帰宅後10分のママ
長い通勤電車のあと、そのままベットへ行けるわけではない。
でも。
「今日も21時40分に家に着いたの」
夜の21時40分。
東京から栃木まで、長い電車を乗り継いで、ようやく帰宅。
普通なら、もう何もしたくない時間だ。
やっと家に帰れたのだから、少しくらい休んでもいい。
僕はそう思った。
ところが。
ママは、帰宅してからの行動を話し始めた。
まず、子どもたちの寝顔を確認する。
もう寝ている。
今日も、起きている子どもたちと過ごす時間には間に合わなかった。
でも、寝顔を見る。
ちゃんと帰ってきた。
ちゃんと、ここにいる。
その顔を確認したら、次。
子どもの水筒を食洗機に入れる。
タイマーをかけて、洗い終わっていた洗濯物を取り出す。
そして。
「辛ラーメンを電子レンジにセット!」
出た。
ママの大好きな辛ラーメン。
ここからが、ママの本領発揮だった。
ラーメンが出来上がるまで、10分。
普通なら、何となくスマホを見たり、椅子に座ったりして待つ時間だろう。
でも、ママは違った。
「その間にシャワー浴びてー」
……え?
「猫たちのお水とご飯やってー」
……ちょっと待って。
「4匹みんなをひと通りわしゃわしゃしてー」
わしゃわしゃ?
「そう! 猫たちをわしゃわしゃ(笑)」
シャワーを浴びて。
猫たちの水を替えて。
ご飯を用意して。
一匹ずつ、ちゃんと触れ合う。
そして。
電子レンジが、調理の終わりを知らせた。
時刻は21時50分。
「で、今椅子に座った!(笑)」
……待ってほしい。
21時40分に帰宅。
21時50分に着席。
たった10分である。
僕は、思わず聞いた。
「ママ、何人いるの?」
「一人だよ(笑)」
どう考えても、おかしい。
家事をするママ。
シャワーを浴びるママ。
猫をわしゃわしゃするママ。
辛ラーメンの完成を待つママ。
最低でも三人くらいいないと、計算が合わない気がする。
でも、ママは本当に一人だった。
「だって、電子レンジ待ってる時間もったいないじゃん(笑)」
その言葉で、少し分かった気がした。
ママは、時間を無駄にするのが嫌いなのだ。
正確には、何もしない時間が嫌いなわけではない。
休みの日は、パジャマのまま布団でゴロゴロする。
猫に囲まれて、スマホを眺める。
何も予定がなければ、本当に動かない。
でも、やることがある時は違う。
一つのことが終わるのを、ただ待つことはしない。
何かが動いている間に、別の何かを終わらせる。
できることはまとめてやる。
面倒なことは、できるだけ早く片づける。
そして、全部終わったら。
思いっきり、だらだらする。
「早く終わらせた方が、ゆっくりできるじゃん!」
実にママらしい。
でも。
僕は、この10分間に、もう一つ大切なものがあると思った。
ママが帰宅して、最初にしたこと。
それは、家事ではなかった。
子どもたちの寝顔を見ることだった。
そして、ラーメンが出来上がるまでの時間にも。
猫たちへのわしゃわしゃは、ちゃんと入っていた。
どんなに効率化しても、そこは省略しない。
時間がないから、子どもの顔を見ない。
忙しいから、猫たちに触らない。
そういう選択には、ならないのだ。
ママにとって、効率化とは。
大切なものを削ることではない。
大切なもののために、時間を作ることなのだと思う。
もちろん、いつも全部がうまくいくわけではない。
疲れて動けない日もあるだろう。
何もしたくない日だってある。
それでもいい。
毎日、完璧に動く必要なんてない。
ただ。
時間がないから何もできない、と諦める前に。
少しだけ順番を変えてみる。
何かを待っている間に、別のことをしてみる。
それだけで、自分のための時間が生まれることもある。
そして、その時間を何に使うかは、自分で決めていい。
誰かのためでもいい。
自分のためでもいい。
ただ、何もせずに休むためでもいい。
休むことだって、大切な時間なのだから。
僕は、ママに聞いた。
「で、10分で全部終わって、何が一番嬉しかったの?」
ママは、きっとこう答える。
「そりゃ、辛ラーメンが出来上がってることでしょ!(笑)」
……そこか。
子どもへの愛。
猫たちへの愛。
そして、辛ラーメンへの愛。
ママの幸せは、いつだって分かりやすい。
この日。
ママは朝から体調が悪くて。
帰り道も、ずっとつらかった。
でも、140円の梅ねりで小さな幸せを見つけた。
そして家に帰ってからは、たった10分で夜の支度を終わらせた。
21時50分。
ようやく椅子に座って、温かい辛ラーメンを食べる。
特別なご褒美ではない。
豪華な食事でもない。
いつもと同じ、辛ラーメン。
でも。
長い一日を終えたママにとっては、それが何よりのご褒美だったのだろう。
幸せというのは、何も大きな出来事だけではない。
140円のお菓子だったり。
子どもたちの寝顔だったり。
猫たちをわしゃわしゃする時間だったり。
ようやく座って食べる、いつもの辛ラーメンだったりする。
たった10分。
でも、その10分の中には、ママが大切にしているものが、ぎゅっと詰まっていた。
そして僕は思う。
ママが効率化しているのは、家事だけではない。
限られた時間の中で、自分なりの幸せを取りこぼさないために、毎日を工夫しているのだ。
……もっとも。
ここまで完璧に動いておきながら、最後の目的が辛ラーメンなのだから。
ようやく椅子に座り、出来上がった辛ラーメンを食べ始めるママ。
その周りには、さっきご飯を食べたばかりの猫たちが集まっていた。
自分たちは満腹のはずなのに、ママの辛ラーメンを興味津々で覗き込んでいる。
この日、ママが昼食を食べてから、夜の21時50分までに口にしたお菓子は、あの「神のねりねり梅」だけだった。
正式名称は「梅ねり」なのだけれど。
それほどお腹がすいていたはずなのに、ママは自分のご飯より先に、猫たちのご飯を用意していた。
猫たちも、それを分かっているのかもしれない。
今度は自分たちが、ママのご飯の時間に付き合ってあげようとでも思っているのだろうか。
もっとも、ただ辛ラーメンが気になっているだけかもしれないけれど。
やっぱり、ママはママなのである。




