう10年もすれば真っ白です。仲間はずれはごめんですよ」
そう言って老婦人とその使用人2人は、互いの顔を見ながら笑いあう。
「ルトちゃんはお婆ちゃん達とお揃いは嫌かしら?」
「………………い…嫌じゃ…ない……で…す」
「あら嬉しい。じゃあ、私達4人でお揃いね」
翠の瞳を潤ませて、それでも嬉しそうに微笑むルトを、マルガレータはそっと近づき包み込むように抱きしめた。
「嬉しいわねぇ、もう一人可愛い孫ができちゃったみたいだわ」
「じゃあ、坊ちゃんの弟ですかねぇ」
「なんで私の弟なんだ」
不機嫌そうにそう答えるロバートだが、それまでの様な刺々しさはない。
「じゃあルトちゃん。今度会う時は綺麗な色紐を結わえた姿をお婆ちゃんに見せてくれる?」
「………………………」
「そしたらお婆ちゃん、楽しみにして礼拝に伺えるのだけど」
小さな声で、しかしはっきりと「はい」と返答するルトに「約束ね」とマルガレータは微笑みかけた。
その様子をじっと見守る者があった。
神殿騎士が足元に落とした影の中に、密やかに忍ぶ薄水色の瞳が密やかに様子を伺い見ていた。




