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『愛より国債。~婚約破棄された財務卿の姫は、隣国の覇王に愛され経済制裁で祖国を破産させる』  作者: 紅 麗音
第三章:パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない?
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第2話:資産回収(アセット・リカバリー)――王冠はただの貴金属

「……ひっ、あ、あいつら、恩を仇で返しおって……!」


王宮の謁見の間。バルコニーから逃げ戻ったフェルディナントは、窓の外から響く群衆の怒号に肩を震わせていた。


隣では、自慢のドレスを乱したコレットが、縋るように彼の腕を掴んでいる。


「フェルディナント様……怖い、怖いですわ。わたくし、ただ皆様を笑顔にしたかっただけなのに。どうしてあんなに怒るのかしら……?」


「大丈夫だ、コレット。あいつらは一時的な空腹で理性を失っているだけだ。……衛兵! 衛兵はどうした! 早く暴徒を鎮圧しろ!」


だが、叫ぶフェルディナントに答える者はいない。半年間の給与滞納とハイパーインフレにより、**§(サンク)**で雇われていた衛兵の多くは既に脱走し、あるいは略奪側に回っていた。


その重苦しい沈黙を、規則正しい靴音と、硬質な声が切り裂いた。


「無駄ですわ、殿下。彼らの忠誠心は、とっくに市場価格と共に底をついています」


「……っ、その声は!」


フェルディナントが弾かれたように振り返る。


そこには、半年前よりもさらに洗練された、氷の彫刻のような美しさを纏ったルナ・フォン・グラウスが立っていた。


背後には、ヴォルテール帝国の紋章が入った書類鞄を持つニコラスが、影のように控えている。


「ルナ! ルナなのか! ……おお、助けに来てくれたのか! 早く、早く帝国の軍を動かしてこの暴動を止めてくれ!」


フェルディナントが縋り付こうと駆け寄るが、ルナはその歩みを冷ややかに止めた。


「勘違いしないでください、殿下。……今日の私は、旧友としてではなく、ヴォルテール帝国中央銀行の『清算執行人』としてここへ参りました」


「清算……執行人?」


「ええ。サンクチュアリ王国が帝国に対して積み上げた債務、および半年間の延滞利息……。本日をもって、担保物件の差し押さえを執行させていただきます」


ルナが顎で合図すると、ニコラスが事務的に分厚い書類を取り出した。


「これより資産回収を開始します。……対象、サンクチュアリ王宮内、すべての動産および不動産」


「な、何を言っているんだ! これは王家の資産だぞ!」


「いいえ、殿下。これは既に『回収不能な不良債権』の代物弁済対象です」


ルナは迷いなく、フェルディナントの頭上に燦然と輝く王冠を指差した。


「ニコラス、その王冠を鑑定してちょうだい」


「はい。……サンクチュアリ王太子用王冠。金22K、約850グラム。中央に配されたサファイアは……ふむ、カットが古く、市場価値は期待できませんね。地金の重さだけで査定します。……現在の帝国通貨換算で、**1,200ℳ(アレクマルク)**です」


ニコラスの言葉に合わせて、帝国の随員たちが無造作にフェルディナントの頭から王冠を剥ぎ取った。


「あ、ああっ! 僕の王冠が!」


「……1,200ℳ。帝国のパンなら1,200個分といったところでしょうか。今のあなたたちの権威は、たったそれだけの価値しかありませんわ」


ルナは次に、震えるコレットの首元に光る大粒のダイヤモンドに目を向けた。


「そちらのネックレスも。……半年前に、国民の年金基金から流用して買ったものでしたわね。……回収させていただきます」


「いや! 嫌ですわ! これはフェルディナント様からの愛の証ですのよ!」


コレットが悲鳴を上げるが、ルナの瞳に慈悲はない。


「『愛』という名の未払金ですわ。……ニコラス、外して」


「はい。……鑑定額、2,500ℳ。……これで、半年分のパンの輸入代金、およそ3分間分の延滞金に充当します」


「た、たった3分間分だと……!?」


絶望に顔を歪めるフェルディナントへ、ルナはさらに残酷な事実を突きつける。


「現在の為替レートでは、1ℳに対して1,800万§。もはや旧王国の通貨では、あなたの罪を数えることすら不可能ですわ。残る負債、およそ5億ℳ。……足りない分は、人的資本(労働)で支払っていただきます」


「ご、5億……労働……? 僕が、働くのか……?」


その言葉を聞いた瞬間、コレットの動きがピタリと止まった。


彼女はフェルディナントの腕から、サッと自分の手を離した。


「コ、コレット……?」


「ごめんなさい、フェルディナント様。わたくし、価値のないものに寄り添うほど、お馬鹿さんじゃありませんの」


冷酷なまでにさっぱりとした声。彼女はドレスの隠しポケットから、茨の冠が刻まれた銀貨――神聖テレジア教国の商人通貨**『ℛ(テレジアルーブル)』**を数枚取り出し、忌々しそうにルナを睨みつけた。


「わたくしには、まだマリア様(テレジア13世)というパトロンがいらっしゃいますわ! こんな泥舟、こちらから願い下げです!」


コレットは踵を返すと、呆然とするフェルディナントを一瞥もせず、混乱する王宮の裏口へと走り去っていった。


「あ、ああ……コレット……嘘だろ……」


愛も、王冠も、すべてが「数字」の前で剥がれ落ちた。


床に崩れ落ちたフェルディナントを、帝国の衛兵たちが両脇から無造作に引き起こす。


「ニコラス。彼をあなたの部署へ連れて行きなさい。


一円の計算ミスも許されない書類の海で、彼が軽視した『数字』の重みを、一から教育してあげるのよ」


「承知いたしました。……さあ、フェルディナント卿。まずは帳簿のインクの擦り方から教えましょう」


かつて自分が見下していた記録係チョークボーイに顎で使われ、引きずられていく元王太子。


その背中を見送りながら、ルナは静かに王宮の窓辺に立った。


外では、帝国の軍艦が港を封鎖し、王宮の屋根にはヴォルテール帝国の旗が翻ろうとしていた。


「これにて、サンクチュアリ王国の清算は完了ですわ」


嵐の予感に満ちた空の向こう――東の果てで蠢く、より巨大な「偽善の宗教経済」の気配を感じ取りながら、ルナは静かに扇子を閉じた。

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