夢
アンサスは、中央大陸と西大陸を挟む、内海(地中海)沿岸の地方だった。
内海の北側、中央大陸の西部には強国、ヴァイストハイト帝国が、そして、内海対岸の南側、西大陸北部に位置するのが小国家群のアンサスだ。
アンサスの東部地方は、2つの大陸を繋ぐ地峡と、帝国との間にそびえる山々に挟まれて位置し、中央大陸と西大陸を結ぶ交易路として栄えていた。
狂王―――そう呼ばれる帝王が、西大陸へ攻め込むという噂は以前からあった。
帝国の隣国は、神の手と呼ばれる高い山地に閉ざされた、魔族の住む禁足地だ。
領土拡大の為には、内海を隔てて位置するアンサス。そしていずれ西大陸へ侵攻するだろうという予測は子供でも知っている事だった。
ただ、アンサスの東部地方では、港に一応の砦や大砲はあるものの、交易路を結ぶ隣国には友好国のイデアがあり、他国の介入を良しとしない帝国が攻め込んでくる訳がなく、ましてや山を越えて攻めて来るはずがないと高を括っていた。
誰もが、アンサス西部域から中央地方での戦を懸念し、そればかりを警戒していたのだ。
そして、アンサス東部域は3度に渡り不運に見舞われる事となった。
1つ目の不運―――当初予想していた中央沿岸部ではなく、東部の地峡が先に攻略された。
「―――いいか、クルト。ここから出てはいけない。お前はお兄ちゃんだ、妹をしっかり守るんだぞ!」
村の一角、小山の側面に穴を掘っただけの、粗末なシェルター。
幼い妹のネシャトは泣きじゃくり、父が宥めても離れようとしない。
「とうさまと、かあさまは?……」
「父さん達は村を護る。長が隣国イデアに伝令を送ったから、すぐに救援が来るはずだ。それまでお前たちを護らなくては」
「ぼくも、一緒にたたかうよ。わるいヤツら、追い出すんでしょ?」
「クルト。村を護るのは大人の役目だ。だがね、お前の加護はとても大切な力だ。皆とネシャトを護るために使いなさい。いいね」
そう言って、愚図る妹をクルトの隣に座らせ、木製の扉を閉めた。
暗い穴の中は、村の子供達が数人肩を寄せ合っている。
地峡の砦は攻め落とされたと言っていた、帝国軍の軍隊がすぐそこまで来ているのだろうか?
どのくらい暗闇の中にいたのだろう。時間の感覚はなく、泣いていた子供達も口を閉ざしたままだ。
ただ静かに時間が流れた――――と、その時。
ドォォォォ―――ンッ!!
遠くの爆音が、子供達の耳に届いた。
敵なのか?味方なのか?もしかして、援軍のイデア軍が来てくれたのか?
しかし、イデアはこの後、終戦までこの地を訪れることはない。
―――友好国の裏切り、それがこの土地2つ目の不運だった。
パンッパパパパパンッ
大人たちが魔銃を使う音がしだすと、一人の子供が堰を切ったように泣き出した。それにつられて、他の子たちも次々と泣き叫ぶ。
「だいじょうぶ!だいじょうぶだから!!」
そう言って年長の子たちが宥めるが、一向に泣きやむ気配はない。
ついには一人の子供が、木の扉を開き外に飛び出し、後に続いて外へ走り出す幼い子供達。
いったい何処へ行くというのか?
両親の元に駆けて行きたい!クルトのそんな一瞬の思いが、繋いでいた妹の手を離してしまった。泣きながら外に駆けだす幼い妹。
「だめだネシャ!!外に出ちゃっ」
言って追いかけるように、クルトも外に飛び出した。外の眩しさに、一時立ちすくみ、両親達が戦っているであろう方角に目を向けると、村の向こうにもくもくと黒い煙が空へ立ち昇っていた。
ハッと我に返り、幼い妹を探す。
「ネシャ!もどってきて。いっちゃダメだ!」
妹がが向かっているのは、自宅の方角だ。自宅の前まで来て漸く妹に追いつくと、その手をしっかり掴む。
「うあぁぁーん!!………っ…………とーさま…かーさま…」
「ダメだ!ネシャ。とうさまたちが、悪いやつを追い返してる!それまで隠れてないと……」
クルトが妹を抱きしめ宥めていると、刹那、頭上に閃光が煌めいた。
「にいに……おそら…」
妹が指さす青空には、巨大な光の輪が浮かんでいた。
いや、輪ではない、光は線を引くように空を走り、天に巨大な文様が浮かび上がった。規則正しく描かれる光の古代文字列。
―――それは3つ目の不運、禁忌であるはずの戦略級魔術式の発動だった。
空の術式を転写したかのように、足元に浮かび上がる光の文様。
幼い兄にそれが何なのかは理解できないが、良くない事が起こることは予感できた。
「ネシャ!!こっちだ、にいにとおいで」
妹の手を引き、慌てて家の中へ駆け込むと、地下への階段を降りる。
クルトの家には、古い地下室があった。もともと古い遺跡の上に建てられた集落である上に、父が家の地下を掘り起こし、遺跡を掘り当てた。地下遺跡を利用した地下室は、夏でも涼しく貯蔵庫として活躍していた。
地下の一番奥まで辿り着くと、妹を力いっぱい抱きしめる。
ひんやりとした地下の空気が肺を満たす。
ギュッと妹の身体を抱いたまま、いつしか眠りに落ちた。
完全な負け戦だった。いや、戦と呼ぶ事さえできない、殺戮だった。
この世の終わりの様な静寂が訪れ、泣き疲れ、空腹に我慢できなくなった頃、クルトは幼い妹の手を引いて外へ出た。いや、出ようとしたができなかった。階上へと上がる梯子は崩れ、外へ繋がる出口も塞がれていた。
幸い、備蓄庫として使っていた地下には食糧がある。それで、数日飢えをしのいだ。
おかしい。何故、誰も助けに来ないのか?
幾ら地下とはいえ、あまりに静かだったのだ。耳を澄ませば、地下のどこかで湧いている、ピチャン、ピチャンという水音のみ。外の音は一切入ってこない。
地下にあった魔道具のランプと持てるだけの食糧を手に、妹を宥めながら道を探した。村の地下一体に広がっている遺跡の中を、地上への道を求めて移動する。数日、数十日だったのかもしれないが、暗い地下の中では時間の感覚など直ぐに失われていった。
身体の小さな子供が通れる狭い隙間を通り抜け、漸く地上に出た時は水が尽きていた。
どうやら村から程遠い河川近くに辿り着いた様だ。
渇いた喉を潤すように、幼い兄妹は川の水を腹一杯に口にする。
月の明かりに照らされた川の水は、何かキラキラと光るモノがとうとうと流れていく。
朝を迎え、村へ向かう兄妹はその水に流れていたモノの正体を知る。
人も草も花も鳥も、生命あるものが全て砂へと変わっていた。
緑豊かな自然は荒れた荒野となり果て、人は嘗ての形を残したまま、石の彫像となっていた。
後になってわかったのは、魔塊化した人のなれの果てだと云う事。
そして、人の形をした魔石の彫像は、魔力が保てずに急速に魔力が抜けて崩れ――砂へと散った。
きらきらと光る人の砂が、川に流れて運ばれていたのだ。
吐いた、吐く物など胃には何も残されていないが、吐かずにはいられなかった。
村に戻る事はしなかった。
呆けたようになった妹も、村へ帰ると愚図る事はなくなった。
ひたすら歩き続け、気付くと体毛が抜け落ちていた。黒く艶やかな髪は無くなり、妹の顔を見れば眉さえ無くなっていた。
「…変な顔」
ふふふっと、お互いの顔を見合わせ笑う。
泣いたような、笑ったような、おかしな笑顔だったろう。
久しぶりに兄妹は互いの声を聞く事ができたのだ。
ポケットに入った小さな果物の砂糖漬け、最後の食糧を2人で分けて食べる。
飢えはすぐにやって来た。
耐えきれず、腕を噛み、そこに流れる赤い血を見て安心すると、それを啜る。
妹の口にも無理やり流し込み、ひたすら歩いた。
父親との約束だけを心の支えに、妹を背負い歩く幼い兄。
背負った筈の温もりが、いつの間にか消えた事に気付けなかった。
サラサラと首筋に落ちてくる砂に、不思議と涙はでなかった。




