幕間1:帝国大学特別講義――「国家を殺す、最も静かな方法」
帝都の誇る、帝国大学の重厚な大講堂。
壇上に立つのは、若き**ヴォルテール帝国最高財務卿**、ルナ・フォン・グラウス。
彼女が教鞭を振るうというだけで、帝都の経済は一時的に動きを止めたと言われるほどの熱狂だ。
「……さて。本日の講義は、皆さんが大好きな『魔法』や『武力』の話ではありません」
ルナの声は、鈴を転がすように美しいが、その内容は氷のように冷たい。
「一か月で、一つの国を再起不能にする方法――『経済という名の断頭台』についてお話ししましょう」
彼女が黒板に、一冊の帳簿を描く。
「まず第一の罠。**『固定相場制(ペッグ制)』**の解除です」
ルナは、サンクチュアリ王国の通貨**サンク**と、帝国の**アレクマルク**を天秤にかけた。
「かつて**サンク**が安定していたのは、国に力があったからではありません」
「私が私財を担保に、『一**アレクマルク**は一・〇五**サンク**で必ず交換してあげる』と、世界に約束していたからです」
「ですが、私がその手を離した瞬間、どうなるか。……市場はこう判断します。『裏付けのない通貨なんて、ただの紙屑だ』と」
彼女は、急落していくグラフを指差した。
「これが通貨暴落です。一か月で三倍以上の物価高を招く、最初の毒ですね」
講堂の学生たちが、ごくりと唾を呑む。
「第二の罠は、**『物流の目詰まり』**です」
ルナは、船の絵を描いた。
「国という体にとって、物流は血液です。それを止めるのに、軍艦は必要ありません。……『保険』を止めればいいのです」
「事故が起きても誰も責任を取らない海に、船を出す商人はいません。……結果、王国には小麦も、燃料も届かなくなりました」
そこで、ルナは少しだけ、可笑しそうに目を細めた。
「そして、最も愚かなトドメの一撃。……それが**『強制価格統制』**です」
「フェルディナント殿下は、民を救おうと『パンを安く売れ』と命じました」
「ですが、仕入れ値が二**サンク**に上がっているのに、一**サンク**で売らされる商人はどうすると思います?」
「……売るのをやめて、隠すのです。あるいは商売あがったりになるので、彼らはパンを焼かなくなります。これが、市場から食べ物が消えた真実ですわ」
会場から、溜息のような感嘆が漏れる。
「最後に。……彼は、私の金庫から金貨を奪おうとしました」
「でも、皆さんは覚えておきなさい。借り入れの担保になっているものに手を出すのは、銀行の財布から金を盗むのと同じ」
「それは、帝国という『巨大な銀行』への宣戦布告となるのです」
「さあ、本日の講義はここまで。……あとの『実習』は、新聞の号外で確認してくださいませ」
優雅に一礼し、最高財務卿は講壇を降りる。
舞台裏では、皇帝アレクサンドルが、誇らしげに彼女を待ち構えていた。
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一方、サンクチュアリ王国。
フェルディナントの手には、帝国から届いたばかりの「最後通牒」が握られていた。
そこには、ルナが講義で語った「実習」の結果が、無機質な文字で並んでいる。
『金庫内資産の略奪を宣戦布告と見なす。……賠償として、王国の全魔力結晶採掘権、および主要港の租借権を要求する』
「な、……そんな……っ! 魔力結晶を渡せば、この国は本当に、ただの石ころの山になるぞ……!」
フェルディナントの叫びは、もはや誰の耳にも届かない。
コレットは、空になった国庫の床に座り込み、うわ言のように繰り返していた。
「どうして……どうして、安くパンを配ろうとしただけなのに、パンが無くなってしまうの……?」
「慈愛」という名の無知が、ついに王国に終焉をもたらそうとしていた。




