第3話:一か月後の審判、あるいは「地雷」の起動
ルナが婚約破棄を突きつけられ、国外追放されてから一か月が経過した。
サンクチュアリ王国の王宮は、かつての華やかさを失い、どこか煤けた空気が漂っている。
最初の二週間、フェルディナントとコレットは「勝利」を確信していた。
ルナという口うるさい管理者がいなくなり、国庫の金は彼らの「慈愛」のために湯水のごとく使われた。
だが、三週間目を過ぎた頃から、目に見えない「綻び」が王国を侵食し始めた。
---
「……殿下、もはや限界です。市場に流れる小麦の価格が、一か月前の三倍に跳ね上がっています」
財務官の報告に、フェルディナントは苛立ちを隠さず、豪華な椅子を蹴った。
「馬鹿なことを言うな! 我が国には、世界に誇る魔力結晶の輸出があるはずだ!」
「その輸出が止まっているのです。……船が、出せないのですよ」
港には、行き場を失った貨物船が腐るほど停泊している。
それらを動かすための「航海保険」を、帝国の保険会社が一斉に解除したからだ。
「保険がない海域に、船は出せない」
それが国際貿易の鉄則であることを、フェルディナントは一か月経ってようやく理解し始めていた。
通貨**サンク**の価値は、この一か月で緩やかに、しかし確実に滑り落ちた。
当初は「一アレクマルク = 一・〇五サンク」だったレートが、今や三・五サンク。
輸入に頼っていた食料や生活物資は、通貨安の直撃を受け、市民の生活を根底から破壊した。
---
「フェルディナント様……街の人々が、私を恨めしそうな目で見るのですわ……」
コレットは、お気に入りのドレスの裾を握りしめて震えていた。
「どうして……私はただ、みんなに幸せになってほしかっただけなのに……」
彼女が微笑みながら配った「慈愛の炊き出し」は、国庫を空にしただけで終わった。
物資が枯渇した状況でのバラマキは、ただの「さらなるインフレの燃料」に過ぎなかったのだ。
「……金だ。グラウス公爵家の隠し金庫を開けろ。あそこに、ルナが溜め込んでいた金塊があるはずだ!」
追い詰められたフェルディナントは、ついに最後の一線を越える決断を下した。
---
同じ頃。ヴォルテール帝国の、月の光が差し込むバルコニー。
「……ちょうど一か月。いい塩梅に『毒』が回りましたわね」
ルナは、アレクサンドルに背後から抱きしめられながら、水晶板に映る王国の経済指標を眺めていた。
「一か月か。……君がいない寂しさを埋めるには長すぎたが、一国を潰すには短すぎる期間だな」
アレクサンドルはルナの細い首筋に顔を寄せ、深くその香りを吸い込んだ。
「陛下。……あちらで、今、金庫の扉が破られましたわ」
ルナの唇が、冷酷な弧を描く。
「中身は……山のような金貨。……ですが、それは一か月前に私が『帝国銀行』から借り入れ、担保として登記を済ませたものです」
「ああ、例のやつか。……つまり?」
「サンクチュアリ王国の王太子がその金貨を動かした瞬間、それは帝国の資産に対する『公的な略奪』となります。……国際法上、これは立派な開戦事由ですわ」
アレクサンドルは、低く、愉しげに笑った。
「なるほど。一か月の間、あえて手を出さず、彼らが自ら『地雷』を踏み抜くのを待っていたわけだ」
「ええ。……さあ、陛下。投資の『回収』を始めましょうか。……まずは、あの国の魔力結晶の採掘権、その全てを百アレクマルクで買い叩きますわ」
「ははは! 一国を支える利権を、パン数個分の値段でか! ……いいよ、君の望む通りにしよう」
アレクサンドルはルナの髪を愛おしそうに撫で、耳元で熱く囁いた。
「今夜は祝杯だ、ルナ。……君が望むなら、あの王太子の首をグラスの飾りにしてもいい」
「……いえ、そんな野蛮なことは。……私はただ、彼らが『数字』の暴力に泣き叫ぶ様が見たいだけですから」
---
一方、サンクチュアリ王国。
狂喜乱舞して金庫の金貨を奪い取ろうとしたフェルディナントの前に、一通の魔導通信が届いた。
それは、ヴォルテール帝国からの「最後通牒」だった。
『貴国による帝国資産の略奪を確認。本日付で、貴国の全対外資産を凍結し、賠償金として魔力結晶の全利権を帝国へ譲渡することを要求する』
金貨の輝きは、一瞬にして、王国を焼き尽くす「業火」へと変わったのである。




