第8話:覇王の誘惑、あるいは「価値」の正当なる評価
王宮で開催された、帝国使節団を歓迎する夜会。
きらびやかなシャンデリアの下、貴族たちは明日をも知れぬ国の財政などどこ吹く風で、贅を尽くした美酒に酔いしれていた。
「……見てくださいな、フェルディナント様! 皆様、とっても幸せそうですわ。ルナ様が『お財布が空っぽだ』なんて仰るのが、まるで嘘みたい」
コレットが、フェルディナントの腕に柔らかく体重を預けながら、楽しげにささやいた。
フェルディナントもまた、鼻高々に頷く。
「全くだ。ルナは数字に囚われすぎて、心の豊かさを忘れている。現に、我が国の経済はこうして今日も、何の問題もなく回っているじゃないか」
ルナは、手にした冷えたグラスの縁を見つめ、静かに溜息をついた。
この国の金貨が今も「価値あるもの」として流通しているのは、彼女が公爵家の信用を担保に、影で必死に支え続けているからに過ぎない。
「……失礼いたしますわ」
人混みの熱気に耐えかねてバルコニーへ逃れたルナの背後から、低く、支配的な響きを持つ声が届いた。
「……反吐が出るな。たった一人の女の献身を食いつぶして、豚どもがよくもまあ踊れるものだ」
ヴォルテール帝国の覇王、アレクサンドル。
彼は、サンクチュアリ王国の貴族たちが誇らしげに身につけている「時代遅れの虚栄」を一瞥し、ルナの隣に立った。
「アレクサンドル陛下。……外交の場です。あまりに直截的な物言いは控えていただけますか」
「真実を語るのに装飾は不要だ。……ルナ。君がこの国の為に注いでいるその命、あとどれだけ持つ? 否、あとどれだけ『無駄遣い』を許すつもりだ?」
アレクサンドルの鋭い問いに、ルナは言葉を失った。
自分がどれほどの無理をして、崩壊寸前のバランスを保っているか。それを正確に見抜き、この平和を「偽物」だと断じているのは、婚約者ではなく、目の前の略奪者だけだった。
「……私は、私の義務を果たしているだけですわ」
「無能に尽くすのは義務ではない。それは『浪費』という名の自殺だ。……ルナ・フォン・グラウス」
アレクサンドルは、彼女の華奢な指を掬い上げ、その甲に深く、熱い口づけを落とした。
それは、婚約者の目の前で「お前は私の獲物だ」と宣言するような、あまりに不遜で、官能的な重みを伴っていた。
「君のその類まれなる頭脳。そして、泥中にあっても折れぬ、その気高さ。……こんな安っぽい国で、二束三文で買い叩かれるべきではない。私の元へ来い。……私が、君を世界の頂点に再定義してやる」
「……陛下。それは、略奪の宣告ですわ」
「ああ、そうだ。私は欲しいと思った資産は、力ずくで手に入れる主義でね。君という『宝石』を巡る、私個人の戦争だよ」
アレクサンドルは、ルナを射抜くような黄金の瞳で見つめ、不敵に笑った。
それは、責任という名の鎖に縛られたルナの心を、強引に解き放つような熱情だった。




