第8話2:覇王の誘惑、あるいは「価値」の正当なる評価
王宮のバルコニー。月光の下、アレクサンドルがルナの指先に落とした口づけは、あまりに長く、そして支配的だった。
「……な、何をしているんだ、貴公ッ!」
ようやく声を上げたのは、数歩後ろで呆然としていたフェルディナントだった。
顔を真っ赤にし、腰の飾り剣に手をかけるが、その指は小刻みに震えている。
アレクサンドルは、ルナの手を離さぬまま、ゆっくりと首だけを巡らせた。
その黄金の瞳に宿る、捕食者のような冷徹な光。
「……何、だと? 礼節を尽くしているだけだ。それともサンクチュアリ王国では、自国の窮地を救っている唯一の知性に敬意を払うことすら禁じているのか?」
「そ、それは……しかし、彼女は僕の婚約者だ!」
「ほう。婚約者、か。……ならばなぜ、彼女が血を吐く思いで積み上げた予算を、その隣にいる小娘の『お遊び』に浪費させる? 君が彼女を『婚約者』としてではなく、『便利な金庫番』として扱っているのは、この国の帳簿を見れば一目瞭然だぞ」
「う、うるさい! 経済のことはルナに任せてあるんだ、僕がどう使おうと勝手だろう!」
フェルディナントの情けない怒号が夜の空気に虚しく響く。
そこへ、コレットが絶妙なタイミングで、フェルディナントの袖を「不安げに」引いた。
「フェルディナント様、もうおやめになって……! きっと、アレクサンドル陛下はルナ様のあまりの有能さに、つい熱くなってしまわれただけですわ。……ルナ様も、そんなに陛下の近くにいらしては、フェルディナント様が可哀想ですわっ」
コレットは潤んだ瞳でルナを見つめる。
その言葉は一見ルナを庇っているようでいて、暗に「ルナが皇帝を誘惑して婚約者を困らせている」という印象を周囲に植え付ける毒を含んでいた。
「……ふん。飼い犬の躾すらできていないようだな」
アレクサンドルは鼻で笑い、ルナの耳元に唇を寄せた。
「……あんな男のために、これ以上泥を被る必要はない。返事は急がん。だが、次に私がこの国に来る時……それは、君を『奪い』に来る時だ」
アレクサンドルはそれだけ言い残し、圧倒的な威圧感を翻して会場へと戻っていった。
残されたフェルディナントは、彼を追う勇気もなく、ただ隣のコレットに「君だけが僕を分かってくれる」と縋り付くことしかできなかった。




