第4話:覇王の投資、あるいは真なる『救済』の形
サンクチュアリ王国の解体と再建は、ルナ・フォン・グラウスの指揮のもと、僅かな計算の狂いもなく冷徹に、かつ劇的な速度で進められていた。
旧王都の中央広場。かつてコレットが甘いお菓子を撒き散らし、暴動が起きたその場所には、今や巨大な仮設の「雇用・配給センター」が建設されていた。
「これより、旧王国の身分証明書はすべて無効とします。農地や工房での労働を希望する者は、帝国の計算テストを受けなさい。……身分は問いません。四則演算ができ、正確な記録が取れる者は、平民であっても直ちに現場監督として帝国金貨で雇用します」
ルナの冷ややかな宣言に、集まった民衆がどよめいた。
旧サンクチュアリ王国では、役職はすべて貴族の世襲制だった。文字が読め、計算ができても、平民であるというだけで彼らは一生、安価な労働力として酷使されてきたのだ。
「あ、あの! 俺、昔から帳簿をつけるのが得意で……でも、平民だからって財務官に追い出されて……」
「テストを受けなさい。実力があるなら、帝国は正当な対価を払いますわ」
ルナは、怯える平民の青年を冷徹に、しかし真っ直ぐな瞳で見据えた。
チョークボーイのニコラスを見出した時と同じだ。「数字は嘘をつかない」
だからこそ、身分や血筋という不合理なノイズを完全に排除し、能力のある者を正当に評価する。それこそが、ルナの持つ「冷徹な真の優しさ」だった。
「ルナ様。……第一陣のテスト合格者、五十名です。彼らを各農地の再建リーダーとして配置します」
「ええ、頼むわニコラス。……それと、この資金を」
ルナが差し出したのは、分厚い予算の決裁書だった。
「これは……?」
「彼らのための『初期投資』よ。新しい農具、種籾、そして彼らの家族が今日食べるための、十分なパンと肉。すべて私の裁量枠から即時決済しなさい。
……お菓子や『慈愛』などという実体のない詐欺まがいの施しではなく、彼らが自立して利益を生むための、正当な『資本』ですわ」
その言葉を聞いた平民たちが、涙を流してルナに深く頭を下げた。彼らの目には、ルナは冷酷な侵略者ではなく、泥沼から自分たちを引き上げてくれる真の救済者として映っていた。
その光景を、遠く離れた物資搬入口から見つめる男がいた。
泥とインクにまみれ、荷車いっぱいに積まれた「裁断済みの旧王国紙幣」を運ばされている、元王太子フェルディナントだ。
「……っ、なぜだ……。僕がパンを配った時はあんなに怒ったのに、なぜあいつらは、ルナに感謝しているんだ……!」
荷車の重さに喘ぎながら、フェルディナントは血の滲む手で頭を抱えた。
彼には理解できなかった。自分が与えようとした「無償の愛」が国を滅ぼし、ルナが与えた「対価と責任(労働)」が民衆に希望を与えているという真理が。
その時である。
旧王都の上空を覆い尽くすような、巨大な影が差した。
『――見事な手腕だ、ルナ』
腹の底に響くような、絶対者の声。
フェルディナントが顔を上げると、そこにはヴォルテール帝国が誇る最新鋭の巨大な飛行戦艦が浮かんでいた。
そして、戦艦のタラップから降り立ったのは、漆黒の外套を翻す覇王、アレクサンドル・フォン・ヴォルテール皇帝その人であった。
「陛下……! 視察は来月のはずでは?」
「待ちきれなくてな。それに、君が手に入れた『新しい庭』に、相応しい肥料を持ってきてやった」
アレクサンドルが指を鳴らすと、戦艦から次々と巨大なコンテナが降ろされた。
中から現れたのは、太陽の光を反射して眩く輝く、天文学的な量の帝国金貨、そして最新の医療物資や建築資材の山だった。
「サンクチュアリ全土の復興予算、およそ二百億帝国金貨。……私個人の金庫から君の口座へ、すべて現物で用意させた。君の好きに使え」
「二百億……! 陛下、いくら何でも過剰投資ですわ! まだこの国のインフラ整備は……」
「構わん。君の頭脳と采配なら、三年で倍にして返してくれるだろう? ……それに、私の愛する女が統治する国が、いつまでも貧相なままでは腹が立つからな」
覇王は不敵に笑うと、ルナの腰を抱き寄せ、その頬に優しく口付けた。
冷徹な顔を崩し、わずかに頬を染めるルナ。二人の間にあるのは、単なる男女の愛ではなく、互いの能力(数字)を極限まで信頼し合う、究極のパートナーシップだった。
「……あ、あぁ……」
荷車の横で、フェルディナントは崩れ落ちた。
かつて自分の隣にいた女。自分が「冷たい」と切り捨てた女は、今、圧倒的な財力と武力を持つ本物の覇王から、国一つを丸ごとポンと渡されるほどに愛され、価値を認められている。
それに引き換え、自分はどうだ。
コレットには見捨てられ、手元に残ったのは、燃やされるだけの旧王国紙幣と、血の滲むような労働だけ。
(僕が、間違っていたのか……? 僕が捨てたのは、この世で最も尊い『資産』だったのか……?)
フェルディナントの心の中で、ようやく、そしてあまりにも遅すぎる「現実への理解」が音を立てて崩れ落ちていった。




