第5話:忠臣の種明かし、あるいは内部監査の完了
旧王国の造幣局、その裏手にある巨大な焼却炉。
フェルディナント・サンクチュアリは、顔を煤で真っ黒にしながら、もはや価値がゼロを通り越して「保管コストの分だけマイナス」となった大量の旧王国紙幣を、炎の中へと放り込み続けていた。
「けほっ……う、うぅ……っ」
煙に巻かれ、倒れ込むフェルディナント。
すでに三日が経過していた。帝国の監視の下、来る日も来る日も自らが刷った紙屑を燃やすだけの労働。
かつての王太子の威厳は完全に失われ、その目には虚無だけが広がっている。
「……フェルディナント様。随分と熱心に働いておられますね」
ふと、背後から聞き慣れた、ひどく事務的な声がした。
フェルディナントが弾かれたように振り返ると、そこには見知った顔があった。
サンクチュアリ王国の財務官であり、自分の腹心であったバルトだ。
「バ、バルト……! おお、バルトじゃないか! 助けに来てくれたのか! 早く僕をこんな所から……」
フェルディナントは涙を流してすがりつこうとしたが、ピタリと動きを止めた。
バルトの身を包んでいたのは、かつての王国の礼服ではない。深い紺色に銀の刺繍が施された、ヴォルテール帝国中央銀行のエリート幹部が着る軍服調の制服だった。
「バルト……? お前、その服は……」
「お触りにならないでください、フェルディナント『作業員』。制服に煤がつきます」
バルトは冷淡に一歩下がり、懐から分厚いファイルを取り出した。
「私は本日付で、ヴォルテール帝国中央銀行・旧王国資産接収局の局長に就任いたしました。……もっとも、半年前からルナ副総裁の直属として『内部監査』の任に就いてはおりましたが」
「な……半年、前から……? スパイだったというのか!? 僕の、一番の忠臣だったお前が!」
「忠臣、ですか」
バルトは表情一つ変えず、冷ややかにフェルディナントを見下ろした。
「あなたがルナ様を追放したあの日。私が提出した『防衛予算の枯渇リスク』に関する報告書を、あなたは『愛がない』と一蹴し、読まずに破り捨てましたね。……あの瞬間、私はこの国を『損切り(ロスカット)』することに決めたのです」
既にご存知の通りバルトは帝国側のスパイとして、王国の破滅を内部から「事務的」に加速させていたのだ。
フェルディナントがコレットの我儘のために無謀な予算を組むたび、バルトは一切の諫言をせず、完璧な書類を作成してその放漫財政を通し続けた。
「ルナ様は、私の作成する複式簿記の美しさと、感情に流されない数字への忠誠を高く評価してくださいました。無能な主君の機嫌を取るだけの財務官など、もう真っ平御免だったのですよ」
「嘘だ……嘘だ! お前まで僕を裏切っていたなんて……!」
絶望に泣き叫ぶフェルディナントの背後から、静かな靴音が響いた。
「裏切ったのではありませんわ、殿下。彼はただ『正しい評価者』を選んだだけです」
日傘を差したルナ・フォン・グラウスが、アレクサンドル皇帝の護衛兵を引き連れて優雅に歩み寄ってくる。
「バルト。旧王宮の隠し資産の洗い出し、ご苦労様でした。あなたの迅速で事務的な処理のおかげで、予定より二週間も早く資産回収が完了しましたわ」
「もったいないお言葉です、ルナ副総裁。すべてはあなたの完璧な予測モデルのおかげです」
バルトが深く、心からの敬意を込めて臣下の礼をとる。
かつてフェルディナントの前では決して見せなかった、心底からの忠誠の姿だった。
「サンクチュアリの旧体制では、男爵家の三男であるあなたは一生、計算係止まりだった。ですが、帝国は違います。……その圧倒的な実務能力に、正当な地位と帝国金貨で報いましょう。これからも頼みますわね、バルト局長」
「はっ。この身と知力に代えましても」
身分や家柄という理不尽な壁に阻まれていた優秀な実務家を、ルナはその冷徹なまでの「数字(能力)への信頼」によって救い上げ、確固たる忠誠を得ていた。
その光景を見上げながら、フェルディナントは自らの愚かさに打ちのめされていた。
自分が「冷たい」と切り捨てた女は、誰よりも人間の「真の価値」を正しく見抜き、愛されていた。
そして自分が「忠臣」だと思っていた男は、ただ事務的に自分を破滅へと誘導していただけだったのだ。
「さあ、作業に戻りなさい、フェルディナント卿。……あなたが燃やしているその紙屑の山が、あなたの空っぽな人生の総決算ですわ」
ルナの冷酷な宣告が、焼却炉の炎の音と共に、フェルディナントの心を完全に焼き尽くした。




