果樹園
サナンの案内で、一行はこれまで身を隠していたという村はずれの作業小屋へと向かった。
ルトが歩けるほどには回復したこともあり、竜禍に浸食された影響で衰弱していたサナンはキファークが抱えて移動した。
村から程近い傾斜面に踏み込むと、辺り一体が甘い香りで包まれる。薄紅色の実をたわわに実らせた果樹園が広がり、先程まではなかった鳥の囀りが聴こえてきた。
「にゃぁー♪桃だにゃー♪」
アルカがぴょんぴょんと賑やかしく飛びまわる様子を見て、ルトはこの白猫の好物に思い当たった。
「彼処に見える作業小屋に罹患しなかった…いえ、違いますね。竜禍の影響を免れた子供達が隠れています」
「…なるほど、果樹園の桃を食べて飢えを凌いでいたのか」
「羨ましいにゃー」
不謹慎な白猫をジルベールが窘めるが、桃好きなアルカの目は実った桃にくぎ付けだ。
「しかし、何故ここは無事だったのか」
「ああ、村との距離もそれ程あるわけではないんだがな」
村の周囲は甲蟲が発生してたし、何よりこの距離で竜禍の影響を免れたのは奇跡に近い。
サナンが竜禍に侵され、それでも村人達よりも進行が遅かったことも疑問であった。
「桃のご利益にゃねー」
うっとりと桃を…いや虎視眈々と桃を食べようと狙う白猫の言葉に、キファークが手を伸ばして桃の実をもいだ。果実盗人を咎める村人はもういない。ルトの手にも幾つか渡し、自分もひとつ齧りつく。
「あぁーアルカも!アルカも!」
「あげる、ちゃんとあげるから待って」
ルトの手から桃に齧り付く白猫にジルベールが問うた。
「アルカ…さっきのはどういう意味だ?」
「んにゃ?……」
「この場所が無事なのは桃だと」
「ああ、桃は仙果にゃ。邪気を祓う魔除けで、桃で作った弓は悪鬼を祓うにゃ」
んまんまと桃に喰らいつく白猫は2個目を所望する。
「は?……んな話ははじめて聞いたぞ?坊主は知ってたのか?」
「す、すみません……僕も初めて聞きました」
相変わらずのルトの枕詞に、キファークが眉をピクリと動かすがその場は黙殺する。
「ルトちゃんは知らないにゃー。こっちの世界の話じゃにゃいしー」
「……アルカ、それは聖猫が元いた世界での話という事か?」
「んー、面倒にゃ…ググれにゃっ!」
「ぐぐれとは、何だ?」
「ぐーぐりゅ先生に聞いてくださーい」
「それは著名な博士か?」
聖猫は別次元から来た精霊に近しい存在である。
「……ちょっと待て。ジルベール、今この白猫がなんだって」
「………え、アルカですか?」
「アルカはルトちゃんの聖猫にゃ!」
えへんっと、胸を張る白猫。
「いやいやいやいや……真っ白な聖猫なんて初めて見たぞ」
「キファーク殿、今までアルカを何だと思ってたのですか」
「……新種の魔獣か何かだと」
魔獣は、魔界原産の魔力を持った獣だが、訓練され作業魔獣として人に飼われる種でもある。が、所詮は獣だ。精霊獣である聖猫の様に人と会話できる訳ではない。
「しつれー。アルカを畜生と一緒にするにゃー」
「だって、お前、色なしじゃねーか」
「ここにあるにゃ!」
前足をずいっと差し出せば、くるりと一周したグレーの毛並みが見えた。
「……そこかよ」
「うにゃー!しつれー!しつれー!うわーん、ルトちゃーん、おっさんがいじめるー」
「はいはい……良い子。良い子。アルカは賢いなー」
桃の果汁でべたべたになった白猫を抱えるルト。加護の力を行使した疲れと、白猫のふわふわとした感触で、訪れた睡魔がルトの意識が持って行こうとしていた。
粗末な木小屋に居たのは、幼い兄妹と少女の3人だ。
命の危険と強い精神的衝撃を受け、一行の姿を見てパニックを起こした子供達をルトが癒す。すると、病魔だけでなく心にも届いたのであろう加護者の癒しによって、子供達は安心したように眠りに落ちた。
「…助かったのがこの3人だけとは」
「3人いただけでも奇跡だろ」
狭い作業小屋の片隅に固まるようにして眠る子供達。衰弱したサナンも、壁に寄りかかるように身体を休める。その膝元には、サナンに抱きつくようにして幼い少女が身体を横たえていた。
「……神官様、有難うございました」
サナンはルトに頭を下げた。
加護持ちが病だけでなく、竜禍という禍をも癒やし浄化するとは、治療師であるサナンも知らなかった。
―――おそらく、私の師匠あたりは、竜禍について知らされているのかもしれないが…。
まだ成人前らしきこの少年の加護がなければ、サナン自身も禍を振りまく亡者となっていただろう。それを思うとぞっとした。
「いえ、あの…すみません。僕はまだ見習いですので」
「ふふふ、ルトちゃんは将来有望な美少年にゃ!」
「ええ、おかげで私も命を拾いました」
そう頬笑み、自分にしがみつく様にして眠る少女の髪を撫でる。
「……ただ、この子達の今後が心配です」
助かったとはいえ、その心に大きな傷を残した幼い子供達にはこの先も心のケアが必要だろう。
「この娘は近くの村に親戚がいるそうなので、そちらへ預けることになりますが、その兄妹2人は治療院を通して孤児院へ行く事になるでしょう」
「……そうですか」
「暫くは、私も気にかけるようにするつもりです」
「だったら、ベルンテイトに良い孤児院があるにゃ」
「ベルン…テイトですか?」
「あ…はい、僕が過ごした孤児院ですが、ベルンテイト外郭にある小教区の教会です。優しい司祭様がおいでになるので、きっとこの子達の心も癒されると思います」
「貴方がお過ごしになった孤児院ですか?」
ルトはアンサス難民である。
その灰白の髪を見て直ぐに思い当ったサナンは、そこからルトの置かれていたであろう状況を理解する。
未だ人見知りするルトだが、彼が纏う穏やかな気がその場所で癒されたからならば、この子達にとってもきっと良い所だろう。
サナンが属する治療院はベルンテイトではなかったが、今回の件を知ったからには大きな都市の治療院へ移動する事もある…おそらく口止めと監視という目的で。それも良いだろうと、ルトに紹介を頼んだ。
「おい……日暮れ前に片付けてくるから、大人しくしてろよ」
「……大丈夫なのですか?」
彼らの強さを知らないサナンが心配そう尋ねる。
「大丈夫ですよ。サナン殿はルトと此処で待っていて下さい」
「…はい」
「……白猫、お前も来い!」
「うぇー、アルカも?」
キファークがひょいっとアルカを摘みあげる。
「白猫が聖猫だってんなら、竜禍に浸食される心配がないだろうが」
「え?そうなのですか?」
「ああ、サナン殿は知らないのか。聖猫は創世記以降に来訪した種だ。竜禍は創世期に存在した者達への呪いの様なものだからな、その頃にはまだ居なかった聖猫は竜禍の影響を受けないらしい」
「……まあ、こいつが本当に聖猫だったらの話だな」
「しつれーだにゃ」
ぷぅっと膨れっ面になった白猫は、ルトに首の鈴石を預ける。竜禍に聴力があるかは知らないが、位置を知られる可能性があるので外した方が賢明だろう。
「ルト……万一我々が竜禍に取り込まれたらアルカを知らせにやる。夜明けを待って此処を出たら神殿へ連絡を」
「アルカ…連絡係にゃ?」
「ああ、それと逃げるときは吊り橋を壊せば時間稼ぎになる」
「あの……ルト君が一緒にいけば、竜禍に浸食されても対処できるのでは?」
ルトが持つ加護の力があれば、竜禍に侵されても浄化できる。ならば、一緒に連れていく方が良いのではないかと、サナンが疑問を呈した。
「ルトは駄目です……竜禍に侵された我々がルトを害さないとも限らない」
「ルトちゃんひ弱だからねー」
ルトも一応の護身術は習得しているのだが、本職の騎士やハンターに抗することはできない。
「う……すみません」
「まあ、ティタの聖職者で本職の騎士なみに剣を扱う事ができるのは、アスィール様くらいだから」
「アスィール様って、ティタの至宝の……そんなにお強い方なのですか?」
その容姿と加護の強さで、アスィールの名を知らないベルンテイトっ子はいない。
ルルドの御膝元であるティタ神殿の至宝と呼ばれるアスィールの名は、サナンも良く知っていた。ただしそのイメージは、金糸の髪に白い肌、紫水晶の瞳の容姿端麗な主教様だ。決して、剣を振り回す益荒男ではなかった。
「馬鹿強いです……」
「アスィールに剣を持たせると血の雨が降るにゃ」
ジルベールとアルカが遠い目をする。
何かトラウマに触れたようだ。
「アスィールの強さなら聖猫も必要にゃいと思う」
「……正直、神殿騎士も必要ない気が」
主を守る使役獣でもある聖猫だが、他の聖職者は兎も角、アスィールに助けが必要とは思えない。キヌは何故、あれ程強いアスィールを主に選んだのか?アルカにキヌ程の魔術の素養があれば、ルトを守る事ができるのに…ままならないものだと、白猫が溜息をついた。
「ルト、竜禍の浄化で疲れてるだろう。俺達が帰って来るまで休んでいろ」
「……うん。ジルベールさんも気を付けて」
ジルベールはルトの灰白の頭を撫でる。
そろそろ限界なのだろう、眠気を我慢するルトの瞼は今にもくっつきそうだ。
「おい、坊主。俺にはないのか?」
「……えっと、ごめんな…さ…」
「うっひゃっひゃ。ルトちゃんを虐めるからにゃ」
アルカが何か失礼な事を言ったのはわかったが、謝罪を口にする前にルトの意識は夢へと誘われた。




