お兄ちゃんがいなくなった
高校一年生。ママのお兄ちゃんが亡くなった。
自ら命を絶った。
昨日までいた人が、いなくなる。それが、ニュースでも、物語でも、遠い家の話でもなくなった。自分の家の出来事になった。
その頃のママ自身も、まだ子どもだった。
翌年。高校二年生。
ママは、自分を傷つけた。リストカット。
その言葉を、本から消さないでほしいと言った。
「ほんとのことだから」
ママは、当時ちゃんと勉強していた。
やっていた教材には、もともと「この総合点まで届かなかったら辞めさせる」という約束があった。
その時のテストは学年全体の平均点が低く、ママ自身の順位はむしろ上がっていた。
それでも、約束されていた総合点には届かなかった。
だから、通信教材は辞めさせられた。
約束だったことは分かっている。
でも、順位は上がっていたし、自分なりにやっていた。
それなのに、結果の点数だけで
「頑張っていない」と決められたように感じた。
私、やってるよ。そこも見てよ。
「当時は、それをうまく言えなかったんだと思う」
今なら、言葉にできる。
悔しい
悲しい
私、やってるよ
勝手に決めないで
でも、あの頃は、その気持ちを自分へ向けた。
血を流すことで、自分の中にいる「悪い自分」を外へ出せるような気がしていた。
それと同時に、「悪い自分」に罰を与えるみたいな気持ちもあった。
自分が悪いなら、自分が痛い目にあえばいい。
そんなふうに、悔しさも悲しさも、自分へ向けた。
今のママは、それを正しいとは言わない。
悠斗や紗良に、同じことをしてほしいとも思わない。
でも、あの頃の自分を「馬鹿だった」とは言わない。
僕は質問した。
その時のママに話をできたらなんて言う?
「血を流したからって、悪い自分が消えるわけないんだよ」
そう言ったあと、続けた。
「だってさ、そもそも消さなきゃいけない悪い自分なんて、いなかったんだから」
悪い自分、ではなく、苦しかった自分だった。
あの時、それを教えてくれる人がいたら。
世界が、今いる場所だけではないと分かっていたら。
何か違っただろうか。
答えは分からない。
でも、今のママは、子どもたちには伝えたい。




