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第9話:静かなる決別、あるいは「出口戦略(イグジット)」

翌朝、ルナは執務室に籠もり、膨大な書類の山と向き合っていた。

だが、そのペンが記しているのは、もはや「王国の救済案」ではない。


「バルト。……グラウス公爵家の名義で保有している王国内の全資産を、向こう三ヶ月で順次処分しなさい。特に、魔力結晶の採掘権の担保となっていた土地。これらを、市場価格が維持されているうちに、帝国のペーパーカンパニーへ売却するのです」


「……ついに、引き揚げ《イグジット》を決断されましたか。ルナ様。しかし、一気に動かせば自国通貨の価値が揺らぎます」


「ええ、ですから『買い』を入れながら『売る』のです。表向きは私が市場を支えているように見せかけながら、中身をすべて帝国の資産へと組み替えていく。……私という『信用』を使い切る、最後の仕事ですわ」


ルナの口元には、かつてないほど冷徹な笑みが浮かんでいた。

彼女がこれまで、おじい様イライザから受け継いだ私財を投じて支えてきたこの国の経済。

それを、今度は彼女自身の手で、音も立てずに「空洞化」させていく。


(……殿下、貴方は仰いましたわね。『僕がどう使おうと勝手だ』と)


ルナは、フェルディナントが昨日投げ捨てた「魔法花火の予算申請書」に、無言で承認の判を押した。

今までは「予算が足りません」と口酸っぱく止めていた贅沢を、これからはすべて、一切の抵抗なく許可する。


「……止める人間がいなくなった組織が、どうなるか。……楽しみですわね」


彼女が承認の判を押すごとに、王国の国庫からは「本物の価値」が消え、代わりに「返せる見当のない借金」が積み上がっていく。

一方で、ルナ個人の資産は、バルトの手によって着実に、国境を越えてアレクサンドルの支配する帝国へと逃がされていた。


「ルナ様。……帝国の中央銀行から、秘密裏に預金口座の開設完了と、副総裁の席を用意したとの親書が届いております」


「……仕事が早いですわね、陛下は」


ルナはアレクサンドルから贈られた、小さな青い宝石のついた指輪を眺めた。

それは、婚約指輪よりもずっと重く、そして「自由」の香りがした。


その時、廊下から再びコレットの浮かれた声が聞こえてくる。


「フェルディナント様ぁ! ルナ様、今日はお祭りの予算を全部通してくれましたわ! ほら、やっぱりあの方、本当はわたくしたちを応援してくれているんですのよ!」


「ははは、そうか! やっとルナも自分の立場が分かったようだな。コレット、君の真心が彼女の頑なな心を開いたんだよ!」


その無邪気な笑い声は、すでに底の抜けた船の上でダンスを踊っている愚者のそれだった。

ルナは静かにカーテンを閉め、真っ赤に染まった帳簿に、最後の「仕掛け」を書き込み始めた。

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