第6話:紙屑の炎、あるいは物理的デフォルトの証明
ゴォォォォォォッ……!!
猛烈な熱気と赤蓮の炎が、巨大な焼却炉の中で渦を巻いている。
フェルディナント・サンクチュアリは、ひび割れた両手で巨大なスコップを握りしめ、次々と「それ」を炎の中へと放り込んでいた。
「ああ……あぁっ……」
放り込んでいるのは、薪ではない。かつてサンクチュアリ王国の経済を回していた法定通貨、旧王国紙幣の札束だった。
ハイパーインフレを起こし、完全に信用を失った旧王国紙幣は、もはや「紙屑」以下の存在へと成り下がっていた。
市場で何の価値も持たないくせに、倉庫を圧迫し、保管するための警備費や場所代ばかりがかさむ。
つまり、持っているだけでコストが発生する「完全なる負債」である。
帝国中央銀行副総裁となったルナ・フォン・グラウスは、この膨大な不良紙幣を、旧王都に新設した帝国軍の熱電供給施設の「燃料」として再利用することを決定した。薪を買うよりも、無価値な紙幣を燃やしたほうが圧倒的に安上がりだからだ。
そしてその焼却作業の専従員として、かつてこの紙幣を無計画に刷り散らかした張本人であるフェルディナントが当てられていた。
「僕が……僕の理想が、燃えていく……」
数億、数十億という額面の束が、わずか数秒で黒い灰に変わる。
それは、フェルディナントがコレットと共に語った「慈愛」の物理的な死の証明であった。
煤にまみれながら、フェルディナントはふと焼却炉の小さな小窓から、外の広場を見下ろした。
そこには、かつての自分の領民たちが長蛇の列を作っていた。彼らの手には、温かく湯気を立てる肉入りのスープと、焼きたての大きなパンが握られている。
広場の中央には、美しい白銀のドレスに身を包んだルナと、彼女の腰を優しく、しかし独占欲を隠そうともせずに抱き寄せるヴォルテール帝国皇帝、アレクサンドル・フォン・ヴォルテールの姿があった。
「配給、ではありませんわ。これはあなたたちへの『先行投資』です」
ルナの凛とした声が、広場に響き渡る。
「帝国が旧王国の農地と工業を再建するためには、あなたたちの労働力(人的資本)が不可欠です。飢えと病で労働生産性が落ちては、私が困るのです。……しっかりと食べ、十分な休息を取りなさい。そして明日から、その健康な体で帝国のために帝国金貨を稼ぎ出すのです」
ルナは冷徹な実力主義者だった。彼女は「かわいそうだから」という感情で施しをすることは決してない。
だが、労働という対価を支払う意志のある者には、身分を問わず完璧なインフラと環境を提供した。
「投資において最も愚かなのは、己の限界を超えるリスクを無自覚に取ることですわ。私はどれほどアグレッシブに攻めても、決して手元の資本(純資産)に対する100%の限度を超えた過剰なエクスポージャーは持ちません。……制限のない無計画な善意は、必ず国を全損へと導くのですから」
ルナのその徹底したリスク管理と、能力に対する冷徹なまでの誠実さ。
それこそが、身分制度という呪縛に囚われていた民衆たちにとっての、真の『優しさ(救済)』として機能していた。
「素晴らしい統治だ、ルナよ」
アレクサンドルは満足げに微笑むと、ルナの首筋に深く口付けを落とした。
「君のその冷たい頭脳(計算)には、世界中のどんな宝石よりも価値がある。この復興資金の追加予算として、さらに五十億の帝国金貨を君の口座に入れておいた。君の好きなように、この国を染め上げるがいい」
「陛下……。いくらなんでも、私への投資過剰ですわよ」
「構わんさ。君への投資なら、どれだけ張っても必ず最高のリターンが返ってくると知っているからな」
圧倒的な財力と軍事力を持つ覇王からの、規格外の溺愛。
二人の間には、感情論ではない、互いの能力と価値を極限まで認め合った最強の信頼関係が存在していた。
「あぁ……ああぁぁっ……!」
焼却炉の窓際で、フェルディナントは崩れ落ち、自らの頭をかきむしった。
自分は、国を富ませ、覇王にすら愛されるあの圧倒的な『至宝』を、「冷たい」という一言で自ら手放したのだ。
代わりに手に入れた愛らしい小鳥は、金が尽きた途端に自分を見捨てて逃げ出した。
「僕が……間違っていた……僕が、馬鹿だったんだ……ッ!」
遅すぎる後悔の絶叫は、旧王国紙幣が炎に飲み込まれる轟音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。




